《9》
病院で機能訓練室を開設して数週間。
機能回復法は“やってみたい”という患者も増え、その対応にセラフィーは忙しい毎日を送っている。
もちろん、エレオノーラの元にも定期的に通い続けている。
セラフィーは、朝からそわそわしていた。
何度も機能訓練室の窓から外を覗いては、病院の門を確認している。
「セラフィー様、今日はどうしたんですか?」
彼女のいつになく落ち着きない様子に、ミラが不思議そうに首をかしげる。
すると、セラフィーは「ふっふっふっ」と、不敵な笑みを浮かべ、これまでにないくらい声を弾ませた。
「今日はいよいよアレが来るんです」
「アレ?何ですかそれは。もう、もったいぶらずに教えて……」
「来たーーーっ!」
ミラの言葉を遮るようにしてセラフィーが叫ぶと、足早にエルヴィラがいる執務室へ向かった。
そう思いきや、急に立ち止まり振り返るとミラに向かって満面の笑みを浮かべた。
「あっ、また機能回復士のみんなにも紹介しますね」
今度こそ足早に機能訓練室を出て行ったセラフィーに、残されたミラは開いた口が塞がらず、彼女が去っていった方を見つめるばかりだった。
エルヴィラが執務室で仕事をしていると、少し強めのノックが響く。
「失礼します!」と、勢いよく入ってきたセラフィーに驚いて、彼女は目を丸くした。
「セラフィーちゃん、そんなに慌ててどうしたの?」
「エルヴィラ様!ついにアレが来ましたよ!ガレットさんが先ほど、門を通るのが見えました!」
セラフィーが興奮を抑えきれず、胸の前で握った両手を小刻みに揺らしながらエルヴィラに伝えると、彼女もまた「来たの!?」と、座っていた椅子を倒す勢いで目を輝かせながら立ち上がる。
そんな2人とは対照的に今にも倒れそうなガレットが、荷台に白い布をかぶせたものを執務室に運んできた。
「待たせたな、お嬢様たち。これが車椅子だ」
バッと布をめくると、セラフィーの前に、前世の記憶とそう変わらない車椅子が鎮座していた。
加工された軽量の鉄に、手で回すためのハンドリムが付いた車輪。
跳ね上げ式の足置きに安全のためのブレーキ。
他にも必要な物は全て備えられている。
(……本当に、できた)
「気に入らないか?」
ガレットが頭をかきながら、ぶっきらぼうに言った。
彼の今の状態を見ると、試行錯誤を重ね相当苦労したことがうかがえる。
「いいえ……完璧です」
顔を上げたセラフィーの目が潤んでおり、その言葉にガレットが安堵する表情を浮かべると、満足げに頷く。
エルヴィラは「触ってみても良い?」と、興味津々だ。
「まっ、俺の手にかかれば容易いことよ」
「とても、軽くて動きも滑らかですね。ガレットさん、本当に……本当にありがとうございます」
セラフィーが深く頭を下げると、ガレットは慌てた様子で柱時計を確認した。
「それよりお前大丈夫か?患者が来るんだろ?」
そう言われ、彼女が柱時計を見ると「大変!」と、声を上げた。
そして、慌てた様子でもう1度彼に礼をいうと、車椅子を押して執務室を後にした。
ガレットはそれを「やれやれ」と、見送りながら、執務室にあるソファで眠ろうとフラフラした足取りで進むと、あと数歩のところでガシッと腕を力強く掴まれた。
嫌な予感がしてゆっくり振り返ると、エルヴィラがにこりと微笑んでおり、その目の奥には有無を言わせぬ絶対的な圧があった。
「なにしてるのよ?ほら、あなたも行くわよ」
ガレットは無駄な抵抗と分かっていても言わずにはいられない。
「……エルヴィラ様。俺、最近まともに眠れてなくて──」
「良いから行くわよ!あとでフカフカのベッドで休ませてあげるから」
予想通りの展開にガレットは白目をむきながら、エルヴィラに半ば引きずられるようにしてセラフィーの後を追うのだった。
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セラフィーが車椅子を押し、エルヴィラがガレットを引きずるようにして向かった先は、診察室ではなく、患者の目を楽しませようと美しく整備された病院の中庭だった。
診察室の重苦しい空気を嫌ったレオナルドが、気分転換のため彼女たちを連れ出すことを聞き、ここを待ち合わせ場所にしたのだ。
そこには、楽しそうに走り回る夫と我が子と、自分の動かない足を見つめ、顔に暗い影を落とすマリアがいた。
シャーと近づいてくる車輪の音に、レオナルドが真っ先に気づいて振り向く。
そして、目を大きく見開くと、にやりと口角をあげ笑ってみせた。
「やあ、セラフィー嬢。……ついにできたのかい?」
その声にマリアが顔をあげると、生まれて初めて見るものに眉をひそめており困惑している様子だ。
セラフィーはマリアに目線を合わせると晴れ晴れとした笑顔で言った。
「マリアさん、お持たせしました。完成しました。これがあなたの足になる車椅子です」
「……車椅子?」
マリアはじっと車椅子を見つめている。
いつの間にか夫と子どもがそばに来ており、興味深そうに車椅子を見ていた。
「乗ってみませんか?操作方法を説明します」
「──嫌よ」
実際に自分が乗って見せても良いのだが、セラフィーは最初にマリアに乗ってほしかった。
「マリア、折角だし乗ってみようよ」
笑顔で言う夫の促しに、彼女は渋々頷くと、夫の手を借り車椅子にゆっくり腰を下ろした。セラフィーはマリアの姿勢を確認し、ハンドリムを持つように促す。
「マリアさん、この車輪の外に付いているものはハンドリムといいます。これを左右それぞれ手で持って、前にひと漕ぎしてみてください」
マリアは恐る恐るハンドリムを握ると、力を込め前方に車輪を走らせた。
シャー──
車椅子が走る音に、見守っていた者たちから歓声が沸き上がる。
マリアは、一度足を止めるように車輪の動きを止めた。
周囲からは彼女の背中しか見えないので、マリアがどういう顔をしているのか分からない。
彼女は、もうふた漕ぎすると、ハンドリムから手を離し両手で顔を覆い俯いてしまった。
セラフィーが慌てて彼女に駆け寄ると、そこには頬を涙で濡らすマリアの姿があったのだ。
「……めたわ」
「えっ?」
「進めたわ。自分の力で進めたわ……!」
両手を下ろし、現れたマリアの顔は、目元を涙で濡らしながらも、その表情は明るく輝くような笑顔を浮かべている。
その顔を見て、セラフィーの胸の奥からも熱くこみ上げるものがあった。
(良かった……本当に良かった)
車椅子に乗るということは、自分の障害を受け入れ、これから生活をしていくことになる。
この世界で車椅子を初めて見る彼女の葛藤は察するに余りある。
セラフィーはいつも笑顔で接していたが、心の中は不安でいっぱいだった。
彼女は、そっとマリアに抱き着くと、彼女もまたセラフィーを抱き寄せた。
2人の目からは次々と涙があふれ出し頬を伝っていく。
「ママーーー!」
顔を上げると、子どもが頬を赤く染め興奮した様子で駆け寄ってくる。
「ママ、すごいね!カッコいいね!」
目をキラキラさせながら話す子どもに2人は顔を見合わせ微笑みあった。
「ええ、そうね。これからは好きな時にあなたとお出かけできるわ」
マリアがぴょんぴょん跳ねて喜ぶ子どもを嬉しそうに見ていると、そっと肩に手が置かれ見上げると目を赤くした夫が笑って尋ねる。
「──どこに行こうか?」
「そうね……市場に行こうかしら。夕ご飯の材料を買って……お花も買いたい気分だわ」
何気ない日常を過ごしたい。
それが、どれほど尊いものだろうか。
市場へ行けば、物珍しそうな視線を浴びるだろう。
しかし、今の彼女ならば「私の足よ」と、堂々と走り抜いていくに違いない。
「マリアさん!機能回復法はここから始まりですよ。車椅子の操作方法に乗り降りの方法など、まだまだしなければならないことがたくさんあります!」
セラフィーが人差し指を立て片目をきゅっと閉じ、楽し気に笑ってみせる。
するとマリアは「ふふふ、望むところよ」と、笑顔を返してみせた。
その様子を見ていたエルヴィラとレオナルドは、顔を合わせると深く頷きあった。
2人は確信めいたものを抱いていた。
(この病院は機能回復法で生まれ変わる)
「──ねえ、ガレット」
「……なんだよ」
エルヴィラが静かに声をかけると彼は、口をへの字に曲げ、ぶっきらぼうに呟いた。
その顔は込み上げる嬉しさを隠し切れず、鼻の頭を赤くしている。
「もう1度、専属職人の件を考えてくれない?」
彼女は車椅子に乗るマリアたち家族を見て優しく眉を下げると、なにも答えないガレットに続けた。
「あなたもまた患者を救ったのよ。歩行を助ける道具も作ったんでしょ?これから、あなたの力を必要とする人がどんどん出てくるわ」
ガレットは、ぐっと拳を握り、力を込めた。
明らかに変わった彼の表情に、エルヴィラから笑顔がこぼれた。
「もちろん材料費や調達はドラヴェン公爵家に任せて。今後、量産にあたって人材確保も──」
「エルヴィラ様!1つ頼みがある!」
ガレットがエルヴィラの声を遮るように勢いよく言うと彼女は「なによ?」と、首を傾げる。
「職人は俺に選ばせてくれないか?腕の良いやつらがいるんだ。……癖ありだけどな!」
「まあ、類は友を呼ぶのね!」
「どういうことだよ!」
エルヴィラが深く共感したように、胸の前でぽんと手を合わせるとガレットはすかさず反論した。
青空の下、みんなから笑顔がこぼれ、明るい声が響く。
(取り戻していく。自分らしい時間を)




