表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/19

6話 外側の景色


青海と轟木をどうにか落ち着かせ、それぞれ帰した――はずだった。

 

なのに、その後の一日は妙に短くて、やけに重い。

 

胸の奥にずっと沈殿しているのは、言葉にならない違和感だ。

 

轟木の負い目。青海の知りたい真実。杉山が察している何か。

 

──そのどれにも、俺だけが触れられていない。

 

置き去りにされている気分だった。


「……俺が今まで、湊から目を背けてきたから、か」

 

ぽつりとこぼれた言葉は、自嘲でもあり、焦りでもあった。

 

気付けば放課後。

西日が廊下を長く染め、影が揺れながら足元を引っ張っている。

 

その影の端を踏みながら、俺は思う。


「湊。もう、知らないままじゃいられない」

 

去年の夏。そして白咲。あの拒絶の理由も。


"知らないほうが優しさ"だなんて、そんな余裕はもうなくなっていた。



   *



雑用を任されて、職員室に白咲はいると聞いたのだが、そこに彼女の姿はなかった。


担任によれば、もう教室へ戻ったらしい。


「すれ違った?」

 

嫌な胸騒ぎが引っかかる。

下駄箱で待ってみるか、そう考えた時だった。

 

廊下の奥から、押し殺したような声が聞こえた。


「……だから言ってんだろ。あれを掘り返さなきゃ、あたしたちは変われねぇって」

 

轟木だ。


続くのは、淡々とした切れ味を持つ声。


「決めるのはあなたじゃないわ、轟木さん」

 

白咲──。

 

心臓が跳ねた。

反射的に階段の影へ身を寄せる。

 

二人が向かい合っていた。人気のない夕方の廊下で。


いつもの柔らかな白咲の笑みは消えている。

逆に氷のような瞳が轟木を射抜いていた。


「お前が一番よくわかってんだろ!? あの日、黒羽の側にいたのは白咲じゃねぇか!」


「……ええ。彼女として、彼を理解してるつもりだったわ」

 

白咲は短く言い放ち、視線を伏せる。


轟木は更に一歩詰め寄った。


「つもりって、なんだよ。久瀬に話さなかったのもそれが理由か? 相談援助を頼んだ上で」


「口裏を合わせるのは、あなたも賛同してたじゃない。久瀬くんを巻き込まないって」


「それは……そうだけどよ。でももう隠し続けられる状態じゃねぇ」

 

言葉の温度が上がる。しかし、言っている意味の全部はわからない。

 

ただ一つだけ確かだ。

俺は、知らされていない。


遠くで言い争う声が響いているはずなのに、耳鳴りがして聞き取りづらい。

 

自分だけ、透明になったみたいだった。

手を伸ばしても届かない輪の中で、また俺だけが置き去りになっている。


胸がざわつく。やるせなさがまた重く沈んだ。


「久瀬を巻き込んだ理由、わかってんだろ? 黒羽を……"あの日のまま"にしたくなかったからじゃねぇのかよ」


「でも……久瀬くんは、この件に巻き込みたくないの」

 

白咲は耳元で自分に言い聞かせるように呟いた。どっちつかずの矛盾した論理を。

 

その眼差しは、迷いに沈んでいる。

 

俺の知らない何かが二人の間にある。

去年の夏の出来事に、俺の知らない決定的な理由がある。

 

このままじゃ、俺はずっと外側のままだ。


「お前がその気なら、黒羽はずっと壊れたままだぞ」

 

白咲の目が揺れた。否定できない、痛むような色。


「壊れたんじゃ……ない。あの日、壊したのは……」

 

言いかけ、唇を噛んで黙る。

 

轟木が低い声で続けた。拳を力強く握って。


「お願いだ。白咲に、全部を投げさせてくれ。臆病者で……ごめん」

 

轟木らしくない、弱気な発言。

自己罰が積み重なっている。


「黒羽を傷つけたくないんだ。あたしがこの件に介入すると、きっとまたあいつは……」


「あの日のことは"誰も正解じゃなかった"。だからこそ、簡単に触れてはいけないと思うの」


「それじゃあほんとに……あたしたちは、目を背けたままじゃねぇか」


「……そうね」

 

白咲は窓の外を見つめる。

遠く、淡い記憶をなぞるような、酷く憂いた顔で。

 

胸がざわりと音を立てる。

 

なんだよ、それは。

結局、逃げ続けるのか? 二人とも、未練があるから俺を頼ったんじゃなかったのかよ。

 

とんでもない疎外感に、口の中が鉄の味で満たされていく。説明のつかない怒りがこみ上げてくる。


「二人だけで勝手に決めるなよ!」

 

答えを求めたくて、影から飛び出しかけた瞬間。

 

俺の想いに呼応するように、二人の間へ割って入る人影が見えた。


「……どうしてですか」

 

青海だった。

 

今の俺と同じ顔。同じ瞳。同じ声色。

二人に異を唱える真っ直ぐな線で、今もなお赤い目尻のまま叫んだ。


「どうして二人とも、湊くんのこと……隠す側に回るんですか!」


「あなたには関係ないわ」


「あります! 大ありです!」

 

青海の足は震えているが、不思議と強い。


「私、湊くんの"今"を見てきました。でも先輩たちは"あの夏の後悔"だけを見てる!」


「分かってねぇな。できるならとっくに助けてる!」


「できないんじゃなくて、怖いんでしょう!? 湊くんを、また……失うのが!」

 

轟木が言葉を詰まらせる。

白咲は何か言いかけて、目を伏せた。

 

夕日の影が揺れ、三人の輪郭だけが濃くなる。

 

感情はぶつかっているのに、何一つ形になっていない。誰も核心を言わず、ただ苦しそうに立ち尽くすだけ。


目の前で起きているのに、俺には何もできない。声を張り上げることも、間に入ることもだ。

 

三人の影だけが濃くなっていくのを、ただ眺めるしかなかった。


「白咲先輩……湊くんを傷つけたのは、あなたなんですか?」

 

青海の問いに、空気が凍る。


白咲は唇を噛み、答えられずにいた。


「青海、やめろって」


「やめないです。その時、付き合っていたのは白咲先輩なんですよね」


「そうだけどよ……なんで」


「私は、湊くんを救いたいんです」

 

青海は引き下がらない。


去年の夏から変わった、そんな湊を愛したのは青海だ。二人よりも今の湊の全てを見てきた。


その中で気付けなかった自分への後悔もある。


青海が向き合っているのは、罪悪感や未練だけじゃない。


湊本人なんだ。


「なんで黙るんですか!?」


「もう止めろって。白咲だって――」


「いいの、轟木さん」

 

小さくかぶりを振り、白咲が静かに言う。


「私は……あの時、間違ったのよ」

 

白咲が背を向ける。

寂しげに髪を流し、その後ろ姿は痛いほど弱々しかった。


「待ってください――白咲先輩!」

 

青海の声が響く。その必死さに、轟木も言葉を失う。


俺はその場に取り残されたまま、息をするのも苦しくなる。

胸がつかえて、声を出そうとすると喉が痛んだ。

 

どうして俺だけが外側なんだ。

どうして、誰も俺に言ってくれなかったんだ。


いや……また知らないままじゃいられない。

立ち止まってていいはずがない。

 

追いかけようとして。しかし、その行く手を阻むかのように。


階段の上から、足音が一つ。

ゆっくりと降りてくる気配がした。


影が伸び、俺の足元に落ちた。


「よう、久瀬直人」

 

頭上から振ってきた声に、振り返る。


「杉山……?」

 

バイクのヘルメットを肩に担ぎ、階段の上に立っていたのは杉山颯太だった。

 

ほとんど話したことはない。今朝が本当に久しぶりの会話で。

 

湊の今の親友と、過去の親友という関わりで繋がっているだけだ。


「お前、行く気やろ。三人のとこ」


「悪いが今、お前と話してる暇は」


「わかっちょるよ。あいつら、今にも壊れそうやしな」


軽い口調。だが口元だけだ。

視線は俺を真っ直ぐ刺してくる。


「去年の夏のこと、やろ」

 

足が止まった。嫌でも耳が傾く。


「話が早いのは助かるで?」


「止めようとしても無駄だ。俺は行く」


「止めるんちゃう。話がしたいだけや、お前とな」

 

杉山はヘルメットを指先でとんとん、と叩いた。


軽い動作のくせに、彼の意図が透けて見えるようだった。


「湊のことで、お互い知らんことも多いやろ」

 

視線がぶつかる。

杉山の目が、逃げ場を塞ぐように俺を捉えた。


「面貸せや、久瀬」

 

俺は首を縦に振った。

言葉にしなくとも、お互いの意思が通じ合う。


「なぁ久瀬。お前……湊が何を怖がっとるんか、もう気づきかけとるんちゃうか?」


「……さあな。知りたいとは思ってる」

 

自分でも驚くほど、声が乾いていた。

 

俺は何を知らない? あの日、何があった?

 

杉山の問いかけは、まるでその答えの入口のようだった。

 

それぞれの思惑に、俺は片足を踏み出した気がした。


ずぶずぶの、泥濘の中へ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ