不完全
Nが目を覚ますと、眠っているうちに必要な食事や着替えが部屋に置かれていた。誰かが、また片付けにくるかもしれないと、食べ終わった頃に扉が開くことを期待したが、扉ではなく天井の一角が開き、そこから操作アームが降りてきて、給仕がするように、器用に皿を重ね、テーブルを拭く。そして、Nが脱ぎ捨てた砂だらけの服を、いかにも汚いといった様子でアームの先でつまんで、また天井に引き上げていった。操作アームは、親近感を覚えるほど、人間の手の動きを学習している。相当の技術力がありそうで、この世界を構成しているのは、どのような人々なのか、とNは興味をいだいた。
がらんとした部屋を見回して、やはり牢獄かと暗澹たる気分でいると、それを見越して、まわりに突然、森が現れ、木々の間の風を感じ、かって地球の豊かな自然の中にいる自分を見出す。部屋全体がVR空間になっている。Nは興奮して、周囲を見回しながら歩くと、森の小道をぬけて海にでる。
しかし、結局は、部屋の中をくるぐる歩いているだけなのである。VRの作り出す仮想空間も種がつきて、同じところをぐるぐる回るだけだった。コンテンツについては、想像力が足りないとNは評価をくだした。
飽きて壁にもたれて座り込むと、こんどは反対側の壁がディスプレイになり、リアルな地上が映し出された。同じ場所のライブで、ただ時刻だけが過ぎていき、時々、天気の変化、つまり砂嵐が弱くなったり強くなったりするだけの映像が延々と流れる。砂粒が雑音のように、強くなったり弱くなったりして画面の中を横切っていた。
念仏のように砂の流れる画像を思考制御の一種かもしれないと思いながら、逆らいようもなく、画面に目をやっていると、Nが超えてきた石ころだらけの丘や廃墟の湖のあった山も遠く砂の中にかすんで見える。時刻は進み、しだいに夕刻になっていくようだった。
一瞬びっくりしてNは身を起こした。風でとばされる砂の先、丘の麓のあたりに動くものが見えたのだ。暗くなりはじめた風景の中で、はっきりとは判別できないが、それは、石や枯れ草が風で転がされる動きとはまったく違う、少なくとも意思がある動きである。砂にまみれて、迫る闇の中で輪郭もはっきりしないが、急いで身を隠そうというのでもなく、えさを探すような動物の動きでもなく、のろのろと一方向に向かって、複数の影が動いていた。マユタワーの作業で外世界に出たときに目にした、動物でもロボットでもない、うごめく者の光景をNは思い出していた。
Nが画面を注視すると、自動的に画面がズームして、その動くものを捕らえた。布で頭と体をすっぽりと覆い、砂をよけながら、うつむいて歩く人間の姿でだ。ひとりが、こちらを向きかけたが、画面のズームはクリアされて、もとのように砂の流れに紛れてしまい、やがて暗くなり何も見えなくなった。Nは呆然と、真っ暗になり何もみえない画面から目を離せなかった。
次の日の朝、Nの食事と着替えを天井のアームが片付けたあと、扉が開き、案内係のロボットが入ってきた。「こちらへ、どうぞ。」というと、最初に見た、大きな広間にNを連れていった。そこには、やせた背のひくい男がNを待っていた。年寄りなのか若いのかもわからない、不機嫌そうな顔をして、栄養が足りないのか、肌が干からびている。少し離れた場所、つまりいつもの距離を保って青い作業服の男が窓の方を向いて立っていた。
Nが口を開くより早く、男はNに、「あなたを元の状態に戻します。」と言った。いったい、この男は何者なのか。「ようこそおいでくださいました。なれないご旅行でお疲れになったでしょう。」くらいのことを言うのが礼儀というものだろう。こちらの世界の人々は、文化的には貧しいと、Nは評価した。どうりで、青い男も不愛想であったわけだ。
「あなたは、不完全なのです。」と、さらに男は続けた。「元に戻すといわれても、わたしは、生まれてからこの方、他人の意思で変えられた覚えはありませんが。」と、Nは答えた。アームの動きには凝るくせに、コンテンツや礼儀といった文化的なものには無頓着なここの世界の方が不完全である、とNは断じた。「そんなあんたに言われる筋合いはない。」ということだ。Nには珍しく、いらだちを覚えた。




