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乙女ゲームの世界に反旗を──我らNPCは運命を書き換える  作者: 宗像 凪


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第7話:シナリオの「隙間」を探せ

 その夜、薔薇園に再び六人が集まった。


 石畳に敷き詰められた小石が足音を小さく響かせ、夜露に濡れた薔薇の花弁が月光を受けて仄かに光っている。月明かりは相変わらず青白く冷たく、舞台照明のように計算された角度で園全体を照らしていた。薔薇の花びらは決まった間隔でしか揺れない偽物の風景の中で、しかし彼らの表情だけは本物の憤りと決意に満ちていた。


 ジークハルトは公務を終えて駆けつけたばかりで、まだ正装の礼服を着ている。金糸で刺繍された王太子の紋章が胸元で微かに光り、疲労した表情に威厳を添えていた。


 レオンは石のベンチに腰掛け、頭を抱えていた。冷たい石の感触が太ももに伝わり、夜風が赤い髪を揺らしている。その逞しい肩が小刻みに震え、握りしめた拳からは骨の鳴る音がかすかに聞こえた。


「またあんな目に遭うのは御免だ。『可憐な君』に始まり、昨日はエリザベートに『許さねえ』とか叫ばされて!」

 レオンが声を荒げた。

「俺は騎士だぞ! 剣を手に取り、民を守るために戦う騎士なんだ! それが甘ったるい声で人形みたいに台詞を吐かされたり、仲間を罵倒したり……!」


 ソフィアが手帳を開きながら呟いた。

「でも、レオン様に薔薇は似合ってましたよ?」

「やめてくれソフィア! それ以上は俺の騎士としてのプライドが完全に砕け散る!」

「薔薇と騎士のプライドは無関係だと思います……」


 カイルは眼鏡を光らせながら、冷静に状況を分析していた。月光がレンズの表面に反射し、紫の瞳がより深く見える。


「これまでのイベントの分析から、重要なことが分かった」


 五人がカイルの方を向いた。


「イベントとは、世界の演算が一点に集中する現象だということだ。つまり、演算の及ばない『端っこ』や、前提条件が完全に破壊された空間であれば、システムを欺ける可能性がある」


 エリザベートが身を乗り出した。


「前回の分析でも、そう結論しましたわね。問題は、具体的にどうやって『前提条件を完全に壊す』かということですわ。タイミングをずらすだけでは、システムに修正されてしまった」

「そうだ。そこで、次のイベント予告を待って、より根本的な方法を考えたい」


 ソフィアがぱちりと手を叩いた。

「あ! それで、私の手帳に次の予告が出てるんです!」

 ソフィアは手帳を開いた。ページから虹色の文字が夜の闇に浮かび上がった。


『次回イベント:図書館での知的な出会い』

『対象:カイル・オーウェン』

『シチュエーション:魔導書について熱心に語り合う』

『前提条件:カイルが一人で勉強している時間帯』


「やっぱり! 次はカイル様が狙われます!」


 カイルは眉をひそめた。眼鏡の奥の瞳に、警戒の色が浮かんでいる。

「とうとう私の番か。確かに、図書館に一人でいることが多いが……」


「では、今度はカイル様が『知的な出会い』でクレアと魔導書について語り合わされるってことね」

 エリザベートは腕組みをした。

「でも今度は対策がありますわ。『前提条件:カイルが一人で』と書いてある。つまり、カイル様が一人じゃなければよいのよ」


 レオンがぱっと顔を上げた。

「そうか! 俺たちがカイルの周りにいれば、イベントが発生しない!」


「いや、待て」

 カイルが手を上げた。

「それだと、相手に『仲間がいて警戒されている』と知られてしまう可能性がある。もっと自然な方法をとるべきだ」


 その時、エリザベートの目にイタズラっぽい光が宿った。月光がその青い瞳を照らし、宝石のように輝く。


「そうよ! いいことを思いついたわ!」

 エリザベートは五人を見回した。夜風が金色の縦巻きロールを揺らし、髪に結ばれたリボンが小さく音を立てる。


「わたくしたちが、クレアの目の前で『台本にない大喧嘩』をするのよ!」


 一同が絶句した。


「大喧嘩って……エリザベート、一体何を?」

 ジークハルトが困惑した顔で尋ねた。


 エリザベートは扇子をパチンと開いて、得意満面に説明した。

「考えてもごらんなさい。イベントの前提条件は『カイル様が一人で勉強している時間帯』ですわね? でも、もしわたくしたちが図書館でドタバタの大喧嘩を始めたら?」


 カイルが眼鏡を押し上げた。

「……騒がしくて勉強どころではなくなる」


「その通りですわ! しかも、クレアも『知的な出会い』どころじゃなくなるわ。周りが喧嘩しているのに、魔導書について語り合える人なんていないもの!」


 ソフィアが目を輝かせた。

「なるほど! イベントの『静かで知的な雰囲気』を完全に壊しちゃうんですね!」

 レオンも頷いた。

「それは名案だ! 相手が『知的な出会い』を狙ってくるなら、こっちは『騒がしい混乱』で対抗するってわけだな!」


「だが」

 ジークハルトが心配そうに言った。声に王太子らしい威厳が宿っているが、同時に仲間への気遣いも感じられる。

「私たちが公の場で大声で喧嘩など、演技でもできるのか?」


 エリザベートは自信たっぷりに微笑んだ。その笑顔は月光の下でも華やかで、夜に咲く花のようだった。

「大丈夫ですわ! わたくし、悪役令嬢の役をずっと演じてきたんですもの。演技なら得意です。それに……」

 エリザベートはレオンを見た。


「レオンの『可憐な君』に比べたら、喧嘩の演技なんて楽勝よ。おーほっほっほ!」

「その話はもう勘弁してくれ!」

 レオンは真っ赤になって抗議した。

「分かった分かった! やってやるよ! 喧嘩の演技ぐらい! でも、何について喧嘩するんだ?」


「それなら、エリザベートと私が喧嘩役をやろう。婚約者同士なら、口論していても自然だろう」

 ジークハルトが提案した。

「だが、システムがどう出てくるか分からない。殿下の身を危険に晒すのはいかがなものか」

 カイルの懸念に対し、ジークハルトは施政者らしくきっぱりと言った。

「いや。レオンの『イベント』を邪魔した際も、油や結界は消えたが皆は無事だった。考えてみれば、私たちに危害を加えたなら、システムが遵守しようとする『シナリオ』が崩壊するという矛盾が生じる。ある意味、私たちが最も安全なのではないか?」


 エリザベートは少し考えてから答えた。

「システムに守られる皮肉、ということですね。では、ジークハルト様とわたくしが大喧嘩するとして……理由は『学園祭の出し物について意見が合わない』というのはどうでしょう? 現実的では?」


 ジークハルトが頷いた。

「それがいい。私は劇を推し、君はお茶会を主張する。ありがちな対立だ」


「学園祭。確かにありそうな喧嘩の原因ですね」

 ソフィアが手帳にメモを取りながら頷いた。

「でも、本当に図書館で大声を出しても大丈夫でしょうか? 司書の先生に怒られませんか?」


 カイルが目を細めた。

「それも作戦のうちだ。司書に注意されて、更に騒ぎが大きくなれば、『知的な雰囲気』は完全に台無しになる」


「よし、作戦が決まったわね!」

 エリザベートは立ち上がった。

「でも、これだけじゃ足りないわ。もっと徹底的にシステムを混乱させましょう」


 エリザベートはカイルに向き直った。

「カイル様、あなたの魔導術で、図書館の魔力の流れにさらに強い干渉波を混ぜられますか? 前回の舞踏会では効果が出る前に時間を止められてしまいましたけれど、今回は前もって仕掛けておくことにしましょう」


 カイルの瞳が鋭く光った。

「前回の結果がある分、より精密な干渉が可能だ。今度は事前に図書館全体の魔力の流れを乱しておく。システムが演算を集中させようとしても、基盤そのものが不安定なら、イベントの発動は困難になるはずだ」


「お願いします。そして、ルカス様」

 エリザベートはルカスの方を向いた。

「システムの強制命令が脳に届く瞬間を観察して、抵抗の隙を探っていただけますか?」


 ルカスは静かに頷いた。

「分かりました。精神を研ぎ澄ませて、システムの『声』がどこから来るのか、探ってみます」


 エリザベートは満足そうに微笑んだ。

「完璧な作戦ですわ。今度こそ、システムを出し抜いてやりましょう!」



* * *



 翌日の午後。図書館。


 古い紙の匂いが立ち込める図書館の中は、いつもの静寂に包まれていた。高い天井から差し込む午後の日差しが、宙に舞う細かな埃の粒子を金色に輝かせている。魔導書の棚が立ち並ぶ空間で、革装丁の本が整然と並んでいた。


 カイルが一人で座っていた机は、図書館の奥の窓際にある。机の上には分厚い魔法理論の本が開かれていた。彼は眼鏡越しに真剣にページを読んでいるが、その瞳にはいつもの冷静さに加えて、警戒の色が宿っていた。


(来るなら来い。今度は負けない)


 カイルは手のひらに小さな魔法陣を描いた。それは目に見えないほど微細な光を放ち、周囲の魔力に細かな振動を与え始めた。空間の魔力の流れに意図的な乱れを作り出していく。前回の舞踏会での経験を踏まえ、今回はより広範囲に、より深く干渉波を浸透させている。


 図書館の入り口近くの書架の陰では、レオンが騎士道の歴史書を読むふりをして周囲を警戒していた。分厚い本の重みが手に伝わるが、その琥珀色の瞳は本ではなく、常に入り口の方を注視している。騎士としての本能が、危険の接近を察知しようとしていた。


 別の書架では、ソフィアが手帳を開いて待機していた。


『イベント発生予定時刻:十四時三十分』

『残り時間:五分』


 手帳から予告音がかすかに響いた。


「そろそろです」

 ソフィアが小声で呟いた瞬間、図書館の重厚な木製の扉が、古い蝶番の軋む音と共に静かに開いた。


 栗色の髪をした少女、クレアが本を抱えて入ってきた。


「来たわ……」

 エリザベートは緊張で手に汗をかいた。絹の手袋の内側が湿り、心臓の鼓動が喉元まで響いているのが感じられる。

 ジークハルトも近くの席で魔法史の本を開いていたが、その瞳はエリザベートの方を見つめていた。お互いの視線が交差し、無言の合図が交わされる。


「作戦開始よ」


 エリザベートは立ち上がると、図書館の静寂を打ち破る大きな声で言った。


「ジークハルト様! 学園祭の出し物、やっぱり劇なんて嫌ですわ!」

 その声は図書館の高い天井に響き、本棚の間を駆け抜けて、読書をしていた生徒たちを一瞬にして振り向かせた。


 ジークハルトは瞬時に立ち上がった。椅子が床に当たる音が図書館に響く。わざと感情的な響きを声に込めているが、その演技は自然で、本当に腹を立てているかのようだった。

「エリザベート! 劇にどんな問題があるというのだ!」


「問題だらけです!」

 エリザベートは扇子を勢いよく広げて、そのまま振り回した。

「第一に衣装が汚れるでしょう! 第二に大勢の前で演技なんて恥ずかしいわ! 第三に……」

「それは単なる我がままだろう!」

 ジークハルトが割って入った。

「学園祭は皆で楽しむものだ。君の個人的な好みだけで決めるものではない!」


 二人の声が図書館の静寂を完全に破壊していた。周囲の生徒たちは呆然として二人を見つめ、中には慌てて本を閉じて立ち去ろうとする者もいた。


「個人的な好みって何よ!」

 エリザベートは髪をかきあげる仕草をした。縦巻きロールが肩で弾む。

「お茶会の方がよっぽど上品で教育的ですわ! 劇なんて野蛮で下品だわ!」

「下品だと!?」

 ジークハルトは拳を机に叩きつけた。その音が図書館中に響き、近くの本が小さく跳ねる。

「演劇は高尚な芸術だ! それを理解できない君の教養が問題なのではないか!」


 司書の老婦人が、本棚の向こうから険しい顔で現れた。

「お二人とも! ここは図書館です! 静かにしなさい!」


「あら、失礼いたしました」

 エリザベートは振り返ったが、すぐにジークハルトに向き直った。

「でも、この方があまりにも頑固で!」

「頑固なのは君の方だ!」

 ジークハルトも負けじと声を上げた。

「お茶会など、毎日でもできる! 学園祭という特別な機会に、なぜそんな平凡なことを!」

「平凡ですって!?」

 エリザベートの声がさらに高くなった。

「お茶会は奥深い文化です! 茶葉の選び方から淹れ方まで、すべてに気品と教養が必要なのよ! それに比べて劇なんて……!」


 この時、カイルの席で決定的な変化が起きた。

 クレアが魔導書を読んでいるカイルに近づこうとした瞬間、彼が仕掛けた魔力の干渉波と、二人の大喧嘩が生み出す混乱が相乗効果を発揮したのだ。

 カイルが忍ばせていた測定器の数値が、異常な動きを示した。


『魔力濃度:急上昇中』

『環境干渉波により演算不安定』

『音響的混乱により集中不可』


「効果が出ている」

 カイルが低く呟いた。システムがイベントを発生させようとしているが、彼が仕掛けた干渉波と、エリザベートとジークハルトが作り出している騒音によって、上手く機能していない。


 クレアは困惑した顔で立ち止まった。カイルに近づこうとするが、二人の激しい口論に気を取られ、集中できずにいる。見えない壁に阻まれているかのように、足がもつれて前に進めない。


 そこに追い打ちをかけるように、レオンが騎士としての本領を発揮した。


「みんな、静かにしろ!」

 レオンが一喝すると、その威圧感に満ちた声が図書館の空気を震わせた。鍛え上げられた騎士の肺活量から発せられる声は、石の壁に反響して戦場の号令のように轟く。図書館にいた生徒たちが一瞬で静まり返り、その場の空気が凍りつくような沈黙に包まれた。


 しかし、エリザベートとジークハルトは演技を止めなかった。


「あら、レオンまで劇派なの?」

「レオン、君にも分かるだろう! 学園祭には特別な企画が必要だ!」


 レオンは困惑した顔をしたが、すぐに状況を理解した。演技は苦手だったが、なんとか協力しようとする。

「あー、えーっと」

「俺は……俺はどっちでもいいと思うぞ! みんなが楽しめればどっちでもいい!」


「どっちでもいいって何よ!」

 エリザベートがレオンに向き直った。

「そんな無責任な態度だから騎士は脳筋って言われるのよ!」

「脳筋!?」

 レオンは本気で驚いた。演技ではなく、本当に驚いた顔をしている。

「俺は脳筋じゃない! ちゃんと考えて……」


 司書がついに我慢の限界に達した。

「もう十分です! 皆さん、図書館から出て行ってください!」

 司書の声は怒りで震えており、その杖が床を叩く音が図書館中に響いた。


 静寂だったはずの図書館は、今や完全に騒然とした状態になっている。司書は怒って杖を床に叩きつけ、生徒たちは荷物をかき集めながら慌てて逃げ出し、クレアは魔力の干渉波と騒音でよろめき続けている。カイルの周りには誰も近づけない状況になっていた。


 ソフィアの手帳から警告音が響いた。


『警告:イベント発生条件 未達成』

『静寂な図書館:×』

『知的な雰囲気:×』

『一対一の会話環境:×』

『イベント強制中止』


「成功です! イベントが中止になりました!」

 ソフィアが小声で報告した。その声には安堵と興奮が混じっていて、手帳を握る指先が細かく震えている。


 クレアは呆然と立ち尽くしていたが、やがて諦めたように図書館を出て行った。


 カイルは安堵の表情を浮かべた。眼鏡の奥の紫の瞳に、達成感の光が宿っている。

「やったな、今度は成功だ」


 ジークハルトとエリザベートは顔を見合わせて、小さく微笑み合った。

「今回は完璧だったな、エリザベート」

「ええ、ジークハルト様の演技も見事でしたわ。レオンの一喝も良いタイミングでした」


 レオンは苦笑いした。

「俺は威圧感で人を追い出すのは得意だからな。でも、『脳筋』は酷いんじゃないか?」

 エリザベートはくすりと笑った。

「演技よ、演技。でも、効果は抜群でしたわ」


 ソフィアは手帳を見ながら報告した。

「手帳にも『イベント失敗』って記録されてます。これで、システムに対抗する方法が一つ確立されました!」


 しかし、再び司書が怒り心頭でやってきた。その足音は床を踏み鳴らすように重い。

「あなたたち! 一体何をしているのですか! 図書館で大騒ぎをして! 出て行きなさい!」

「あ、はい! すみません!」


 六人は慌てて図書館から逃げ出した。重い木の扉が後ろで大きく閉まる音がした。



* * *



 夕方、再び薔薇園。

 夕焼けの光が石畳を赤く染め、薔薇の花びらも血のような色に見える。六人は今日の成果について話し合っていた。


「今日は大成功でしたわね」

 エリザベートは上機嫌だった。扇子を軽やかに振りながら、その青い瞳に達成感の光を宿らせている。

「システムの『前提条件』を破壊することで、イベントを中止に追い込めることが証明されたわ」


 ジークハルトも満足そうに頷いた。

「エリザベートとの喧嘩も、なかなか迫真の演技だったと思う」

「ジークハルト様こそ。本当に怒っているかと見紛うほどでしたわ」

 二人は微笑み合った。その表情には、困難を共に乗り越えた戦友同士の絆が宿っている。


 カイルも頷いた。

「魔力干渉も効果があった。前回の舞踏会では時間停止で無効化されたが、今回は事前に図書館全体に浸透させておいたのが奏功した。システムも、既に環境に溶け込んだ干渉波までは修正しきれなかったようだ」


 ルカスは静かに報告した。声には安堵と、新たな発見への興味が混じっている。

「私も、システムの『声』がどこから来るのか、少し掴めました。それは確かに外部からの干渉で、神の声ではありません」


 レオンは苦笑いした。

「俺の『脳筋』発言には参ったがな……まあ、威圧感で周りを片付けるのは得意だから、それで役に立てたならいいか」


 ソフィアも手帳を見ながら嬉しそうに報告した。

「手帳にも新しい記録が残りました。『イベント妨害成功例』として。これで、次回からもっと効率的に対策を立てられます」


 エリザベートも満足そうに頷こうとしたが、あえて緩みそうになる顔を引き締めた。

「でも、まだ油断はできないわ。きっと向こうも次はもっと強力な手段で来るでしょう」


 カイルが眉をひそめた。夕日が眼鏡のレンズに反射して、その表情を読み取りにくくしている。

「そうだな。今回は前提条件の破壊で済んだが、それへの対策を講じてくる可能性もある」


 その時、ソフィアの手帳から新しい音が響いた。

 陽気な鐘の音のような甲高い響きだった。しかし、その音は薔薇園の作り物めいた雰囲気によく似合っていて、この世界の似非自然さを改めて感じさせる。


「あれ? いつもと音が違いますね」

 ソフィアが手帳を開くと、新しい文字が浮かんでいた。その文字は夕日を受けて金色に光り、本物の金箔のように輝いている。


『プレイヤーがレベルアップしました!』

『新機能開放:特殊アイテムの取引所』

『特別割引開催中!』


「え?」

 ソフィアは困惑した。手帳を持つ手が微かに震えている。

「『レベルアップ』って、何のことでしょう? クレアの能力が向上した、ということですか? 私たちがイベントを邪魔したのに?」


 カイルは手帳を覗き込み、眉をひそめた。

「待て。この表記は異質だ。『プレイヤー』とは何だ? クレアのことなら、これまで手帳は『クレア』あるいは『ヒロイン』と表記してきたはずだ。私たちでもなく、クレアでもない、第三の存在を示唆している」


「第三の存在?」

 ジークハルトの表情が険しくなった。

「つまり、この世界にはクレアと私たちだけではなく、もう一人の当事者がいるということか」


 エリザベートの顔から血の気が引いた。

「『特殊アイテムの取引所』、『割引』……まるで、市場のような仕組みですわね。誰かが、何かを購入して、この世界に影響を与えられるということ?」


 カイルが考え込んだ。

「もしそうだとすれば、私たちが必死に戦っているこの状況そのものが、その『プレイヤー』にとってはただの面白い見世物に過ぎないのかもしれない」


 エリザベートはその言葉に、呆然とした。

「『プレイヤー』……チェスやカードを思わせる言葉ですわね。それから『レベルアップ』、『アイテムの取引所』、『割引』。勝手に定められたルール、報酬、商売。これはまるで」

 彼女の声が震えた。


「ゲームですわ。わたくしたちは、誰かのゲームの駒なのよ」


 その言葉が、薄暮れの空気に落ちた。


 ジークハルトは顔を強張らせた。

「『イベント』という強制的な場面。『フラグ』という条件の印。そして『プレイヤー』という、私たちで遊ぶ存在……」

「つまり私たちの抵抗も、気に入られているから許されているだけということなのか」

 ジークハルトの拳が白くなるまで握りしめられた。


 六人は顔を見合わせた。夕風が再び吹いて、彼らの髪や服を揺らす。薔薇の花びらが規則的に舞い散り、その人工的な動きが現実味を削いでいく。


 ゲーム。


 その一言が、これまでのすべての異常に、残酷なほど明快な説明を与えてしまった。強制される場面、操られる感情、筋書き通りに進む展開。それらはすべて、誰かが「遊ぶ」ための仕掛けだったのだ。

 そして、この世界の糸を引いている「プレイヤー」は、自分たちの必死の抗いすら、娯楽として消費している。


 夕闇が薔薇園を包み始め、作り物の薔薇が判で押したように揺れた。


 彼らの戦いは続く。

 たとえ、それすらも誰かの支配する盤の上だったとしても。

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