第3章《10》
ある日の昼下がり。
ヴァレンはエルヴィラに呼ばれ、病院に向かうため馬車に揺られていた。
病院を訪れるのは、セラフィーをガレットの工房へ迎えに行った日以来だ。
馬車から外を眺めていると、見慣れない乗り物に乗っている女性が目に入った。
(あれが、セラフィーが考案したという車椅子というものか?)
書類では確認していたが、実際に見るのは初めてだった。
家族だろうか。
車椅子に乗る女性は、笑顔で横にいる元気な子どもに話しかけ、車椅子を押す男性は、それを温かく見守っている。
一目で幸せそうだとわかる様子に、ヴァレンは口元を緩めた。
病院に着き玄関を開けた瞬間。
ヴァレンは、信じられないものを見るかのように、息を呑んで目を見開いた
病院着ではなく、動きやすい服を着て廊下を歩く人々の姿。
ある者は杖や手すりを頼りに、ある者は歩行器や車椅子を自ら操り、それぞれのペースで移動している
その傍らで、機能回復士や看護師が声をかけながら寄り添っている。
病室からは時折、楽しげな笑い声も聞こえる。
外に目をやれば、園庭で家族と思われる者とくつろいでいる患者の姿も見える。
これまで静まりかえっていた病院がどうだろうか。
今や建物全体が活気に満ちており、行き交う人々の表情は明るい希望に輝いていた。
「すごいでしょ?」
そう声をかけられヴァレンが振り向くと、エルヴィラが誇らしげに目を細めて、嬉しそうに微笑んでいた。
「セラフィーちゃんがね『心が動けば、身体も動きます!』って言って病院着から動きやすい服を着る方針に変えちゃったの」
セラフィーによると一日中着替えず病院着のままだと、気持ちまで病人になってしまいベッドで過ごす時間が長くなるという。
朝、夜に着替えることで生活リズムを整え離床を促す。
また日常生活に必要な身の回りの動作練習にもなるという生活に基づいた機能回復訓練らしい。
「あれも見てよ」
エルヴィラに促され、ヴァレンが窓から外を見ると、園庭の片隅に真新しい建物が目に入った。
それは彼女の計らいで、ガレットが効率よく依頼を受けられるよう開設された、工房の出張所だった。
その前で、見覚えのある男のほかに、2人の男が立っていた。
「見てくださいよ、ガレットさん。この素晴らしい革!さすが公爵家が調達してくれるだけありますよね」
ひとりは、指先が強靭に荒れた、柔和な目つきの若い革細工職人。
腕は確かだが革にこだわり過ぎて破産寸前だったらしい。
「ガレット!なんだ、この厚さのフレームは。わしならもっと薄くできるぞ!」
もうひとりは、無数の傷が刻まれた分厚い手を持つ、頑固そうな初老のベテラン金属職人だ。
部品を作るなら右にでる者はいないが、設計がとにかく苦手ということだ。
「なんだと!あと3年もすりゃ俺だってできるぜ!俺の方が接続部を作るのは上手いし!」
確かにガレットの言っていた通り、一癖も二癖もありそうな職人街の凄腕たちだった。
この3人を、セラフィーは見事にまとめあげているらしい。
「みなさん、そこまでです!みなさんの職人魂はとても素晴らしいですけど、まずは患者さんの状態を見て、何が1番適しているか考えましょう?」
そんな彼女の一声で、頑固な職人たちが「その通りだ」と、一気にしゅんとうなだれる。
そんな勇ましい光景が、これまでに何度も目撃されていたそうだ。
──男たちの光景から、ヴァレンが過去の噂を思い浮かべ、外へと視線を送っていたその時。廊下の奥から、セラフィーの凛とした声が聞こえてきた。
彼が目をやると、機能回復士が彼女の話に真剣に耳を傾けている。
その様子から見て何か助言をしているのだろう。
次第に機能回復士の顔が、晴れ晴れしい笑顔になっていく。
ヴァレンは、しばらくその光景を見つめていた。
なぜ彼女から、こんなにも目が離せないのだろうか。
エルヴィラがヴァレンの横顔を見て、小さく驚き笑みがこぼれた。
「ふふ、あなたがそんな顔で笑うなんて珍しいわね」
「別に」
2人に気が付いたセラフィーが、嬉しそうな満面の笑みを浮かべて、こちらへ楽しげに近づいてくる。
その生き生きとした姿に、ヴァレンも優しく眉を下げて微笑み返すのであった。
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その夜、邸宅の執務室に戻ったヴァレンは、机に向かってはいたが、ペンはほとんど進んでいなかった
(──なぜ、俺はセラフィーにあんなにも見入っていたんだ)
昼間の光景が、何度も頭の中で繰り返される。
機能回復士たちに指導するセラフィーの、真剣な横顔。
自分に向けられた、ふわりと咲くような笑顔。
彼女が笑うから、自分はつられて笑っただけだ。
それだけのはずだった。
(──俺は、セラフィーに何かできているんだろうか)
ふと、頭に浮かんだ言葉に、ヴァレンは自分でも驚く。
そう言えば、機能訓練室の開設から今日まで、彼女に礼らしい礼をしたことがなかった。
祖母の件も、ジークの件も、彼女の功績は数えきれない。
(……労いなら、何もおかしくはない)
そう結論付けると、ヴァレンはようやくペンを取り、何かを思いついたように1枚の美しい便箋にさらさらと文字を走らせた。
翌朝、真っ先に手配させたのは、アシュレイ侯爵邸へ向かう馬車だった。
(──これは、礼だ。それ以上でも、それ以下でもない)
自分にそう言い聞かせながらも、支度をする手が、いつもより早いことに、ヴァレンはまだ気づいていなかった。




