表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/19

3話 静かな拒絶


翌朝。

教室へ続く廊下は、やけに長く感じた。


昨日の帰り道で白咲に告げた言葉。


『距離を置く。それが湊のためだ』


自分で言ったくせに、半分は嘘だと気づいている。 でもその嘘だけが自分を保たせている。


扉を開くと、白咲が振り返った。眉がほんのわずかに揺れ、探るような迷いを落とす。


「……おはよう」


昨日とは違う、弱く覇気のない声。不自然なくらいだ。


「……ああ」


返した声はとても固く、酷く遠い。

白咲は何か言いかけて、数センチだけ身を寄せたが。それでも躊躇して、元の姿勢に戻った。


その“諦めるような一瞬”が、突き刺さった。





一時間目、二時間目と過ぎるにつれ、周囲に流れる空気が徐々に変わっていく。


「なあ久瀬、昨日のことなんだけどよ」


休み時間、廊下で轟木に呼び止められた。


いつも強気な彼女が、気まずそうに視線を泳がせている。


「……悪い。今、誰かと話す気分じゃないんだ」


言ってすぐに、自分の声に自分が驚いた。冷たくて、拒絶だけでできている。


轟木が一瞬、固まる。

その眉が怒りと戸惑いの間で震える。


「え、いや……でもよ」


「頼む」


その二文字が、刃物のように相手を切った。


轟木は歯を食いしばって。


「はぁ? ……お前さ」


怒りに任せて離れるかと思った瞬間、

轟木は胸ぐらを掴む勢いで俺を見上げた。


「……ほんとは、今日、お前に聞きたいことあったんだよ。あの時、黒羽のこと……あたし知らないことが多すぎてさ。でも」


強い視線が俺を射抜く。


「逃げてんのは……お前の方だろ!」


胸の奥に、抉るような痛み。

だが俺は何も返せなかった。


轟木は苛立ちを隠さず言い捨てる。


「意気地なしが! お前を頼ったあたしがバカだったよ!」


怒鳴る声の裏に、小さな悔しさが滲んでいた。


振り返った頃には、彼女の背中はもう角を曲がり消えていた。

小柄なのに、いつもよりずっと遠く見えた。



*  



昼休み。  


食堂で青海と鉢合わせる。

周りには毛色の似たギャルが数人。


友達と笑っていた彼女は、俺を見るなりピタリと表情を止めて近づいてくる。


「暗い顔してますね先輩。そんな顔してると、幸せが逃げちゃいますよ〜」  


「元々こんな顔なんだよ」


「飴でも食べます? 今日の私のラッキーアイテム、お裾分けしてあげますよ」


青海は自分の舐めていた飴をぺろっと俺に向ける。


「せめて新品で頼むわ」


「まさかこれを渡されると思ったんですか? わー、いやらしい」


いつもの調子だ。

わざと軽い雰囲気を作っているのが、逆に痛い。


「で、どれにするんです? きつね? わかめ?」


青海は券売機の前で首を傾げる。

小さく笑って――それでも、何度も俺の顔を探っている。


「……先輩は、私たちが迷惑ですか?」  


ほんの少し、濁る声。

空虚にも、券売機の音が鳴り響く。


「そんなんじゃない」


「だったら改め直してください。私は、先輩と一緒に向き合いたいです」


「俺とお前は、抱えてるものの種類が違うだろ」


「でも"行きたい場所"はきっと同じです」  


食い下る青海。

まつ毛はわずかに震え、握りしめた手の甲が白くなっていく。  


違う。本当は違うんだ。

湊のためと言いながら、自責に縛られてるのは理解してるのに。


「俺はもう、関わる資格がないんだよ」  


口にすると同時に、喉の奥が冷たくなった。

青海の顔がわかりやすく沈む。


「……それでも、逃げ続けるのはカッコ悪いですよ」


その言葉は真っ直ぐで、痛かった。


「私は、先輩とは違いますから。湊くんと──」


言いかけて、飲み込む。

その一瞬だけ、彼女の横顔から強がりが落ちた。


青海は友達の輪に戻っていく。

だが、昼の喧騒に溶けない孤独が背中に残っていた。





「これで、良かったんだよな……?」  


木漏れ日のベンチで、頭を抱えた。

グラウンドから聞こえる笑い声が、煩わしいほど明るい。


悩んでも答えは出ない。自分の選択が正しいのかもわからない。


——誰でもいい。俺を叱ってくれ。向き合ってくれ。

じゃないと、俺は一生このままだ。


「久瀬くん」


祈るように俯いた視界に、影が差した。

白咲だった。


光の筋が髪を縁取っているのに、表情は晴れていない。


「話、いい?」


「言っただろ。俺はもう、お前らと」


「距離を置きたいのよね。それ対しては、もういいの」  


白咲は言葉を遮り、歩み寄る。

足音は落ち着いているのに、瞳だけが鋭い。


「でもね、理由を聞いてない」


「理由なんて……」


「無理して答えなくてもいいの」


白咲がふっと目を伏せる。

その仕草が、いつもより少し弱かった。


「私も本音を、言えなかった身だから」


意外だった。

完璧な優等生に見えていた白咲が、そんな弱点を口にするなんて。


「でも、あなたが昨日からずっと……誰にも会いたくない人の目をしてるから」


白咲は顔を上げ、もう一歩だけ近づく。

逃げ場を塞ぐように。


「怖いけど、それでも聞くわよ。黒羽くんと昔何があったの」


「なんで白咲に言わないといけないんだ」


「昨日の顔で、よく反発できるわね」

 

白咲の視線が細く絞られる。


「久瀬くん。あなた、逃げてる」


「そんなこと、とっくにわかって」


「私たちからじゃない。黒羽くんからでもない。いちばん逃げてるのは、自分自身よ」

 

耳障りな、透き通りつつも強い声。

的を射すぎていて、息が詰まる。


「放っといてくれ。俺と白咲たちは、特にそんな……本音を晒すような関係じゃないだろ」


「そうね。まだ知り合って間もないし」


白咲はあっさり認める。


「だったら、なんなんだよお前らは。別に仲良くなろうとか、助けたいからだとか、そんな綺麗な理由じゃないだろ? 何がお前たちを動かす。なぜ俺に寄り添おうしてくる!?」

 

俺なんて──


「放っておけるわけないでしょ!」

 

声が弾けた。白咲がこんな声を出すのは初めてだった。


唖然とする俺を無視して、言葉を続ける。


「相談したのは私たち。確かに、関わる理由はそれしかない」


「だったら俺のことは」


「でもね」

 

白咲は言葉を詰まらせ、袖をぎゅっと握る。


「黒羽くんのことになると、あなたがそこまで壊れそうになる理由……知らないままでいるのは、もっと嫌なの」


胸を抉られるような静寂。


逃げられる空気じゃなかった。

白咲は怒っているわけでも、泣きそうなわけでもない。


ただ“怖さを抱えたまま踏み込んでくる”その姿勢が、逆に強かった。


「……直人」

 

名前を呼ばれた。苗字ではなく"名前"で。

呼ばれただけなのに、不思議と肩の力が抜けていく。


「話して。苦しくない範囲でいいから。じゃないと、あなたは一生このままよ」

 

白咲の声は穏やかで、拒む余地がなかった。

 

瞼を閉じる。

胸の奥の、錆びた蓋が軋むような感覚。


「一生このまま、か」

 

逃げてばかりいた言葉が、どうしようもなく口の奥からせり上がってきた。


「湊に……あの日、俺は言ったんだ」

 

喉がひりつく。声を押し出すだけで苦しい。


「もう『無理して笑うな』って」


白咲の目が揺れた。

それが同情じゃなく、理解しようとする揺れに見えた。


「それだけ、じゃないんだよ」


言いながら思い出す。


卒業式。湊は最後まで“誰の邪魔にもなりたくない”みたいに、ずっと笑っていた。


昔からそうだった。誰かのために笑って、誰かに合わせて、自分の本音を隠す癖。

それを見抜けていたのは、俺だけだった。


「あいつ、前日に言ってたんだ。『最後くらい、ちゃんと笑って終わりたい』って。……俺は、それすら否定したんだよ」


白咲は唇を噛み、拳を胸元で握った。


責めていない。否定もしない。ただ、受け止めるためだけの沈黙。


「そしたら湊は……急に何も言わなくなってさ。集まる約束も全部断って……」


俯き、苦笑のような声が漏れる。


「俺のせいで、あいつは変わった。俺の一言が、何かを折ったんだ」

 

白咲はそっと息を吐いた。

少し震えていたのは、きっと俺の話に心を揺らしているからだ


「ありがとう、話してくれて」

 

白咲の声は小さいのに、確かな温度があった。


「ありがとうなんて、よく言えるな。白咲たちが別れた原因も、俺にあるかもしれないのに」


「どうかしら」


白咲は顔を上げ、まっすぐ言う。


「恋愛って、そんな単純じゃないわよ」

 

後ろめたさのない、前を向いた物言い。

 

白咲は俺と違ってちゃんと向き合おうとしてるのだ。

 

芯がある彼女の姿勢が、眩しかった。


「最後に、一つだけ言わせて」

 

目を逸らさず、白咲は俺の正面に歩み出る。


「あなたが悪かったかどうかを決めるのは──黒羽くんよ」


「……っ」

 

脈が大きく波打った。


「久瀬くんの罪は、あなたが勝手に背負ってるだけ。そのせいで遠ざけるのは……間違ってる」

 

白咲は息を吸い、静かに締めくくった。


「あなたは黒羽くんを傷つけたかもしれない。でも今、傷ついてるのは……『あなた自身』よ」

 

はっと目が覚めるようだった。

初めて誰かに核心を突かれた気がした。


「……すまない。少し時間がほしい」


「いいの。でも逃げないで。轟木さんも、青海さんも私だって、怖いけど――あなたを放っておきたくないから」

 

白咲はそう言って、静かに背を向けた。


去っていく姿は芯があって、それでいてどこか弱く、だからこそ嘘がないと思えた。


残された俺は、深く息を吐く。


逃げられない。誰も俺を見捨てない。


その事実が……どうしようもなく温かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ