おむすび屋、虎さん。 第13話 屋台の前に立つ、涙の旅人
その日、海霧が薄くたなびく朝だった。
屋台《おむすび屋、虎さん。》の前に、異国風の装束をまとった女性が立っていた。
褐色の肌、赤銅色の瞳。薄く裂けた唇からは、言葉がこぼれなかった。
> 「……こんにちは、でいいのかな?」
ルゥナが小さく問いかけると、女性は一歩、前へ。
> 「ムスビ……タベタイ。タベタイ、ノニ……ナマエ……ワカラナイ……」
片言だった。だが、それでも“必死”な声だった。
何かを探している。何かを、思い出そうとしている――そんな目だった。
俺は、屋台の具材を見渡した。
収納袋から、めずらしい食材が転がり出る。
――香草の混じったご飯。
――少し甘めの炒り卵。
――スパイスの香る乾燥肉。
「……異国風の混ぜご飯か。ちょっと変わり種になるが、いいか?」
女性は、目を見開き、そして涙を流した。
ルゥナが驚いた顔をする。
> 「なにも、まだ食べてないのに……」
> 「……カオリ。コレ……コノ、カオリ……オボエテル……」
香りだけで、記憶の扉が軋んで開きかけていた。
俺は、それらを混ぜて、優しくひとつのおむすびに握りあげる。
「ほらよ。“名前のない、きみの味”だ」
彼女はそれを受け取り、震える指でひと口、口に運んだ。
> 「……オカアサン……。アツクテ、カオリガ、ヨカッタ……
オカアサンノ、ムスビ……ダッタ……」
その瞬間、彼女の顔に、幼子のような表情が浮かんだ。
> 「ナマエ……ミリア。……ワタシ、ミリア……」
言葉と涙と味が、記憶を結びつけていた。
◇ ◇ ◇
ミリアは旅の民だったという。
幼い頃、戦乱で家族とはぐれ、記憶も言葉も曖昧になった。
けれど、その日食べた“スパイスのむすび”だけが、彼女の心に残っていた。
> 「このおむすび、また……ニホンゴ、ワスレナイタメニ……ニギリマス」
> 「いいね。むすびって、誰とでも通じる言葉だもんね」
ルゥナがにっこり笑った。
> 「……ありがとう、トラサン」
その呼び方に、思わず吹き出してしまった。
「ま、悪くねぇ。忘れられてた名前が戻るなら、何度でも握ってやるさ」
ミリアは胸に手を当て、小さく頭を下げた。
> 「オカアサンニ……アエタ……キガ、スル」
潮風に吹かれた屋台に、小さな笑顔が咲いた。
---
味も、香りも、言葉も――記憶になる。
名前を思い出すきっかけは、どこにでもある。
そしてその中心には、やっぱり“むすび”がある。




