8話 巻き込まれる覚悟
「湊ってさ、昔はどんなやつやったんや?」
駅へと向かう道中、背中越しにそんなことを聞かれた。
しばらく風の流れに身を任せながら、ぽつりとだけ呟く。
「今と変わらないよ」
何も、変わらない。
自分を犠牲にして、抱えすぎてしまうところは特に。
それ以上語りたくない気持ちを悟ったのか、杉山は短く「そうか」とだけ残し、バイクのギアを一段上げた。
強い排気音に、胸の奥に溜めていた悔しさがかき消されるようだった。
駅に着くと、杉山はヘルメットを脱いで笑った。
「遠いところまで付き合うてくれてありがとな」
「こっちこそ。色々考える時間ができた」
湊を思う気持ちは違えど根っこは同じ。
そんな共通点が初めて友情みたいなものを生んでいた。
「この後はどうするつもりなんや?」
「明日、白咲と話しをする。どこまで言ってくれるかわからないがな」
あの轟木との口論。
白咲が何か大きな負い目を抱えているのは確かだ。
「白咲が湊に何をしてしまったのか、お前は知ってるんだろ?」
「そらな。でも本人が向き合わな、意味ないやろ」
「なら、なぜ白咲は俺を遠ざける」
俺を頼りながら、本筋からは巻き込みたくない。その矛盾がずっと頭の中を蠢いている。
「それもお前が聞けばええ」
杉山は決して答えをくれない。
ただその言い方には、責めるより“任せていい”と信じる色があった。
「そういや白咲な、この駅ビルの塾に通っとるらしいで」
思わず顔を上げる。
胸の中で、さっきまで形にならなかった焦りが輪郭を持ち始める。
「明日と言わず、今日聞けばいいんやないか?」
『黒羽くんとの未練、晴らしたいの』
そう言いながら、目の奥に言えない何かを抱えていたのが蘇る。
「……そうだな」
「ほれ、あいつの連絡先」
可愛らしい猫を背景にしたアイコンが、ぼんやりと灯る。
「湊も、あの三人も、お前が寄り添ってくれるのがいっちゃんええ」
杉山はブレーキを外し、手を上げて。
「頑張れよ」
最後にそう言い残し、再びバイクを走らせた。
一人になってから、しばらく駅の賑やかな喧騒に身を浸す。
それが心の整理にちょうど良かった。
〈久瀬だ。今日、少しだけ話せるか?〉
送信した瞬間、心臓が跳ねる。
俺が勝手に動くのは違うかもしれない。そんな不安もあったが、それ以上に確かめたい気持ちが強かった。
もう、外側にいるのは嫌なんだ。
数分後、返事が来る。
〈終わるの九時だけど、それでもいいのなら〉
〈わかった。待ってるから〉
空を見上げれば、夕闇の色が少しずつ街に沈んでいく。
「悩みって……案外、些細な誤解の積み重ねなのかもな」
俺は誰より知っている。
“小さな誤解”こそが人を傷つけることを。
*
バスのロータリー。
塾帰りの学生たちが、駅の光へ吸い込まれるように消えていく。
「ごめんなさい、待たせたわよね」
「俺が待つって言ったんだ。気にしないでいい」
白咲は軽く息を乱し、胸に参考書を抱えて駆け寄ってきた。
制服の上の薄手のカーディガンが夜風に揺れる。
「ここの塾に通ってるんだな」
「ええ、英語がわかりやすくて」
軽い会話のあと、俺は隣を示す。
白咲は一瞬だけ躊躇ったように視線を落としたが、さっと埃を払って、丁寧な所作で腰を下ろした。
そういやファミレスの時は横には座ってくれなかったな。
沈黙が落ちた。
俺も白咲も、話す内容を分かっていたからだ。
訥々と、口を開ける。
最初はバスの音にかき消されるほど小さかった。
「白咲のこと、ちょっと気になってな。湊のことで無理してないか……って」
言って横目に見えた白咲の表情に、俺は息を詰まらせた。
普段の凛として堂々とした面影はなく、どこか触れれば壊れてしまいそうだったから。
「心配……させてるわよね」
「まあな。明らかに元気ないだろ」
「私ってわかりやすいかしら」
ふふ、と声だけの乾いた笑み。その笑みは寂しさの形をしている。
言い淀んだ。
だが首を振って、手の甲をつまむ。
「話は聞いてる。去年の夏、湊に何かがあった。そして、その時彼女だった白咲が関わっていることも」
「……聞いたわ。青海さんと黒羽くんが言い合いになって、そこに久瀬くんもいたのよね」
「ああそれだけじゃない。放課後、白咲と轟木が話している所も、悪いが盗み聞きした」
「そう……」
白咲はどこか諦めるように息を吐く。
わずかに口元が動き、その表情はまるで雨粒に濡れたガラスのように脆かった。
「なぜ俺から隠そうとする? 湊との未練を晴らしたいから、俺を頼ったんじゃなかったのかよ」
怒りはない。それでも声が強くなるのは置いていかれる痛みのせいだ。
白咲の肩が、小さく揺れる。
「頼ったのは本当。でもね、全部を話したら、久瀬くんまで"あの時の黒羽くん"みたいに巻き込むと思ったの」
「巻き込む?」
白咲は唇を噛む。
今にも滲みそうな、ぎりぎりのところで耐えている気配。
「久瀬くんは、自分でなくても背負う人よ。黒羽くんがそうだったみたいに」
その言葉に、動揺で喉が絞まる。
どうして、その湊の弱さを白咲がそんなに知っているのか。そこにどんな後悔があるのか。
「私はね、また……同じことを繰り返したくないの」
白咲は目を伏せて、指先をぎゅっと握りしめた。
「私のせいで誰かが壊れていくのを、二度と見たくない」
その一言に、夜風がざわりと動いた。
『私のせいで』
過去形で放たれたはずなのに、どこか現在まで続く痛みのように聞こえた。
「だから俺から隠したのか?」
こくり、と頷く。
「危ないのよ。あなたは優しすぎるから」
自嘲するような笑みが一瞬だけ浮かび、すぐに消えた。
俺が優しすぎる?
「……違う」
間違っても言わないでほしい。
俺は俯いた白咲を目で刺した。
「俺は自分の意志でここにいる。誰かに押し付けられたわけでもない。湊のことを知りたいと思ったのも、白咲たちの未練を晴らすと決めたのも全部──俺自身の選択だ」
白咲の瞼が瞬く。少しだけ、驚いたように。
「でも……」
「巻き込みたくないって、言ったな」
続きを遮るように、俺はゆっくりと言った。
「巻き込まれる覚悟くらい、もうできてる」
白咲の呼吸が止まった。
「あの日……自責に囚われていた俺に『逃げないで』って言っただろ。あれ、俺にはずるい言葉だったんだ」
ようやく視線が重なる。
怯え、迷い、望み。いくつもの感情が渦を巻いていた。
「どうして……そんなこと言うのよ」
その声は弱くて、掠れていて。
「俺は、白咲が何に怯えているのか知らないまま背中を向ける方が、ずっと嫌だ」
そして最後に、俺は言う。
はっきりと、目を離さずに。
「俺を頼れ、白咲」
真っ直ぐに言い放たれた俺の本心は、白咲の胸の中でじんわりと広がっていった。
ゆっくりと瞼を閉じる。
それは諦めでも、開き直りでもなく、覚悟に似た動きだった。
「……わかった。話すわ」
落ち着いた声ながら、震えている。だが。
「全部は無理。でも……隠してばかりじゃ、前に進めないものね」
どこか晴れた顔つきでそう告げられた。
白咲は膝の上で手を重ね、深く息を吸い込んだ。
「去年の夏、黒羽くんに起きたこと──私が、どうしてあの選択をしてしまったのか」
少しだけ間が空いた。
そしてゆっくり、言葉が落ちる。
「本当の始まりはね、私があの日、"言うべき言葉"を黒羽くんに言えなかったことからなの」
その言い回しは告白でも、謝罪でもない。
後悔がそのまま形になったような、痛む記憶そのもの。
ベンチの上で、音が消えるような静けさが訪れた。
俺は息を呑み、白咲の次の言葉を待った。




