7話 思い出の場所で
波風に誘われて、海の音が気持ちよく耳を撫でていく。
水平線に段々と居場所を奪われていく太陽は、最後の光を真っ直ぐ放っていた。
──懐かしい
さっきまでの騒がしさや胸をざわつかせていたものが、ここでは嘘のように静かだった。
「どこに向かうのかと思えば……お前」
「昔ようここで遊んだらしいやんけ」
学校からバイクを走らせ数十分。
海岸沿いの道路から景色が見えた瞬間、言いようのない落ち着かなさが込み上げた。
てかこの男、本当に俺を走らせやがって。
後ろに乗せてくれてもよかっただろ。
温かい砂浜に足を沈ませる。
寄せた波がその上をさらっていく。
俺と湊が昔、くだらない話ばかりしていた海だ。
「夏でも冷たいもんやな。かけ合いっこでもするか?」
「よせよ。子供じゃないんだし」
杉山は無邪気に海を楽しんでいる。
どういうつもりだ? 湊のことで話があったんじゃなかったのか。
「湊な、今でもよう俺を誘ってここに来るんやで」
「……え?」
水滴が一粒、杉山の眼鏡から落ちる。
柔らかい笑みの奥、妙に鋭い理知的な瞳。
「楽しかったこととか悩み事とか、なんでも話したわ。青春って感じするやろ」
「それはまぁ、そうだが」
「でもな、思い出話してるときが、湊いっちゃんキラキラしてんねん」
「思い出話?」
「ああ、お前のな」
息が一瞬止まった。
杉山は鼻で笑って俺の顔色を伺う。
「やからお前のことが知りたい思たんや。まずはそれからや」
波を逆らうように、杉山は砂浜へと戻り腰を下ろす。
ひょいと手招きされ、俺は促されるまま横に座った。やけに大きく見える彼を疑心暗鬼で。
「ぶっちゃけ久瀬のことは何も知らん。クラスも一緒になったことないし……お前、わざと湊を避けとったやろ」
「俺にだって理由はあるんだよ」
杉山が俺と湊の過去をどこまで知っているのかわからない。
だが察している、そんな匂いだけはした。
「だから、今が良い機会なんだ。逃げ続けるのはもうやめにして、俺は湊との過去に向き合いたい」
杉山が目を丸くする。
「……お前、やっぱ第一印象とは違うな」
「は?」
「遠目で見てる限り、人情薄いやつやと思ってたわ。常に人の目気にして、自分に自信がないから過度に距離を取るタイプやって」
反論できない。俺はそういう人間だ。
湊から逃げ続けた挙句、他者との関わりを過剰に気にしてしまうようになった。
「でも、今日のお前を見てると、なんか……違うな」
「……何が言いたい」
「お前、湊のこと、どこまで知ってるん?」
真剣な目。
今のお前となら話ができる、そう言われているような気がした。
「ほとんど何も。だから、知りたいと思ってる」
本当に、これ以上はごまかしようがない。
杉山はふっと苦笑して、小さく頷く。
「正直やな。知らんくせに知った気になっとるやつより、ずっとマシや」
軽く言うくせに、目だけは笑っていなかった。
沈黙が流れる。
静かな夕凪みたいに、音のない数秒。
「去年の夏……あれは、湊にとって"全部がひっくり返った日"やった」
いきなり核心に触れる言葉が落ちてきて、俺の喉がひくりと動いた。
「どういう意味だ」
「意味なんか、俺にもうまく説明できへん。ただな……」
杉山はゆっくり空を見上げる。
茜色に染まった電線の上で、カラスが何羽も鳴いていた。
「湊はな、"自分の正しさ"が誰かを傷つけるんが怖いんや」
嫌な音が鳴る。
どこかで聞いたことがあるようで、今まで理解できていなかった言葉。
「あいつは物静かやのに、ほんまは不器用で優しい。人の裏もよう見抜くくせに、肝心なとこでは自分の方を傷つけてまうタイプや」
昔から変わらない湊の性格。
淡々としているのに、声の奥に後悔の節が陰った。
「……去年の夏、あいつは一回全部投げ出したんや。正しさも、優しさも、恋も、人間関係も。『誰も救えなかった』って思い込んでしもてな」
杉山はまた苦く笑った。
「実際には、救おうとすらできへんかったんは、むしろ周りの方なんやけど」
それは轟木の顔も、白咲の迷いも、もちろん杉山自身にも、全部の端っこが繋がる気がする言葉だった。
だけど――俺は口を開く。
「杉山。湊は俺の話を、どんな顔でしてる?」
杉山が一瞬目を細め、息を呑んだ。
その反応だけで、更に決意は固まる。
「……それを聞くあたり、ほんまに向き合う気なんやな」
「誤魔化しても変わらないだろ」
言葉が自然と強くなる。
『救う』なんて大それた言葉を口にする気はない。だが、これだけは言える。
「俺が知らなきゃ進めない。あいつが何を抱えてるのか、せめて知るところまでは……俺の役目だと思ってる」
一度俺は湊の何かを壊した。
そして去年の夏、繋ぎ止めていた糸がまた切れた。
三人と別れた原因も必ずそこにある。
あいつの中で、何か引っかかりがあることは確かなんだ。
本心を守るための何かが。
「白咲と轟木、お前を巻き込みたがらん理由がわかるわ。お前がまさか、真正面から踏み込んでくるタイプやとはな」
「踏み込まなきゃ、何も変わらないだろ」
自分でも驚くくらいはっきりと言えた。
今はとても自信を持って、想いを口に出せる。
「教えろよ杉山。白咲たちが俺を巻き込みたがらないのは、俺が関わってるからなんだろ? 俺をここに連れてきたのは、伝えたいことがあるからなんだろ?」
──なあ、教えろよ。
声が擦り切れるくらい必死だった。
相談援助を頼んできたくせに、いざ根幹に触れるとなればあいつらは俺を遠ざけようとした。杉山も、前置きを長引かせてる。本質は他にあるはずなのに。
俺の説明しずらい怒りとも敵対心とも見える顔を見て、杉山も表情を変えた。
腕を組み、俺の言葉を噛みしめるように目を伏せてから。
「久瀬、本気で知りたいんか? 優しさとか、綺麗事とかじゃなくて――湊の痛みに触れる覚悟、ほんまにあるんか?」
その問いは、思った以上に重かった。
だが、逃げ道がどこにもないくらいに、俺の気持ちは決まっている。
「ある。……いや、欲しい」
言葉にした瞬間、胸の奥のもやがひとつ抜け落ちたような気がした。
杉山の表情が少しだけ緩んだ。
「そっか。そんなら、いつか全部話したる。全部知ったうえで、湊と向き合えるようになったらな」
「今じゃない」と言われたことに、悔しさはある。
でもそれ以上に、先が見えた気がした。
「……あとな、ひとつだけ」
確定情報――わずかな一滴が落ちる気配がした。
「去年の夏、湊は誰かの『本心』を信じた。それが全部の間違いやった」
「誰かって……それって」
「それはお前自身で探せ。そない単純な話やないけどな」
頭の中が蠢く。白咲か、轟木か、それとも他の誰かなのか。
「白咲のことなんやが」
思いもよらない名前に、俺の足が止まる。
「あいつが一番、心に傷を抱えとる。湊との未練、晴らしたいって言われてねんやろ?」
「ああ。俺は頼られると、断れない性格でな」
「やと助かるで。お前には……多分、白咲の未だに正しく言葉にできひん後悔を、引き出す力がある」
「そう言ってもらえると、心強いな」
俺がどん底に落ちたた時導いてくれた彼女を、俺が今度は導きたい。未練を晴らしてあげたい。
俺は短く息を吸い、杉山に告げる。
「行くよ。俺は──もう、外側にはいない」
夕闇の中で、杉山は満足げに頷いた。
「それでええ。お前はそうでなきゃな」
俺が一歩を踏み出した背後、杉山が独り言のように、小さな声で言った。
「湊が言ってた『あいつは誰よりも、誰かを思ってる男なんだよ』って……ほんまかもな」
口角をにっと上げて、俺の後ろに続いた。
「後ろ乗ってけや。帰りぐらい乗せたるわ」




