《12》
宝飾店を出ると、夕暮れにはまだ早い時間だった。街のざわめきが聞こえてくる。
その時、後方から聞き覚えのある声がした。
「あら、セラフィー様!」
振り返ると、ローザが歩行器をゆっくりと押しながら歩いてきた。
その隣を夫が優しく寄り添っており、2人の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
久しぶりの再会にセラフィーは嬉しくなって駆け寄っていく。
「ローザさん!お出かけですか?」
「ええ。これのおかげで外に出ることが増えたのよ」
ローザは、歩行器を相棒のように、そのハンドルを優しく撫でた。
ガレットの工房の職人が増えたことで、病院以外の街中でも少しずつ歩行器を使用して歩く人々の姿が見受けられるようになってきている。
それを見るたび、セラフィーの胸は温かい喜びで満たされた。
「あなたがいなければ、妻はまだ家の中に閉じこもっていました」
礼を述べ、頭を下げる夫に、セラフィーは慌てて首を振った。
「ローザさんの頑張りと旦那様の支えのおかげです。私は少しお手伝いしただけです」
和気あいあいと近況を話し合っていると「そうだ」と、ローザが思い出したように言った。
「あそこのカフェ、女性に大人気なのよ。せっかくだから寄ってみてはいかがかしら」
ローザが指差した先に、石造りの可愛らしい建物があった。
窓際に花が飾られ、中から甘い香りが漂ってくる。
「わぁ~素敵なカフェ!」
「——行ってみたいのか?」
今までやり取りを見守っていたヴァレンに声をかけられ、セラフィーは胸の前で焦ったように、小さな手を忙しなく動かした。
「だ、大丈夫です、ヴァレン様。ヴァレン様の口に合うかどうか……」
「あら、セラフィー様。連れて行ってもらいなさいな。こんな男前とデートできるなんてそうそうないわよ?」
「デ、デート!?」
ローザにそう言われ、セラフィーは顔を真っ赤に染め、両手で頬を覆った。
「ありがとう、ご婦人。では、失礼する」
ヴァレンは礼儀正しく挨拶をすると、そのまま戸惑うセラフィーを促し、カフェに向かって歩き出した。
その姿を、ローザ夫妻が微笑ましそうに2人の背中を見送る。
「それにしても、稀に見る男前だったわね。セラフィー様にぴったりだわ」
「あぁ、本当にお似合いだ」
(──すごい……すごく違和感がある)
セラフィーは、店員が持ってきたメニュー越しにヴァレンの様子をうかがった。
ピンクの可愛らしい造りの椅子にヴァレンが鎮座している。
あまりに不釣り合いで、彼の周りだけ神々しく光がさしているようだ。
カフェの窓際の席はすこぶる目立ち、周りの女性客や店員までも「すごい男前がいる……」と、ヴァレンを伺い見て目が離せない。
少し居心地悪く、緊張気味だったセラフィーは、メニューを開いて目を輝かせた。
「わあ、色々ありますね。ここのお茶、薬草を使っているみたいです。ケーキも美味しそう!
ヴァレン様は何になさいますか?」
「お前が決めてかまわない」
セラフィーは「うーん」と、しばらくメニューとにらめっこをし、ひらめいたとばかりに顔を上げた。
「では2種類頼んで、半分こしましょう!」
「……半分こ」
ヴァレンが聞き慣れない言葉を繰り返したが、セラフィーは、満面の笑みを浮かべながら店員に声をかけた。
しばらくして注文したお茶とケーキが来ると、彼女は手際よくケーキを半分に分け始める。
ヴァレンはその様子を、じっと見つめていた。
「セラフィー」
「なんでしょう?」
「令嬢は、そういうことをするのか?」
「だって色々食べたいじゃないですか。ヴァレン様も食べてみてください。こちらのケーキ、見るからに美味しそうですよ?」
セラフィーがケーキの皿を差し出すと、ヴァレンは黙って受け取り、半分に分けられたケーキを見つめた。
そんな彼にはお構いなしで、彼女は、お茶を一口飲むと、目を輝かせた。
「美味しい!ヴァレン様もどうぞ」
「……ああ──好きな味だ」
「良かった!ローザさんが教えてくれて良かったです」
「ローザというのは先ほどのご婦人か?」
「はい。最初は歩くのが怖いと、なかなか外に出られなくて……旦那さんとお出かけできるようになって、本当に良かったです」
先ほどの夫妻の穏やかな顔を振り返るように、セラフィーが窓の外を見た。
ヴァレンは窓の外を見ながら笑う、彼女の横顔に目を奪われた。
(いつもそうだ。患者の回復を、自分のことのように喜ぶ顔から目が離せない。
セラフィーは、俺の家柄や身なりに群がってくる女たちとは違う。
ネックレスも自分のものだとは思わず、平民が利用するカフェでこんなにも楽しそうだ。
誰もが俺に媚びを売り、顔色を窺うこの世界で、彼女だけが、1人の男として接してくれる。
……患者の孫ぐらいにしか思われていないのか?しっかりしていると思えば、どこか抜けているところがあったり──変なやつだ)
「ヴァレン様、ケーキはお口に合いましたか?」
「……悪くない」
「良かった!次はあちらのケーキも試してみませんか。見てください、あの飾りつけが可愛くて──」
セラフィーの屈託ない笑顔にヴァレンの口角も自然と上がり、ころころ変わるその愛らしい姿に、彼の口元からふっと笑みがこぼれた。
その頃、カフェの前の道を通りかかった豪華絢爛の馬車の中から、1人の令嬢が窓の外を見ていた。
深みのあるローズピンクのロングヘアとアメジストはめ込んだような瞳。
美しい完璧な笑顔がその瞬間、凍りつく。
カフェの窓際でヴァレンと向かい合って笑うセラフィーの姿が見えた。
(ヴァレン様が、あの令嬢と──)
令嬢の手が、ドレスの上で力強く握りしめられる。
馬車の幕が、静かに下ろされた。




