おむすび屋、虎さん。 第16話 かなしみのむすびと、狐の面
竹林を抜けた小道に、ぽつんと立つ祠がある。
その前に座っていたのは、一匹の――白い狐だった。
だが、ただの獣ではなかった。
狐は人の言葉でこう言った。
> 「……なあ、人間。むすびをくれ。
それを食べたら、俺はもう人を喰わずに済むかもしれねえ」
狐の顔には、どこか場違いな“面”がかぶせられていた。
それは古びた、木彫りの仮面――“笑った人間の顔”。
虎さんはしばらくその狐を見ていたが、やがて静かに問うた。
「……お前は、誰かの記憶を持っているのか?」
> 「……覚えてる。
あの日、祭の夜。あの子が俺にくれた、小さなむすび。
それが、たまらなく旨くて……それが“最後”だった」
> 「その子は?」
> 「……死んだ。俺が……守れなかった」
ルゥナが息を呑む。
> 「……あなた、人だったの?」
狐は小さく笑った。
> 「……昔はな。今はもう、人の形には戻れねえ。
でもな、人を喰う前に、“あのむすび”を思い出して……
食えなくなるんだ、胸が詰まって」
虎さんは火を起こし、荷をほどいた。
袋の奥には、こがし味噌と山菜の漬け物。
「……こがし味噌と山菜、か」
虎さんは味噌を香ばしく炙り、ご飯に混ぜ込み、形よく握った。
炭火の香りが、風に乗って狐の鼻先をくすぐる。
> 「……その匂い……同じだ。あの子の、むすびと……」
虎さんは無言でむすびを差し出す。
狐は一口――そして、もう一口。
> 「……やっぱり……あの時の味だ……」
狐の仮面が、ぽたりと落ちた。
その下の瞳は、人のそれに近い“涙”を浮かべていた。
> 「……すまねえな。……俺、ようやく“喰う”のをやめられそうだ」
虎さんは静かに言う。
「むすびってのは、“誰かの心”を宿してる。
お前がそれを思い出せたってことは、まだ“人のまま”なんだよ」
◇
翌朝、祠の前に狐の姿はなかった。
代わりに、古い面と一輪の椿、そして――
こがし味噌の、まだ温かいむすびが置かれていた。
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祈りのように握られたむすびは、誰かを“人の形”に戻す力を持つ。
忘れた記憶でも、消せない味でも、そこに込められた想いは、決して消えない。
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