二人遊び
空の向こうに青色の羽をはためかせて消えゆく鳥を見送る。
時折、煙がくゆるみたいに姿を揺らめかせては現れて、見ていて飽きないものだった。
「化粧鳥だよ。ここでは見事な隊列を組んで移動するのが見えるんだねえ」
のんびりと言うマシアンに、モアネは部屋の中から夢中で見送った。
「暖かい季節には北東へ向かって、寒い季節には南西に帰ってくるんだ。次見るときには、あたりは寒くなっているかもしれないね」
「また見れるってこと?」
「ああ。その頃には、モアネもきっともっと良くなるさ。最近は調子がいいって先生にも褒められたじゃないか」
「うん、私、がんばる」
「よおし、いい子だ」
声音は弾んで、喜んでいるのだとすぐにわかった。モアネの返事に、ますますマシアンは小じわを作って笑みを浮かべる。
「父さんもがんばって、元気になるからな。さあ、そうと決まったら働かないと。モアネは一人で過ごせるかい」
「平気だよ」
モアネの頭を無骨な手が撫でていく。出窓の前にモアネが大人しく座っていれば、マシアンは何度かうなずいて部屋を出て行った。
(よし、今日も大丈夫)
少しだけ待って、階下へと耳を忍ばせる。
カタリナがマシアンを迎えて、二人で物を運んでいる様子が聞こえる。モアネにはまだよくわからなかったが、祖父母がしていた薬問屋のお仕事をカタリナが引き継ぐらしい。ここしばらくは、その開店準備とやらで忙しくしているのだ。
(夕方までには戻ればいいから……)
そろりと足音を忍ばせて、モアネは部屋を出た。そうして通路で向きを直すと、右手でドアノブをひねる。
これでもう何度目だろう。
あれから数か月は経った。けれど、右手の鍵穴マークは健在であったし、問題なく今日も秘密基地へのドアは開いた。
「今日も私が先」
呟いて中に入る。見慣れた景色は広がっているが、まだメルディオの姿はなかった。
屋根裏部屋の秘密基地は、モアネとメルディオが持ち寄った遊び道具が転がっている。刃の潰れた木剣や、粗雑で目の粗い紙切れに木炭。余った布や糸玉を巻き付けたボール。
そしてモアネの家では気軽に手が届かなかった本が床に落ちていた。
(メルディオってば、また片付けしてない)
二人で楽しく遊ぶのはいいが、片付けをするのはモアネのほうが多い。
(しょうがないなあ。特訓ってすごく面倒らしいし)
メルディオはモアネと遊ぶときには、抜け出してきたといって息を切らしてくることが多い。きっと今日もそうなのだろう。
ほぼ毎日顔を出すモアネと同じように、約束をしていなくてもメルディオは昼過ぎに顔を出すことが多かった。
そうして今日も、モアネが片づけをして間もなく。勢いよくドアが開いた。
「あー、つっかれたあ! モアネ、遊ぼうぜ」
「いいよ。ねえ、今日は本がいいな」
煤色の髪をなびかせて飛びこむように入ってきたメルディオは、途端に顔をしかめてみせた。
「こないだ読んだだろ。それならパズルにしようぜ。前より早く完成させるのはどうだ」
「だって珍しいよ、本。私のところにはあまりないもん」
「ええ? 結構あるだろ。本当に田舎だなあ」
メルディオがモアネの近くによって、床に座る。同じようにモアネも傍に座ると、本を手に取ってみせた。
「まわりは山とか川があるけど、お家は少ないよ。でも、いい薬草がいっぱいあるんだって」
「モアネの家は薬屋でもしてるのか?」
「そうみたい。私はお手伝いあんまりできないからわからないけど……そうだ! メルディオの怪我にもいい薬草を今度探してみるね」
モアネは自分で言いながら、良い考えだと思えた。あれから頬の腫れはメルディオからなくなったが、それでも生傷が絶えないのだ。思えば特訓がある日は、どこかしら怪我をしていることが多い。
「それでね、勉強いっぱいしたら私が薬を作ってあげる」
「モアネが? できるの?」
「できるようになるの」
「ふーん」
呟いて、メルディオは奇妙に黙った。胡坐をかいて、重ねた両足首を手で掴むと体を揺らしている。
「じゃあさ、薬の本、探してやるよ」
「本当!?」
モアネが腰を浮かせると、メルディオは視線を合わせないまま答えた。
「母さんがそういうの持ってたって、父さんが言ってた。特訓ちゃんとやったら、借りられると思う」
「いいの? メルディオ、特訓嫌いでしょ?」
「嫌いじゃねーし」
唇を尖らせて、メルディオはバツが悪そうにした。
「俺は期待されてるんだ。それに傭兵の家なら、特訓は普通だぜ」
「そうなんだ。でも、傭兵って危なくない?」
「だから特訓するんだよ。危険な生き物を追い払うのも傭兵の仕事なんだぞ」
「あっ、お父さんを助けてくれたのも衛兵さんと傭兵さんだったよ。メルディオの家もそういうことするんだね」
モアネが言うと、メルディオは心なしか胸を張ったようだった。鼻を鳴らして、「まあな」なんて言うのがおかしい。小さく笑いをこぼすと、なんだよ、とメルディオに小突かれた。
「じゃあさ、やっぱり特訓って大事なんだ」
「モアネには絶対無理だと思う」
「あっ、またそういうこと言う! 元気になったら、大丈夫かもしれないよ」
「元気になったらな。ほら、本読むんだろ」
モアネは首を傾げた。メルディオが指さす本を見て、目を瞬かせる。
「あれ? パズルは」
「気分が変わった」
そう言うが早いか、メルディオは転がって腹ばいになると頬杖をついてみせた。
「モアネが読んで」
「いいよ。じゃあ、あとで交代ね」
同じように床に寝転がって、モアネは本を開いた。
最初は辿々しく読んでいた文章も、何度も読んでいけばすらすらと読める。文句を言わずに耳を傾けるメルディオに、モアネはちょっとだけ嬉しくなった。
青灰色の目がモアネの視線とぶつかると、緩く瞼が開閉する。
「モアネが読むと眠くなる」
「何それ」
「俺より上手。だからそのまま読んでて」
変なことを言う。メルディオはまるで猫の子みたいに腕に頭を預けてうつ伏せる。
「もう、メルディオ。ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる。モアネの声に集中してんの」
「どうせなら私のほうを見て集中してよ」
文句を口にすれば、メルディオは顔を上げた、
「やだよ、なんか恥ずかしい」
「何で? 変なメルディオ」
「モアネだってされたらそうなる。見てろよ」
すると、じーっとメルディオはモアネを見つめてくる。じりじりと眼差しが頬や顔に刺さるような、そんな感覚がする。
しかもこういう時に限って、メルディオはとっても真剣な顔をするのだ。きりりと真面目ぶる表情が余計に落ち着かない気持ちにさせてくる。
(確かに、ちょっと、変な感じ)
モアネは思わず手で顔を覆った。すると、得意げにメルディオが言う。
「ほーらみろ! だから俺はこれでいいの」
「わかったけど、でも、ちゃんと聞いてよね」
「聞いてただろ。早く続き、続き」
そうして急かされるまま、モアネはまた声に出して読み始めた。
メルディオはモアネに軽口を叩くことは多いが、読んでいるときは静かにしてくれる。たまにお互い間が空いてしんと静かになることもあるが、それは嫌な沈黙ではなかった。
ひとしきり読み終えると、モアネは本をメルディオに手渡した。
「次はメルディオの番」
「わかったよ」
今度はメルディオがうつぶせになりながら読み上げる。モアネよりも通る声が文字をなぞっていく。
絶妙な塩梅で淡々としている。物語のお姫様の口調だって棒読みだ。それでも聞きづらいと思わないのは、メルディオなりに一生懸命読んでくれているとわかるからだろう。
時々眉間に皺を寄せて言い間違いを直しながら、きっちりと最後まで。
モアネは自分で本を読むのも好きだが、メルディオが読んでくれるのも好きだと思えた。だって、自分のためにしてくれるとはっきりわかるのだ。それがくすぐったくて嬉しかった。
「――……めでたしめでたし。終わったぞ、モアネ」
「ありがとうメルディオ」
「これより図鑑とかのほうが面白いって。絵もいっぱいあるし」
「そうなんだ。いいなあ、見てみたい」
「やっぱ父さんに頼むしかないよなあ……」
言いながらメルディオが本を閉じる。
メルディオの実家は傭兵だと聞いていたが、それ以上の詳しいことは知らない。ただ、子供心ながらにモアネのところよりもずっと裕福なのかなと察することはできた。
(本、頼めば簡単に手に入るんだ。いいなあ)
口にしようとしてやめる。なんとなく、それをメルディオに言うのは嫌な感じがした。代わりに、モアネはメルディオの家のことについて聞くことにした。
「ねえメルディオ。傭兵の特訓するのは、メルディオも傭兵になるから? お父さんもお兄さんもみんなそうなの?」
「わかんないけど、傭兵として危ないところに行くこともあるってさ」
「危ないところ?」
「なんかすごい険しい谷とか海とか行くって。だから身を守るために覚えろって、うるさく言われる」
「へえー。旅をするの?」
モアネが聞くと、メルディオは少し考えてから言った。
「さあ? そうかも? 俺が今住んでるとこ、仮住まいってやつらしい」
「なあにそれ」
「化粧鳥みたいに引越しして暮らすんだよ。ガヴェ傭兵団は移動して働くんだぜ」
「えっ、メルディオ、引っ越すの?」
「多分そうじゃないのか? 父さんより偉い奴が決めるから」
「そうなんだ……じゃあ、会えなくなっちゃう?」
モアネは自分の右手を見下ろした。そこにはくっきりと鍵穴のマークが残っている。
気分が落ちこんで頭ごと俯いてしまっているのを、覗きこむようにしてメルディオは顔を寄せた。
「わかんないけど、すぐじゃないだろ。そうなら俺はあんなに怒られてない」
モアネが黙って続きを待っていると、メルディオは憤慨したように続けて言った。
「ほら、あの時だよ。モアネと会った時。特訓サボって化粧鳥の巣を探しに行こうとして、すんごい父さんに怒られた時」
「聞いてないよ、そんなこと。それはお父さん怒るよ」
散々怒られたのか、メルディオは苦々しそうに表情を変えて言葉を返す。
「ちょっと街の外に遊びに行くだけじゃん。兄ちゃんが移動の時じゃなきゃ怒られなかったのになって言うんだぜ。タイミングが悪かったんだ」
「危ないよ、メルディオがどこに住んでるか分かんないけど……危険な生き物が外にはいるんでしょ? 怒られて当然じゃない」
「でも俺は一人でも大丈夫だったし。じゃあ、俺のこと言うならモアネはどうなんだよ」
「私は……」
あの時泣いていた話だろう。
散髪するに至った経緯を思い返して、話す言葉が口の中で萎んでいくかのようだ。モアネは唇を閉じて、視線を伏せる。
けれど、それを許してくれるメルディオではない。
「俺が話したのに、モアネが黙るのはずるい。ちゃんと話せよな」
「でも、話したらメルディオ、私から離れちゃうよ」
「なんだそれ、いいから話してみろよ」
なあ、と促がされてモアネは小さく言った。
「私、咳石病なの」
「がいせき、病? モアネの病気の名前か?」
「喉の周りにコブができて、息がしにくくなるんだって。すぐに熱もでちゃうから……だから、あまり外で遊んじゃダメで」
こくりと頷くモアネに、メルディオは体を起こしてモアネを上から見下ろした。
普段は服の襟で隠れていても、こうして横になって上から見られたらわかるはずだ。モアネがハッとしたときにはもう遅かった。
「あっ、本当だ! 首に石みたいなコブがある!」
モアネは身を縮こめて俯いた。
(言わなきゃよかった)
街にいたときは、それでうつるかもしれないと指さされたこともあった。咄嗟に手を首裏に当てて隠そうとしたところで、メルディオが聞いてきた。
「それ、痛いのか?」
「……痛いっていうより、髪が当たるとちくちくするの」
「ふーん、そっか。だから髪切ったのか」
それがあまりにも普通の調子だったものだから、モアネはするりとあの時の自分の気持ちを吐くことが出来た。
「変な髪型になるから嫌だったの」
「でも、ちくちくしないんだろ」
「うん……」
「じゃあ、モアネの母さんは悪くないじゃん」
それから黙って、モアネは息を吐いた。メルディオはまた座り直すと、話は終わったとばかりに次の遊び道具を物色し始めている。
(……変なの)
なんとはなしに、ころ、と心につっかかっていた小石が転げたみたいだった。
ちゃんとまた母に謝ってみよう、そんな考えがモアネの中に浮かんでいた。これはメルディオのおかげだろうか。
ちら、とメルディオの背中を見ていると得意げに遊び道具を持ってくる姿と目が合った。
「ねえ、メルディオはうつるって思わないの?」
「俺がそんな弱いわけないだろ」
当然のように言うメルディオに、モアネは思わず笑って同意した。




