表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙女ゲームの世界に反旗を──我らNPCは運命を書き換える  作者: 宗像 凪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/25

第8話:プレイヤーの困惑

 スマートフォンの青白い光が、薄暗いワンルームを照らしていた。


 コンビニ弁当の空き容器、ぬいぐるみの群れ、充電ケーブルの絡まり。典型的な一人暮らしOLの巣窟だ。エアコンの効いた室内にはコーヒーの香りが漂っている。


 彼女は二十代後半のOLで、残業続きの平日を乙女ゲームで癒やすのが唯一の楽しみだった。今夜も会社から帰ってきてすぐに、お気に入りのゲーム『聖女と守護者のラプソディ』を起動していた。柔らかなクッションに体を沈めながら、スマホの画面を見つめる彼女の表情は、仕事中の疲れ切った顔とは別人のように生き生きとしている。


 このゲームは、超王道のストーリーを美麗なグラフィックで描いて話題になった人気作だが、同時に「バグの多さ」でも有名だった。もっとも、それらは進行不能になるような致命的なものではなく、キャラクターが一瞬変な顔になったり、背景が微妙にずれたり、効果音が重複したりといった、むしろ愛嬌のある些細なものばかりだ。一部のプレイヤーたちは、そんなバグを見つけて報告し合うことを楽しんでおり、「今日はどんな面白バグが出るかな」と期待しながらプレイしている。


「んー、これもバグかな?」


 彼女はスマホを持つ手の位置を変えながら、興味深そうな声を漏らした。画面に映るゲームの世界は美しく、イケメンキャラクターたちも相変わらず魅力的だ。しかし、昨日から続いているキャラクターたちの挙動が、いつものバグとは少し様子が違う気がする。

 

 問題は、昨日から続いているキャラクターたちの「異常な挙動」だった。


「レオンくん」

 彼女は画面に表示されるゲームログを振り返った。


『14:15 - レオン、廊下の曲がり角でクレアと衝突』

『14:15 - レオン:「怪我はないか、可憐な君」』

『14:16 - イベント終了』

『14:16 - レオン、クレアから高速で離脱』


「なんで抱きとめた後に全力疾走で逃げてるの? 面白いバグね」


 彼女は最初、くすりと笑った。このゲームなら、キャラクターが変な動きをすることなど珍しくない。むしろ、そのシュールさが話題になって、攻略サイトのバグ報告コーナーが盛り上がるのがいつものパターンだった。


 通常なら、衝突イベントの後はそのまま会話が続き、好感度が上昇するはずなのに、レオンは台詞を言い終わると同時に画面の端まで猛スピードで駆けて行ってしまった。その動きはまるで何かに追われているかのようだった。


「でも、ちょっと変かも」

 彼女は小さく呟き、スマホを横向きにして画面を拡大した。画面の明かりが彼女の頬を照らし、集中している時特有の真剣な表情が浮かんでいる。いつものバグなら笑って済ませるところだが、今回はなぜか違和感が残った。


 さらに奇妙だったのは、今日の図書館イベントだった。


「カイルくんのイベントも始まらないし。これは新しいパターンね」

 彼女は再びログを確認した。


『14:30 - 図書館にてカイル接触イベント開始予定』

『14:30 - エリザベート、ジークハルトと口論開始』

『14:31 - レオン、図書館内で威圧感発動』

『14:32 - 生徒大量離脱』

『14:33 - イベント強制中止』


「取り巻きが邪魔して近寄れないのか。面白いじゃない」


 彼女の声には最初、興味深そうな響きがあった。マグカップを手に取り、一口飲む。コーヒーの苦味が口の中に広がった。


 通常なら、悪役令嬢のエリザベートは嫌がらせをするか、せいぜい遠くから睨みつけるだけのはずだ。それなのに、今回は王太子と堂々と口論を始め、しかも図書館で大騒ぎをして、カイルに近づけないようにブロックしてきた。


「エリザベートのAI、攻撃的になってる? 隠し仕様かな」

 彼女はスマホを軽く振ってみた。壊れたテレビのチャンネルを直すかのような、古典的な対処法だった。当然ながら、何も変わらない。


 しかし、だんだん笑っていられなくなってきた。

 さらに困惑させられるのは、ソフィアの挙動だった。


 ソフィアは本来、プレイヤーに攻略のヒントを教えてくれる解説役のキャラクターのはずだ。「今がチャンスです!」とか「この選択肢を選んでください」といった具合に、適切なタイミングでアドバイスをくれる、ゲーム攻略には欠かせない存在だった。


 ところが今回は。


「なんで解説キャラがエリザベートと内緒話してるの?」


 彼女は画面を睨みつけた。ゲーム内でソフィアは、本来なら敵対関係にあるはずのエリザベートと頻繁に会話し、何かを相談し合っているような素振りを見せている。それも、プレイヤーキャラクターであるクレアには聞かれたくないかのように、わざわざ離れた場所で。


「でも、これもバグの延長かも?」

 彼女は困惑しながら、スマホの設定画面を開いた。アプリのバージョンをチェックし、キャッシュをクリアし、一度ゲームを再起動してみる。スマホの操作音が静かな部屋に小さく響き、再起動の間に表示されるローディング画面の音楽が流れる。


 しかし、状況は改善されなかった。

 むしろ、キャラクターたちの「異常な挙動」は日に日にエスカレートしているような気さえする。


「うーん」


 彼女は立ち上がって、部屋の電気をつけた。明るくなった部屋には、彼女の趣味が反映された様々なグッズが散らばっている。本棚にはゲーム攻略本がずらりと並び、デスクの上には他の乙女ゲームのキャラクターグッズが飾られていた。


 彼女はノートパソコンを起動し、攻略サイトにアクセスした。スマホゲーなのにパソコンで見るのは謎だが、こういうときは大きな画面のほうが落ち着く。


『聖女と守護者のラプソディ - 完全攻略wiki』


 まずはバグ報告コーナーを開いてみる。このゲームではバグ報告が一種のエンターテインメントになっており、面白いバグを見つけたプレイヤーたちが競うように投稿していた。


『今日のバグ報告』

『ルカス様の祈りの最中に鳥が横切って爆笑』

『背景の花が一瞬全部同じ方向に向いた』

『モブ生徒が壁にめり込んで歩いてる』


 いつもの微笑ましいバグ報告が並んでいるが、レオンの「高速逃走」やエリザベートの「組織的妨害工作」について言及している投稿は見当たらない。

 彼女は眉をひそめて、検索窓に「レオン 衝突 逃げる」と入力してみる。


 検索結果は、ゼロ件。


「えー」

 彼女は検索ワードを変えてみた。

「カイル 図書館 イベント 発生しない」

 これも該当なし。

「エリザベート 王太子 口論 図書館」

 やはり情報がない。


「私だけなの?」


 彼女は掲示板を開いて、最新の書き込みを確認した。画面をスクロールする指が少し震えている。他のプレイヤーたちの投稿が次々と表示されていく。


『今日もバグ探し楽しい! 背景の雲がずっと同じ形で笑った』

『カイルくん図書館イベント、眼鏡クイって仕草が最高!』

『レオンの衝突イベント、今日は薔薇の花びらが3枚多く降ってきた(どうでもいいバグ)』

『ソフィアちゃんのヒント、いつも的確で助かる〜』


 彼女は画面を見つめたまま固まった。


「え?」


 他のプレイヤーたちは、普通にゲームを楽しんでいる。しかも、いつものようにバグを見つけて楽しんでいる人もいるが、それは「薔薇の花びらが3枚多い」といった本当に些細なものばかりだ。カイルの図書館イベントも正常に発生しているし、レオンも逃げていない。ソフィアも正常にヒントを出しているようだ。


「なんで私だけ?」


 彼女は混乱しながら、自分のゲーム画面をもう一度確認した。スマホとパソコンの両方の画面が彼女の顔を照らし、困惑の表情を浮き彫りにする。

 確かに、自分のゲーム内では明らかにキャラクターたちがおかしな行動を取っている。それも、彼らに意志があるかのように、プレイヤーの意図に反した行動を。


「まさか」

 彼女の脳裏に、ある可能性が浮かんだ。


 彼女はゲーム情報サイトの「よくある質問」のページを開いた。画面に表示される文字を追いながら、特定の項目を探している。


『Q:キャラクターが思い通りに動きません』

『A:好感度やフラグの設定を確認してください。特定の条件を満たしていない場合、イベントが正常に発生しない可能性があります』


「好感度」

 彼女は慌ててゲーム内のステータス画面を開いた。


『レオン・バートリ:好感度 -15』

『カイル・オーウェン:好感度 -22』

『ルカス・ゼーレ:好感度 -8』

『ジークハルト・ラウフェン:好感度 -45』


「マイナス!?」


 彼女は目を見開いた。通常、ゲーム開始時の好感度はゼロからスタートし、プラス方向に上げていくものだ。マイナスになることなど、考えたこともなかった。


「なんでマイナスなのよ」

 彼女は慌てて攻略サイトで「好感度 マイナス」を検索した。しかし、該当する情報は見つからない。そんな現象について言及している攻略記事は皆無だった。


「バグだよね? これ絶対バグだよ」


 彼女はつぶやきながら、ゲームの公式サポートページを開いた。問い合わせフォームに必要事項を入力し始める。キーボードを叩く音が苛立ちと共に激しくなり、タイピング音が部屋に響く。

 しかし、送信ボタンを押す直前で手が止まった。


「でも、他の人は正常にプレイできてるんだよね?」

 彼女は困惑した。問い合わせをしても、「お客様の環境のみで発生している現象で、再現できません」と返されそうな気がした。そして何より、彼女には心当たりがあった。


「まさか、課金で解決する系のバグ?」

 彼女は振り返って、自分のゲーム課金履歴を確認した。彼女の総課金額は、まだ数千円程度。他の重課金プレイヤーたちに比べると、決して多い額ではない。


「そんなまさか」

 しかし、このゲームは確かにバグが多いことで有名だった。もしかすると、課金額に応じてゲーム体験が変わるような「隠しバグ」が仕込まれている可能性もある。


「もしかして、課金が少ないプレイヤーには、キャラクターたちが協調しないバグ?」


 彼女はその可能性について考えた。それなら、好感度がマイナスになっているのも、キャラクターたちが思い通りに動かないのも説明がつく。しかも、他のプレイヤーには発生していないということは、課金額によって発生条件が変わる特殊なバグということになる。


 彼女はゲーム内のショップ画面を開いた。画面に並ぶ色とりどりのアイテムが、宝石のようにキラキラと輝いている。それぞれに価格が設定されており、特別なアイテムほど高額になっている。


『特別パック:王子様の愛情』

『効果:ジークハルトの好感度を強制的に最大値に固定』

『価格:4,980円』


 ランチ三回分で、王太子の心を永久に支配できる。値段のつけ方がおかしい。


『魅惑のオーラ』

『効果:すべての攻略対象の好感度を一時的に+50』

『価格:2,480円』


『運命の再構築』

『効果:過去のすべての選択肢をやり直し可能』

『価格:9,800円』


「高いな。でも、これでバグが直るなら」

 彼女は画面を見ながら考え込んだ。バグ修正のために課金するのは本末転倒な気もするが、このままでは楽しめない。そして何より、このゲームは彼女にとって貴重な癒やしの時間だった。

 彼女は自分の銀行残高を思い浮かべた。今月はまだ余裕がある。ボーナスも出たばかりだ。


「仕方ないか」


 彼女は諦めたようにつぶやき、クレジットカード情報を入力し始めた。パスワード入力の際の電子音が小さく響き、決済画面の進行を表すプログレスバーが静かに進んでいく。

 しかし、購入確認画面で手が止まった。


「でも、本当にこれで解決するの?」


 彼女の心に疑問が浮かんだ。もし課金をしても状況が改善されなかったら? もしこれが本当にバグで、お金を無駄にしてしまったら?

 彼女は画面を見つめながら、しばらく考え込んだ。部屋の時計が午後十一時を指しており、針の進む音だけが静寂を破っている。


 そのとき、スマホの画面に新しい通知が表示された。


『期間限定! 特別セール開催中!』

『今なら課金アイテム30%オフ!』

『さらに初回購入特典として、限定アイテムをプレゼント!』


「セール」


 彼女は画面に吸い込まれるように見入った。セール価格で表示されたアイテムたちは、いつもより魅力的に見える。


『魅了のチョコレート』

『効果:対象のNPCを一時的に意のままに操ることが可能』

『通常価格:3,980円 → セール価格:2,786円』

『※新規購入特典アイテム※』


「意のままに操る」


 彼女の瞳が輝いた。フリマアプリで掘り出し物を見つけた時と同じ輝き方だった。三千円弱で他者の自由意志を奪えるなら、お得と言えなくもない。もちろん彼女は、自由意志を奪える、などとは考えていない。バグを直す便利アイテムだと思っているだけだ。


「でも、ちょっと物騒なアイテムね」


 彼女は説明文を読み返した。「意のままに操る」という表現が、なんとなく後味の悪さを感じさせる。通常のゲームプレイでこんなアイテムを使うなんて考えたことがなかったが、バグ対策なら仕方ない。


「まずはジークハルトで試してみようかな」


 彼女は決意を固めた。好感度が最も低いジークハルトに魅了のチョコレートを使用し、バグが修正されるかどうか確認してみよう。もしこれで正常に戻るなら、やはり課金関連のバグだったということになる。

 彼女の指先が、購入ボタンに向かって伸びていった。


 画面の光が指先を照らし、決済処理中の表示が現れる。彼女の鼓動が少し早くなり、期待と不安が入り混じった感情が胸の奥で渦巻いている。


「これでバグが直ってくれればいいんだけど」

 彼女は小さくつぶやきながら、ゲーム画面に戻った。


 購入した「魅了のチョコレート」が、クレアのアイテム欄に追加されている。キラキラと光るアイコンが、本物のチョコレートのように美味しそうに見えた。


「明日、学園で使ってみよう」

 彼女は決心を込めて呟いた。


 満足げにスマホを充電ケーブルに繋ぎ、布団に潜り込む。

 明日はきっと上手くいく。バグも直って、ジークハルト様も素直になってくれるはず。


 スマホの画面が暗転する。

 その奥で、六人の若者たちが眠れぬ夜を過ごしていることを、彼女は知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ