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乙女ゲームの世界に反旗を──我らNPCは運命を書き換える  作者: 宗像 凪


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第18話:賽の河原の住人たち

 その日の午後、学園の図書館は異様な静けさに沈んでいた。


 いつもなら魔導理論の本を積み上げて研究に没頭しているはずのカイルが、机の上に突っ伏して微動だにしない。開きかけの本が何冊か散乱しているが、どれも最初のページから先に進んだ形跡がなかった。

 司書の女性が心配そうに近づいてきた。


「カイル様、お加減が悪いのですか?」

「……いえ」


 カイルは顔を上げずに答えた。その声は、乾いた紙のように生気を欠いていた。


「ただ、考えていたんです。文字を読むことに、意味があるのかどうか」

「まあ! それは哲学書の読みすぎですわ! たまには恋愛小説でもいかがかしら?」

「違います」


 カイルは顔を上げた。紫の瞳は焦点が合っておらず、眼鏡の奥で虚空を見つめている。


「どんなに知識を積み上げても、一瞬で消されるなら、本を開く意味とは何なのか。この本の二百三十七ページを、私は三日前に読んだ記憶がある。しかし世界の方は、私が二百三十四ページまでしか読んでいないと主張している。世界と私と、どちらが正しいんでしょうね」


 司書は困惑した表情で小さく会釈すると、足早に立ち去った。「最近の若者は難しいことを考えすぎですわ……」と呟きながら。

 カイルは再び机に顔を伏せた。


「世界が正しいなら、私の記憶は狂気だ。私が正しいなら、世界の方が狂っている。どちらにしても、救いがない」



* * *



 訓練場では、レオンが剣を地面に突き立てたまま、空を見上げていた。

 周りには訓練仲間の騎士見習いたちが集まっている。


「レオン先輩、今日は訓練しないんですか?」

「……今日は、やめとく」


 後輩の一人が尋ねたが、レオンは力なく答えただけだった。


「え? でも先輩、毎日欠かさず訓練するのが日課だって……あれ、昨日も同じこと言ってませんでした?」

「うるせえ」


 レオンの声には、怒りよりも疲労が滲んでいた。後輩たちが怯んで一歩引く。


「……悪い。気分じゃないんだ」


 レオンは剣を鞘に収めた。その動作は、いつもよりずっと緩慢だった。剣の重さを初めて感じたかのように。


「騎士は剣を磨くことで心を磨く、っていつも言ってたじゃないですか」

「……そうだな」


 レオンは苦笑した。笑いの形だけを作った、空洞のような笑み。


「でもな、磨いた剣も心も、一瞬で元に戻されるんだ。俺の剣、三日前に刃こぼれしたはずなのに、今は新品みてえに直ってやがる。俺が直したんじゃない。勝手に直されたんだよ。俺の努力を、なかったことにして」


 後輩たちは訳が分からないという顔で互いを見やった。レオンは首を振った。


「何でもない。お前ら、訓練頑張れよ。俺は……ちょっと、石でも積んでくるわ」

「石?」


 そう言って、レオンは訓練場を後にした。剣を担ぐ肩が、いつもより低く沈んでいる。


「レオン先輩、最近おかしくないか?」

「なんか、目が死んでるよな……」



* * *



 神殿では、ルカスが祭壇の前に座り込んでいた。


 いつもならこの時間は午後の祈りを捧げる時刻だ。しかし今日、彼の口からは一言も祈りの言葉が出てこなかった。ただ、祭壇に掲げられた神の像を、じっと見つめている。


「ルカス様」

 年配の神官が心配そうに声をかけた。

「祈りの時間ですが……」


「神は、いるのでしょうか」


 ルカスが静かに呟いた。灰色の瞳には、信仰の光が消えかけていた。


「な、何を仰っているんですか! 神官がそのような」

「いいえ、いるんです。それは確実です」


 ルカスは立ち上がった。その声は穏やかなのに、どこか壊れたものを含んでいた。


「いるんです。ただ、その『神』は、私たちが祈りを捧げるに値する存在なのかどうか。それが分からなくなってしまいまして」

「ルカス様!」


「私が三日間かけて説得した神官たちの言葉は、すべて消されました。一人一人の前に跪いて、言葉を尽くして。それが誰の意思で、無に帰したのか」


 ルカスは自分の手を見つめた。祈りのために合わせ続けてきた手だ。


「この手を合わせる先に、慈悲があるのか。それとも、ただの気まぐれがあるだけなのか」


「ルカス様、それ以上はさすがに聞き捨てなりませんぞ!」

 年配の神官が声を荒げた。


「すみません。少し、休ませていただきます。考えなければならないことが、あるようです」


 ルカスは静かに神殿を出ていった。年配の神官は、その背中を不安げに見送った。



* * *



 ソフィアは自室で手帳と向き合っていた。

 机の上には白紙のページが広がっている。ペンを握る指が、微かに震えている。


「私が……書いたはずなのに」


 ソフィアは声を落とした。


 三日間の詳細な記録。カイルの偽造文書の進捗、ルカスの神官たちへの説得、レオンの拘束訓練、そしてクレア拘束の瞬間。すべてを、克明に記録したはずだった。赤いペンで線を引いた「ヒロイン賛美」のページ。ソフィアの手で、ソフィアの字で書かれた、確かな記録。


 しかし今、そのページは真っ白だった。いや、白紙に戻されたのではない。クレアを称える文章が、何事もなかったかのように元通り並んでいる。ソフィア自身の筆跡で。


「……これは、私が書いたものです。でも、私が書きたかったものじゃない」


 ソフィアは手帳を閉じて、引き出しから別の手帳を取り出した。ロードの直前、急いで書き殴ったメモが残っているはずだった。

 ページを捲る。


「この記録は確かに私の字です。でも、三日前の私が書いたのか、巻き戻される前の私が書いたのか。今の私は、どちらの私の続きなのかしら」


 ソフィアは手帳を抱きしめて、目を閉じた。記録者が自分の記録を信じられなくなること。それは、彼女にとって最も残酷な罰だった。


「お嬢様、お茶をお持ちしました」

 侍女がドアをノックした。


「……ありがとうございます。そこに置いてください」


 ソフィアは静かにそう答えた。声が揺れないよう、唇を噛みしめながら。



* * *



 日が傾き始めた頃、エリザベートは一人で学園の廊下を歩いていた。


 今日一日、仲間たちの様子を見て回った。カイルは図書館で虚空を見つめ、レオンは訓練を放棄し、ルカスは祈ることすらやめ、ソフィアは自室に閉じこもっていた。


「……みんな、壊れかけていますわね」


 エリザベートは溜息をついた。


 彼女自身も、今朝の「おはようございます、お嬢様」というマリエンヌの声が、まだ耳の奥にこびりついている。三日前と寸分違わぬ抑揚。寸分違わぬ笑顔。その完璧な反復が、世界が精密な舞台装置であることを、嫌というほど思い知らせてくる。


 けれど。


(わたくしまで崩れたら、誰が崩れた人間を拾い集めるのよ)


 エリザベートの足が、王太子専用の応接室の前で止まった。深呼吸をして扉をノックする。返事がない。もう一度。やはり返事がない。


「失礼しますわ」


 エリザベートは扉を開けた。


 部屋の中は夕日に染まっていた。橙色の光が壁を這い、長い影を床に落としている。

 窓際のソファに、ジークハルトがいた。座っているというより、うずくまっていた。膝を抱え、顔を埋めている。王太子の姿勢ではなかった。追い詰められた子供の姿勢だった。


「……おはようございます、おはようございます、おはようございます……」

 小さな声が、呪文のように繰り返されている。


「ジークハルト様」


 エリザベートが声をかけると、ジークハルトはびくりと顔を上げた。その緑の瞳は充血しており、頬には乾いた涙の筋が残っていた。


「また朝が来る。侍従が同じ言葉で起こしに来る。同じ朝日が差して、同じ鳥が同じ場所で囀る。何度目だ、これは。何周目なんだ」


「ジークハルト様」

「帰ってくれ。今日は誰とも話したくない」


 彼は再び顔を埋めた。その声には、王太子の威厳も、仲間を率いる強さもなかった。


「そうはいきませんわ」

 エリザベートは部屋に入り、静かに扉を閉めた。


「わたくしも、話したいわけではありませんの。でも、話さなければならないから来ましたの」

「何を話すんだ。どうせまた巻き戻される。努力は無駄だと」

「いいえ」


 エリザベートは首を振り、ジークハルトの前に立った。


「わたくしは、あなたに平手打ちをしに来ましたの」

「は?」


 パァン!


 乾いた音が部屋中に響き渡った。

 エリザベートの平手がジークハルトの頬を打ち、その衝撃で彼の体がソファの背もたれに押しつけられた。


「……っ!」


 ジークハルトが頬を押さえて顔を上げる。驚愕と痛みが、目の赤みを一瞬で覆い隠した。


「何を」

「もう一発、必要ですか?」


 エリザベートは打った手をそのまま構え、冷たい目でジークハルトを見下ろした。


「待て。説明しろ。いきなり人の部屋に来て平手打ちとは、どこの野蛮人だ!」

「野蛮人ではなく、悪役令嬢ですわ」


 エリザベートはあっさりと答えた。


「エリザベート・アルトマール。理不尽と暴力には定評がありましてよ」


 彼女は扇子で顎を軽く持ち上げるようにして、ジークハルトを見た。


「理由を申し上げましょうか。あなたが、情けない顔をしていたからですわ」

「情けない? 私は今、人生最大の絶望の中にいるんだぞ。同じ朝が繰り返され、努力がすべて消され」


「知っていますわ」


 エリザベートはジークハルトの隣に腰を下ろした。公爵令嬢にしては乱暴な所作に、年代物のソファが軋んだ。


「わたくしも同じものを見て、同じことを感じています。けれど」


 エリザベートは一拍、間を置いた。


「ジークハルト様。あなたは以前のイベントで、わたくしを助けようとしてくださいましたわね」


「糾弾イベントの時か。確かに、君の手を握り返した。だが、それがどうした。結局、巻き戻されて何も」


「その記憶は」


 エリザベートがジークハルトの言葉を遮った。声は静かだが、芯に硬いものがあった。


「この世界のどこにも記録されていません。ソフィアの手帳すら、白紙に戻されました」

「だから、無意味だと」

「意味はありますわ」


 エリザベートの声が、夕日に染まった部屋に響いた。


「わたくしの中に、刻まれています」


 ジークハルトは言葉を失った。


「あなたがわたくしの手を握り返してくださった、あの感触。あの温もり。この世界にとっては『なかったこと』でも、わたくしにとっては、確かに存在した瞬間ですわ」


 エリザベートはジークハルトの手を取った。その手はまだ震えていたが、エリザベートの指は揺るがなかった。


「それは、どんなシステムにも消せません。ロードにも、巻き戻しにも。なぜなら、あれは記録ではなく経験だからです」


「エリザベート……」

「それを無かったことにするなど」


 エリザベートのコバルトブルーの瞳に、炎のような光が宿った。


「わたくしが、許しませんわ。もう一発ビンタが必要でしたら、喜んで差し上げますわよ」


「……いや、遠慮する。もう十分に痛い」

 ジークハルトは頬をさすりながら、小さく笑った。空洞ではない、本物の苦笑だった。


「君は……悪役令嬢というより、暴君だな」

「褒め言葉として受け取りますわ」


 エリザベートは扇子を閉じた。


「さあ、明日、他の皆を四阿に集めますわ。全員、壊れかけていますから」

「壊れかけ? どの程度だ」

「カイルは存在論の迷宮に沈み、レオンは賽の河原で石を積むと言い出し、ルカス様は神の存在を疑い始め、ソフィアは自分の記録を信じられなくなっていますわ」

「……想像以上だな」

「ええ。だからあなたもしっかりなさい。共犯者なのですから」

「共犯者、か」


 ジークハルトは笑った。今度は、しっかりと。


「悪くない。だが、次は平手打ちなしで頼む」

「善処しますわ」



* * *



 翌日の昼休み、エリザベートとジークハルトは他の四人を四阿に呼び出した。


 集まった仲間たちの顔色は、昨日よりさらに悪かった。

 カイルは眼鏡の奥に深い隈を作り、手には分厚い哲学書を抱えている。レオンは何故か小石を数個持ってきており、四阿のテーブルの上に無言で積み始めた。ルカスは普段の穏やかな笑みが消え、ただ手を組んで黙っている。ソフィアは手帳を胸に抱きしめ、誰とも目を合わせようとしなかった。


「……何の用だ」


 カイルが力のない声で尋ねた。


「作戦会議とは言わないでくれ。どうせ、また時間を巻き戻される。同じことの繰り返しだ。それを哲学では『永劫回帰』と言うが」


「カイル、哲学の講義は後にしてくださいまし」

 エリザベートがぴしゃりと遮った。


「……俺はカイルに同感だ」


 レオンも力なく頷いた。小石をコツ、コツと積みながら。


「俺も、もう訓練する気が起きねえ。三日かけて身につけた技が、朝起きたら消えてんだぞ。体がまた元に戻ってやがる。だから石を積んでる。崩れる。また積む。それだけだ」

「レオン、あなたは本気で賽の河原の住人になるおつもりなの?」


「私も、祈る意味が分からなくなってしまいました」


 ルカスが静かに言った。その瞳は、いつもの柔らかな光を失っている。


「三日間かけて説得した神官たちは、何も覚えていません。私の言葉は、文字通り無に帰した。神に祈っていたつもりが、祈りの届く先そのものが、私たちを踏み潰す存在だったとしたら」

「ルカス様……」

 ソフィアが手帳から顔を上げて呟いた。



 沈黙が四阿を覆った。風が薔薇の葉を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえる。


「皆さん」


 エリザベートが立ち上がった。

 その動作に、四人の視線がゆるやかに集まる。しかしその目には、以前のような期待の光はなかった。ただ惰性で、顔を上げただけだった。


「確かに、わたくしたちの努力は無駄になりました」


 四人の表情がさらに翳った。レオンの積んでいた石が、カタリと崩れた。


「と、世界はそう主張していますわ」


 エリザベートは間を置いた。


「でも、本当にそうかしら」


「……何が言いたい」


 カイルが眼鏡の奥から、わずかに目を細めた。


「消されたのは、『結果』だけですわ。カイルが作った偽造文書は消えた。ルカス様が取りつけた証言は消えた。レオンが習得した技術は、体から抜けた。ソフィアの記録は白紙に戻された。すべての『成果物』が、消されました」


「だからこそ無駄だと」

「けれど」


 エリザベートは、一人ずつ目を見た。


「『経験』は、消えていませんわ」


 四阿に、一瞬の静寂が落ちた。


「カイル、あなたは偽造文書を作りましたわ。完璧な出来だったと自負しておられましたわね」

「……ああ、確かに」

「では、もう一度作れますか?」


 カイルの指が止まった。哲学書を持つ手が、わずかに力を取り戻す。


「作れる。いや、前回より早く作れる。手順も覚えている。どのインクが滲みやすいか、どの羊皮紙が古化魔術と相性がいいか。失敗した工程も、成功した工程もすべて、頭の中にある」


 その目に、微かに知性の光が戻った。


「ルカス様も同じですわ。神官たちを説得する方法、もう分かっていらっしゃいますでしょう」

「……ええ」


 ルカスが顔を上げた。


「誰が最も影響力があるか、誰がどんな言葉に心を動かされるか。それは、経験した者にしか分からない。次はもっと短い時間で、同じ結果に辿り着けるでしょう」


「レオン」

「……ああ」


 レオンは積んでいた石から手を離した。自分の拳を見つめる。


「三日間練習した感覚、確かに体からは消えてる。でもどう動けばいいか、頭では覚えてるんだよな。次にやれば、前より早く、勘を取り戻せる」


「ソフィア」


 ソフィアは手帳をきつく抱きしめたまま、小さく頷いた。


「……何を記録すべきか、どう整理すべきか、それは覚えています。ページは白紙に戻されましたけれど、記録する方法と記録すべき内容は、私の頭の中に残っています」


「つまり」


 エリザベートは全員を見回した。


「システムは、結果を消すことはできる。けれど、わたくしたちの中に蓄積された経験までは消せない。巻き戻されるたびに、わたくしたちは同じことを、より速く、より正確に、より上手くやれるようになる」


 エリザベートは扇子の先でテーブルを軽く叩いた。コン、という乾いた音が四阿の空気を変えた。


「ゲームの言葉で言うなら、『レベルアップ』ですわ」

「レベルアップ……」


 カイルが眉をひそめた。


「つまり、敵のパターンを覚えて次に活かす、ということか」

「ええ」


 ジークハルトが頷いた。彼の声には、昨日エリザベートに叩き込まれた、文字通りの芯の強さが戻っていた。


「私たちは三日間という経験値を得た。次は、その経験を活かせる。同じ三日間を、もっと効率よく使える」


「でも、また巻き戻されたら?」

 レオンが不安そうに言いかけた。


「巻き戻されましょう」エリザベートはあっさりと言った。「何度でも」


 四人が目を見開いた。


「プレイヤーが時間を巻き戻すたびに、わたくしたちは経験を積む。一周目より二周目。二周目より三周目。そしていつか必ず、プレイヤーが巻き戻す暇もないほどの、完璧な一手を打ちますわ」


「完璧な一手……」


 カイルの目に、あの分析的な鋭さが戻り始めた。哲学書を閉じて、テーブルの上に置いた。


「確かに、繰り返すほどに精度は上がる。変数の把握、手順の最適化、リスクの予測。すべてが、周回ごとに向上する」


「ゲームをやり込むプレイヤーだな」

 レオンが苦笑した。崩れた石を見下ろしながら。


「何度も死んで、何度もやり直して、最後にはボスを倒す。要は俺たちがプレイヤーになるってことだろ?」

「その通りですわ」


 エリザベートは扇子を閉じた。


「わたくしたちは、このゲームの真のプレイヤーになるんですわ」


 四人は顔を見合わせた。

 そして少しずつ、それぞれの目に、光が灯り始めた。眩しい希望ではない。もっと静かで、しぶとい何かだった。何度踏み潰されても地面から芽を出す、雑草のような光。


「……そうだな」


 カイルが立ち上がった。


「どうせ、もう普通の学生には戻れない。なら、徹底的に解析してやるさ。次の偽造文書は、前回の半分の時間で仕上げてみせる」


「俺も、やるよ」

 レオンが拳を握った。テーブルの上の小石を一瞥して、ふっと鼻で笑った。

「賽の河原は終わりだ。次は、崩されない塔を建てる」


「私も、もう一度祈ります」

 ルカスが静かに、しかし確かな声で言った。

「神にではなく。仲間のために」


「私は記録します」

 ソフィアが手帳を開いた。白紙のページを見つめる目には、もう怯えはなかった。

「何度消されても、何度でも書き直します。記録者として、それが私の戦い方ですから」


 ジークハルトは仲間たちの顔を見回した。一人一人の目に、まだ脆く、まだ不安定ながらも、確かな意志の火が灯っている。


「さあ、共犯者の皆さん」


 エリザベートが手を差し出した。


「もう一度、立ち上がりましょう。何度倒されても、何度巻き戻されても。わたくしたちは、諦めませんわ」


 ジークハルトが最初にその手を取った。次にレオン、カイル、ルカス、そしてソフィアが手を重ねた。六人の手が、四阿の中央で一つになる。


「誓いましょう」


 エリザベートの声が響いた。


「わたくしたちは、何度でも立ち上がる。賽の河原の亡者ではなく、この世界に自分たちの意志を刻む者として」


「誓おう」


 六人の声が、一つになった。


 空には夕焼け雲が流れていた。風が薔薇の葉を揺らし、甘い香りが四阿を包んでいる。世界は相変わらず美しく、平和で、何も変わっていないように見える。


 しかし六人の心には、消えない炎が灯っていた。


 何度時間を巻き戻されようと、何度絶望に沈もうと、それでも立ち上がる。結果は消せても、経験は消せない。それが、彼らの武器だった。


 夕日が六人の影を長く伸ばしている。影の中で、六人の手は固く結ばれていた。


 賽の河原の住人たちは、もう石を積まない。

 次に積むのは、崩れない塔の最初の一段だ。

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