第3話:土下座の天才、多額の賠償金を背負う
「……え?」
俺の視界の端で、黄金色に輝くシステムログが明滅している。
『固有ユニークスキル:万象交配が発動しました』
聞いたこともないスキルの名前。
だが、それをじっくり考察する余裕なんて、今の俺には一秒すらなかった。
目の前では、エドワーズ男爵が今にも俺をその場で切り捨てんばかりに顔を真っ赤に染めている。
私兵たちの突きつける剣先が、俺の喉元をチクリと突いた。
緊迫した空気の中、背後の魔導羊たちが怪しい緑色の光を放ち始めているが、男爵たちの目には、ただの「魔力の暴走」か何かにしか見えていないようだ。
「言い訳は不要だ、下俗なテイマーめ! 我がエドワーズ家の誇りであり、この街の至宝たる魔導羊の純潔を、よりにもよってそのような薄汚いゴブリンに汚させるとは……! 万死に値する!」
「ま、待ってください男爵閣下! 誤解です、これには深い海より深い、天をも穿つような事情が――っ!」
ここで怯んだら本当に奴隷鉱山送りだ。
俺は幼い頃から才能がなく、ギルドでも数々の理不尽に耐え抜いてきた。
その結果、俺に備わった唯一の超人的な戦闘技術(?)がある。
それが、――『超高速・神速土下座』。
ダンッ! と激しい音が小屋の中に響き渡る。
俺は寝巻きの膝を強烈に床へ叩きつけ、額をエドワーズ男爵の磨き抜かれた高級革靴の数センチ手前に叩き落とした。
その角度、完璧な九十度。
額が床を打つ綺麗な音が鳴り響く。
「大変申し訳ございませんでしたぁぁぁぁぁぁッ!!」
「な、何奴っ!?」
あまりの滑らかさと速度に、男爵が一歩後ろにのけ反る。
私兵たちも、攻撃されたわけでもないのに一瞬剣を引いてしまった。
「すべては俺の監督不届き! このゴブリンの首輪に仕込まれた魔導回路の、一時的なバグによる暴走にございます! 決して男爵閣下への敵対心や、牧場への悪意などではございません! この通りです、どうか、どうかお慈悲を……!」
額を床に擦り付けたまま、俺は必死に言葉を紡ぐ。
声のトーン、震え具合、被害者への哀悼の意。
すべてがFランクテイマーとして培ってきた「生き残るための処世術」の結晶だった。
「ふ、ふん……! どんなに美しく頭を下げようと、犯した罪は消えん! 散々弁明したところで、現実に我が牧場が受けた損害はどうするのだ!」
男爵がふんぞり返り、冷酷に言い放つ。
「この魔導羊たちは、国を代表する魔導繊維の最高級ブランドなのだ。特にあの女王羊は、一頭で家が建つどころか、一生遊んで暮らせるほどの価値がある。それが……このような正体不明の緑色の光に包まれ、魔力のバランスを崩しているのだぞ!? もし毛並みが劣化したり、最悪ショック死でもしてみろ!」
「うぐ……」
「器物破損、不法侵入、そして我が名誉への冒涜。……お前に免じて命だけは助けてやろう。だが、賠償金を支払ってもらう。その額、締めて――『百万円(100万ゴル)』だ!」
ひゃ、100万ゴル……!?
俺の頭の中に、冷たい計算式が走る。
Fランクのドブさらい依頼の報酬が、一回につき銅貨数枚(約50ゴル)。
100万ゴルを貯めるには、俺が不眠不休でドブをさらい続けても、およそ二百年はかかる計算だ。つまり、実質的な死刑宣告だった。
「三日だ。三日以内に頭金を入れねば、その日のうちに奴隷市場へ売り飛ばしてやる。おい、こいつらを地下の監禁室へ放り込んでおけ!」
「ギギ……?」
私兵たちに両脇を抱えられ、引きずられていく俺。
そんな絶望のどん底の中、当の元凶であるゴブ次はといえば、俺の懐の中で「一仕事終えた後の賢者タイム」のような、実にすっきりとした満足げな寝顔でスースーと息を立てていた。
「お前……本当に、絶対に許さないからな……!」
ガシャーン、と重い鉄扉が閉まる音がした。
連れて行かれたのは、牧場の地下にある、窓一つない冷たい石造りの監禁室だった。
藁が敷かれただけの床に放り出され、俺は頭を抱えてガタガタと震え始める。
終わった。
完全に人生詰んだ。
二十二歳、これからという時に、まさかゴブリンの夜這いのケツ持ちで奴隷に堕ちるなんて、前代未聞すぎる。
なろうの主人公なら、ここで隠されたチート能力が覚醒して大逆転、とかあるはずなのに、俺にあるのは『万象交配』とかいう、ゴブ次の性欲を肯定するだけの謎スキルだけだ。
「ギギ、キキィ」
監禁室の隅で、ゴブ次が呑気に伸びをしている。
あいつのステータスをもう一度確認するが、相変わらず【戦闘力:3】。
攻撃スキルは『ひっかく』のみ。
やはりどう見てもただの雑魚ゴブリンだ。
「おいゴブ次……お前、なんで羊なんか襲ったんだよ……。せめて、せめて戦ってくれよ……」
俺の声は、虚しく冷たい壁に跳ね返るだけだった。
そのまま、一睡もできないまま一日が過ぎ、二日が過ぎた。
差し入れられるのは、干からびたパンと濁った水だけ。
俺の精神はすり減り、いよいよ奴隷鉱山での過酷な労働生活を覚悟し始めた、まさにその時――。
運命の三日目の朝が訪れた。
バタンッ!! と、静寂を破って監禁室の重い鉄扉が、凄まじい勢いで跳ね開けられた。
ビクッと肩を跳ね上げる俺の目に飛び込んできたのは、息を激しく切らし、目が血走ったエドワーズ男爵の姿だった。
背後には、同じく狼狽した様子の一頭の老魔導医師が立っている。
「きたか……奴隷市場への連行の時間が……」
俺は諦め、力なく両手を差し出した。
だが、男爵は私兵に命じて俺を縛るどころか、猛烈な勢いで俺に掴みかかり、その肥満体の身体を激しく揺さぶってきたのだ。
「レ、レント君!! 君の、君のあのゴブリンは一体何なのだ!?」
「えっ? ひ、羊たちの命が……まさか、ショック死を……!?」
俺の背筋に凍りつくような恐怖が走る。
しかし、男爵の口から飛び出してきたのは、俺の予想を宇宙の彼方まで置き去りにする、驚愕の叫び声だった。
「逆だ! 逆なのだよ! 今すぐ小屋へ来てくれ! 大変なことが……歴史がひっくり返るような大事件が起きているんだ!!」
男爵の顔は、怒りではなく、見たこともないほどの『興奮と歓喜』で、ドス黒い赤色に変色していた。




