第4話:奇跡の3日後、緑色の仔羊たち
「逆だ! 逆なのだよ! 今すぐ小屋へ来てくれ! 大変なことが……歴史がひっくり返るような大事件が起きているんだ!!」
エドワーズ男爵の叫び声が、冷たい監禁室に響き渡る。
男爵の顔は怒りではなく、まるで世紀の財宝を発見した冒険家のように歓喜で歪んでいた。
俺と、俺の懐でのんびりとアクビをしているゴブ次は、私兵たちに引きずられるようにして、三日前と同じ『魔導羊』の家畜小屋へと連れ戻された。
「……え?」
小屋の扉が開いた瞬間、俺の口から間の抜けた声が漏れた。
三日前、ゴブ次に夜這いをかけられ、怪しい緑色の光に包まれていたあの純白の魔導羊たち。
彼女たちの周囲が、信じられない光景で埋め尽くされていたのだ。
メェー、メェー、と高く可愛らしい鳴き声が、あちこちから聞こえる。
生まれたのだ。
それも、異常なまでの数。
通常、魔導羊は一度の出産で一頭、多くて二頭しか産まない。
それなのに、小屋の中にいる十数頭のメス羊たちが、一頭あたり五〜六頭の『仔羊』を足元に侍らせていた。
だが、何より異常だったのは、その仔羊たちの姿だった。
「み、緑色……?」
そう、生まれた仔羊たちの毛並みは、本来の純白ではなく、まるで極上のエメラルドを紡ぎ合わせたかのような、深く美しい『深緑色』をしていた。
しかも、その頭部には、ゴブリン特有のツンと尖った耳が小さく生えている。
「レント君、見るがいい! この子たちを!」
男爵が興奮のあまり、俺の肩をバシバシと激しく叩く。
「ただの緑色の羊ではない! この老医師の鑑定によれば、この仔羊たちの体内には、通常の魔導羊の【十倍】……いや、測定不能なほどの爆発的なマナが内包されているのだ! 毛並みの輝き、魔力の純度、すべてが過去のどの最高級ブランドをも凌駕している!」
「じ、十倍……!?」
俺は唖然として、隣に立つ老魔導医師を見た。
医師は震える手で眼鏡を押し上げ、何度も何度も鑑定の魔導具を確認しながら、涙を流していた。
「信じられん……信じられん種族じゃ……。魔導羊の持つ『魔力伝導性』と、ゴブリンの持つ『驚異的な生命力・繁殖力』が、奇跡的なバランスで融合しておる。本来、種族の壁を越えた交配など不可能なはず、万が一生まれても奇形か死産になるはずなのに……! この子たちは完璧な健康体だ。それどころか、通常なら成体になるまで数年かかる魔導羊が、生まれてわずか三日で、すでに草を食べ、魔力を循環させ始めておる!」
三日で……。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に、あの忌々しくも輝かしいシステムログが蘇った。
『固有ユニークスキル:万象交配』
これか。
これが、あのスキルの効果なのか。
生物の限界を、種族の壁を、世界の法則をすべて無視して、【相手の特性を引き継いだ、完璧な新種を爆発的に増殖させる】能力。
戦闘力わずか3の、戦闘訓練から逃げ回ることしか脳にないクソ小鬼が持っていたのは、世界の生態系を根本から書き換えてしまうような、神の領域のブリーディングスキルだったのだ。
「ゴブ次……お前、本当にただの変態じゃなかったんだな……」
俺が呆然と懐を見下ろすと、ゴブ次はフンスと鼻を鳴らし、自分の息子(?)や娘(?)である緑色の仔羊たちを、どこか誇らしげに見つめていた。
「レント君! いや、レント殿!」
エドワーズ男爵が、突然俺の手を両手で激しく握りしめてきた。
その目は完全に、莫大な利益を生み出す『金の卵』を見つけた商人のそれだった。
「この新種――仮に『エメラルド・ウール・シープ』と名付けよう。この羊の毛皮が一枚あれば、王都の宮廷魔術師たちが全財産を投げ打ってでも買いにくる! この街全体の経済がひっくり返るほどの価値があるのだ! 賠償金? 100万ゴル? ははは、そんなものは冗談だ! 完全帳消し、いや、むしろ私から君に投資をさせてほしい!」
「と、投資ですか?」
「そうだ! 君のその素晴らしいゴブリン……いや、ゴブ次様を、我が牧場のすべてのメス羊たちと……いや、我がエドワーズ家が所有するあらゆる魔獣のメスたちと、今すぐお見合いさせてほしいのだ! 交配の手数料として、一回につき金貨百枚を支払おう!」
金貨、百枚。
俺が一生かかっても見ることのなかった大金が、ゴブ次が「一発やらかす」だけで手に入る。
奴隷鉱山送りからの、まさかの大逆転。
普通なら、ここでテイマーとして「俺の時代が来た!」と大喜びするところだろう。
だが、俺はゴブ次の飼い主だ。
あいつのあの、爛々と輝く『異常なまでの性欲のアンテナ』を一番近くで見てきた男だ。
金貨百枚は魅力的だ。
だが、あいつはエドワーズ男爵が用意した都合の良いメス羊たちだけで満足するような、そんな大人しいタマだろうか?
嫌な予感がした。
ゴブ次は今、男爵の言葉なんてこれっぽっちも聞いていない。
あいつの耳はピクピクと動き、その鼻は、遥か遠く――街の境界線の外、不穏な空気が漂う『魔の森』の方向から漂ってくる、さらに強烈で、さらに危険な『メスの匂い』を嗅ぎつけているようだった。
「キキィ……、ギギギギィ……!」
ゴブ次の腰が、また怪しい角度で前後にピクピクと波打ち始める。
――待て、ゴブ次。
お前、次は一体どこに行く気だ?
俺の脳裏に、新たな、そして前回の比ではない規模の不吉な予感が駆け巡る。
こうして、俺の賠償金は奇跡的に帳消しとなり、むしろ大富豪からのバックアップを得ることになった。
しかしそれは、世界を巻き込む『浮気小鬼のケツ持ちライフ』の、ほんの序章に過ぎなかったのである。




