《11》
「セラフィー、最近忙しそうだけど疲れていない?」
「大丈夫よ、兄様。とても充実した日々を送っているわ」
互いの近況を報告し合いながら、2人が休日をゆっくり過ごしていると、アシュレイ侯爵邸に黒い馬車が止まった。
使用人が血相を変えて駆けてくると「アルノルト様、セラフィー様、ドラヴェン公爵家嫡男様がお見えです」と、伝えられた。
アルノルトとセラフィーは顔を見合わせ、思いがけない訪問に驚き慌てて2人で玄関に向かった。
すると、そこにはヴァレンがすでに扉の前に立っており、アルノルトが深々と頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました。アシュレイ侯爵家嫡男アルノルトと申します。父が公務で不在のため、私が対応させていただきます」
「ドラヴェン公爵家嫡男ヴァレンだ。突然の訪問になり、申し訳ない。使いが間に合わなかったようだ」
「いいえ、直々においでくださるとは恐縮です。どうぞこちらへ」
応接室に通し、ヴァレンが長椅子に座ったことを確認すると、アルノルトとセラフィーも向かいに腰を下ろす。
セラフィーはヴァレンがなぜ訪問してきたか分からなかったが、それはアルノルトも同じようだ。
アルノルトは恐る恐る口を開くとヴァレンに尋ねた。
「……今日はどのようなご用件でしょうか?」
「今日、セラフィー嬢をしばらく借りたい。付き合ってほしいところがある。夕刻には送り届ける予定だ」
アルノルトが安堵したように穏やかに微笑んだ隣で、セラフィーはわけが分からず目を丸くした。
「かしこまりました。どうぞよろしくお願いいたします」
兄の言葉にしっかりと頷くヴァレンをよそに、セラフィーは澄んだ目をパチパチさせ、あわあわと言葉を詰まらせる。
「い、今からですか?」
「何か予定があるのか?」
「……ないです」
有無を言わせぬ迫力にタジタジになりながらも、セラフィーは頬を赤く染めた。
表情からは、隠しきれない笑顔がこぼれていた。
(ヴァレン様と2人でお出かけするなんて初めてだ)
馬車が走り出した後、アルノルトはしばらくそれを見送っていた。
馬車に乗る際、ふっと口角を上げ、手を差し伸べるヴァレンの姿と、嬉しそうにその手を取り、頬を染める妹の姿が脳裏から離れない。
(父上に報告したらどうなるかな?)
娘を溺愛している父はきっと涙するに違いない。
アルノルトは、その光景を想像し、ゆっくりと微笑むのだった。
馬車がゆっくり止まったのは、アルメリアの中心街にある重厚な石造りでできた宝飾店の前だった。
「着いたぞ」
(こっ……ここは!?も、もしかして『ガージ宝飾店』!?)
入り口には制服を着た門番の男性が隙のない所作で立っている。
ここは王家や高位貴族御用達の国内外で名が知れ渡る最高級店だ。
憧れを抱いたところで、そうそう購入することはできない。
侯爵家令嬢であるセラフィーが圧倒されるには理由がある。
アシュレイ侯爵家は、由緒正しい家柄である。
元は伯爵家であったが、数代前の当主が2代続けて大きな功績を挙げ、侯爵へと格上げとなった経緯がある。
その後は突出した功績こそないものの、代々、国の内政を実直に担っている。
近年は『いなくても困らないと思っていたが、いなくなって初めてその有難みに気づく』という、絶妙な地位を有しており、貴族からは味方にする有益さも、敵に回す怖さもない存在として認知されている。
当然、日々の衣食住に困るようなことはない。
しかし、アシュレイ家の堅実な経済感覚からすれば、ガージ宝飾店は一歩足を踏み入れるだけで胃がキリキリと痛み出すような、圧倒的な気後れを感じてしまう場所だった。
ヴァレンが先に馬車を降り、迷いのない所作でスッと手を差し伸べてくる。
緊張で指先が震えそうになりながらも、その大きな手に引かれるようにして、セラフィーはガージ宝飾店の前に降り立った。
門番の男性が、ヴァレンの姿を認めるなり深々と最敬礼をすると扉が静かに開かれると、その先にはもう1人店員らしき男性が控えていた。
「ようこそいらっしゃいました、ヴァレン・ドラヴェン様。こちらへどうぞ」
煌びやかな宝飾品が飾られている廊下を歩き、案内された先には見事な彫刻を施されたオーク材の扉があった。
そこを開くと、目の前に広がったのは特別室だった。
落ち着いた照明の中に、厳選された宝飾品だけが並んでいる。
セラフィーは混乱状態であったが、それを悟られまいと姿勢だけは正そうとしていた。
その横で、ヴァレンは当然のように長椅子に腰を下ろした。
「ここに座れ」
「は、はい」
ヴァレンに促され座ると、すぐさま紅茶が用意された。
とても良い香りが漂う。
「本日はどのようなものをお探しでしょうか」
ヴ
片膝をついた支配人が恭しく聞いた。
ァレンがセラフィーを見ると「選べ」と、一言だけ静かに口にする。
「え?私が選んでいいんですか?」
「ああ──ただの労いだ」
(エレオノーラ様が機能回復訓練を頑張っているから、そのプレゼントを私が選ぶってこと?)
セラフィーは自分には一生縁のなさそうな宝飾品たちを前に脳内で完璧な納得をして、エレオノーラのためにと、大張り切りで宝飾品が並べられたトレイを覗き込んだ。
ネックレス、ブローチ、ブレスレット、指輪……。
色とりどりの宝飾品が、照明を受けて一段と美しく輝いている。
セラフィーは思わず身を乗り出した。
「わあ、どれも素敵ですね!エレオノーラ様はどんな色がお好きですか?やっぱり落ち着いた色の方が良いですよね」
セラフィーがヴァレンの方を見ると、彼は眉間に皺を寄せ、首を傾げながら少し間を置いた。
「……お前、何か勘違いしていないか」
「え?機能回復訓練を頑張っているエレオノーラ様へのプレゼントではないんですか?」
「セラフィーへの礼だ。好きなものを選べ」
「……えっ!私に!?」
セラフィーは固まった。
支配人が微笑みながら控えている。
そんな中、ヴァレンは涼しい顔で紅茶に手を伸ばしていた。
「どうした?気にいるものがないか?他のものを持ってこさせよう」
「ち、違います!……こんな素敵なお店で、私なんかに……」
「では選べ」
「は、はい!」
セラフィーは慌てて宝飾品に視線を戻した。
さきほどより宝飾品たちの輝きが増しているような気がして目が眩む。
(あっ)
その時、あるひとつのネックレスに目が止まる。
細い金の鎖に、洗練された氷青の宝石。
その美しさに、セラフィーは心を奪われたように、じっとネックレスを見つめた。
彼女の視線に気付いたヴァレンも、トレイに置かれたネックレスに目をやった。
「それが気に入ったのか?」
「これ、特に素敵ですね。──ヴァレン様の瞳と同じ色です」
セラフィーが胸の前で手を握り、うっとりした声で答えると、今度はヴァレンの動きがピシッと止まる。
彼の様子に気づくことなく、セラフィーは宝石から目を離さないまま無邪気に続けた。
「氷青というか……深みがあるのに温かそうで。ヴァレン様の瞳と同じでとても綺麗です」
セラフィーがしまった、と思った時には遅かった。顔が一気に熱くなっていく。
「あ、その……宝石が、という意味で……」
ヴァレンが普段と変わらない平然とした様子を見せたため、セラフィーはホッと安堵した。だが、彼女の位置からは見えなかったが、彼の耳の付け根だけがほんのりと真っ赤に染まっていた。
「……それにするか?」
「え?」
「このネックレスをもらおう」
ヴァレンが支配人に目配せすると、彼は「かしこまりました」と、にこりと微笑んだ。
2人の初々しいやり取りに熟練の支配人は、お茶目に目を細めて微笑みながらシルクの手袋をした手で恭しくネックレスをヴァレンに差し出した。
「ご提案ですが、ぜひヴァレン様の手で、ご令嬢のお首元を飾って差し上げてください」
ヴァレンは彼の言葉に驚き、少し険しい顔を向けるも、支配人はどこ吹く風でそれを軽く受け流した。
さすがは最高級店の支配人、積んできた経験が違うのだろう。
ヴァレンは、軽くため息をつくと、観念したようにセラフィーに向き直る。
「──後ろを向け」
「で、でも……これはヴァレン様の瞳の色で──私が持っていいんですか?」
「問題ない。受け取れ」
ヴァレンの言葉に大人しく彼に背を向ける。
それから、ネックレスが付けやすいように蜂蜜色の髪を片方に寄せると白いうなじがあらわになった。
背中越しでもこの胸のドキドキは聞こえてしまうだろうか
セラフィーが用意された鏡を見ると、胸元には美しいネックレスが確かに輝いている。
「……ありがとうございます。大切にします」
「ああ」
ヴァレンは短く答えて、視線を逸らした。
その耳が、照明の下でもはっきりと分かるくらい赤い。
鏡を見て嬉しそうに笑みを浮かべるセラフィーは、そんな彼の姿を知る由もなかった。




