《6》
今日、セラフィーは、エレオノーラの機能回復訓練のためドラヴェン公爵家を訪れている。
今回は、離れの部屋ではなく、気分転換と運動がてら園庭の東屋での訓練を提案した。
花の香りが鼻をくすぐり、頬にあたる風が気持ちいい。
「ではエレオノーラ様、この詩の一節を音読してみましょう」
エレオノーラは頷くと、ゆっくり声に出し詩を読み始めた。
耳と目の両方から刺激を入れることで、言葉が出やすくなるのだ。
「とても良いですね。以前より言葉がスラスラ出て、声も大きくなってきましたね!」
セラフィーが満面の笑みで伝えると、エレオノーラも嬉しそうに頷き返した。
彼女は侍女と共に自主練習を欠かさず、毎日努力を重ねているという。
「では次に歌を歌ってみましょうか。侍女の方から歌うことがお好きだとお聞きしました。喉を鍛える効果があるんですよ」
「歌ぇ、なぃわ……」
彼女の提案に、エレオノーラは悲しそうに俯くと首を横に振った。
セラフィーは頷くと、人差し指を立てタクトを振るように楽しげに振る舞った。
「ハミングで良いんですよ。ハミングも立派な歌です」
「エレオノーラ様、あれにしましょう!」
そう侍女が言うと先陣を切って歌いだした。
よく知っているその歌に、セラフィーもハミングで歌いだす。
最初は戸惑いを見せていたエレオノーラも次第にリズムに乗り始め、はにかみながら口ずさみ始めた。
その歌声は風に乗り、執務室でペンを握っていたヴァレンの耳にも届いた。
ふと窓の外に目をやると、その楽しげな様子に思わず笑みがこぼれる。
まるで幼いころの自分と祖母のようだ。
再びペンを走らせたヴァレンは無意識に懐かしい歌を口ずさみ、その指先はどこか軽かった。
そんな珍しい彼の姿に、レイズは一瞬目を丸くして驚きに目を見張ったものの、微笑ましそうに口角を上げるのであった。
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その日の夜、セラフィーは月が出るまでドラヴェン公爵家に滞在した。
なぜこの時間になったかというと、エレオノーラに夕食を是非一緒にと誘われたからだ。
祖母に呼び出され、公務を切り上げたヴァレンの登場には驚いたが、思いがけず会話が弾み、会食はあっという間に過ぎていった。
帰宅時はドラヴェン公爵家が馬車を出してくれるという。
ヴァレンは馬車の準備ができるまで、セラフィーを庭園の案内するようエレオノーラから命じられた。
溜息をつきながら立ち上がったヴァレンは「行くぞ」と、セラフィーに声をかけると、慌てて立ち上がる彼女に歩幅を合わせてゆっくり歩き出した。
そんな2人の姿をエレオノーラと侍女たちが、どこかニマニマしながら見送った。
明かりが灯された邸宅と庭園は、日中とはまた違う装いになり見惚れるほど美しい。
月明かりに照らされた石畳を、2人の靴音が交互に鳴り響く。
歩きながらセラフィーはヴァレンの横顔をチラリと見た。
最初はクールでかっこいいと思ったが、今はその横顔に温かさが窺える。
視線に気づいたヴァレンが足を止め、ふいにセラフィーを見返した。
その瞳が、いつもより優しく見えた。
「セラフィー嬢……先ほどの料理は、口に合ったか?」
「はい!どれも美味しくて食べ過ぎてしまいました。でも、デザートの魅力には勝てませんね。さらに欲張って食べてしまいました」
セラフィーが満足そうに答えると、ヴァレンは「なら良かった」と、呟き月を見上げた。
彼女もつられて夜空を見上げた。
星が瞬き、心地よい夜風が頬を撫でる。
ヴァレンはセラフィーに向き直ると、口元に静かな微笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「えっ?」
彼からの思いがけない言葉に、セラフィーは少し驚きヴァレンを見た。
彼のその眼差しは、もう警戒心などなく彼女を心から信頼しているように思える。
「祖母の表情が最近明るい。侍女ともよく庭園を歩いているようだ」
「……私は頑張るエレオノーラ様に対して少しお手伝いしているだけです」
「お前のおかげだ。祖母だけでなく家族も救われている」
セラフィーはぐっと唇に力を入れた。
胸の中がじんわりと温かくなっていく。
「病院の機能回復訓練の方はどうだ?順調か?」
「はい、1週間後いよいよ本格始動です。みんなとても頑張ってくれていますよ。看護服を着ているんで、一見すると機能回復士には見えないんですけど」
「そうか……」
セラフィーが困ったように苦笑いしながら答えると、ヴァレンは顎に手をおき斜め下に目線を送りながら何か考えているような素振りを見せた。
そんな時、馬車を引く音が遠くから聞こえてきた。
「迎えが来たようだ、行こうか」
「はい」
セラフィーは踵を返し、玄関へと続く石畳を歩き出した、その時。
靴のヒールが、石畳の段差に引っかかった。
(あっ!)
体が傾く。
(あの時と同じだ……!)
恐怖心で身体が固くなり手も足も出ない。
セラフィーは、迫りくる地面にぎゅっと固く目を閉じた。
しかし、痛みも地面の冷たさも感じることなく、心地よいぬくもりに包まれた。
「っ……」
気づけばヴァレンの腕の中にいた。
一瞬、時間が止まったような気がした。
「大丈夫か?」
ヴァレンが静かに言った。
呆れているような、しかしどこか温かみのある声だった。
「す、すみません……」
「怪我はないな」
セラフィーはブンブンと縦に首を振った。
頬が熱い。顔から火が出そうだ。
「行くぞ」
ヴァレンは大きな手で彼女の右手を取ると、ゆっくりとセラフィーを促した。
その指先に残る温かさはセラフィーの胸にまで伝わり、ベッドに入るまでずっと消えなかった。
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いよいよ今日は、機能回復士として本格始動する記念すべき日だ。
セラフィーは真新しいユニフォームに手を通した。これを着る自然と背筋が伸びる。
新設された機能訓練室の前で深呼吸するとセラフィーは第一歩を踏み出した。
「おはようございます。今日から皆さんも機能回復士です。改めてよろしくお願いします」
6名の看護師あらため機能回復士たちは、緊張と高揚感で表情がどこかぎこちない。
ユニフォームを着たことで、よりそれらの感情は高まったかもしれない。
このお揃いのユニフォーム。実は3日前に機能訓練室に突然届いたものだ。
差出人不明の大きな箱を皆で恐る恐る開けると、人数分のユニフォームが入っていた。
(きっとヴァレン様だ……)
セラフィーはあの夜、顎に手を当て考えていたヴァレンを思い出し、直感的にそう思った。
みんなが嬉しそうに袖を通すなか、セラフィーはユニフォームをぎゅっと抱きしめた。
「おはよう、機能回復士のみんな!今日からよろしくね」
元気な挨拶と共に、エルヴィラが晴れやかな笑顔で機能訓練室に現れた。
彼女は訓練室を見渡し機能回復士たちに向き直ると、しっかりと頷く。
「ユニフォーム姿とっても素敵ね。動きやすそうだし、何よりみんなの表情が引き締まって見えるわ」
この訓練室を作るにあたり新しく平行棒や階段など訓練に必要なものを揃えるためセラフィーとエルヴィラは何度も話を重ねてきた。
そのやり取りのなか2人の親密度は深くなり、エルヴィラは親しみをこめて「セラフィーちゃん」と、呼ぶようになっていた。
エルヴィラが「さあ、最初の患者さんが待っているわよ!」と、胸の前で手を叩く。
すると、セラフィーは、ぐっと目に力を込め小さくガッツポーズをした。
「みなさん、行きましょう!」
廊下ですれ違う医師や看護師のなかには、まだ半信半疑の冷ややかな視線を向けてくる。
しかし、ユニフォームを着た機能回復士たちは胸を張って歩いた。
「──待て」
低い声に、セラフィーたちの足が止まる。
振り返ると、そこにいたのは見覚えのある壮年の医師だった。
ジークの機能回復訓練の際、「こんな異端の医療の真似ごとが上手くいくはずない」と、吐き捨てた、あの医師だ。
「医者でもないお前たちが、何ができる?可憐なご令嬢は、異端者になりたいのか?」
「はい、医師ではありません。機能回復法は万能な治療でもありません。ただ、私たちは機能回復士として患者さんを支えたいです」
セラフィーたちの真剣な眼差しに、医師は鼻で笑うと彼女たちの前から立ち去った。
とは言っても、患者側も機能回復士たちもお互いが手探り状態である。
そこでまず、機能訓練は医師から許可がおり、尚且つ患者自身または家族が興味を示した患者に実施することになった。
回復していく様子を目の当たりにしていけば、おのずと関心を持つ人も増えてくるだろう。
セラフィーは、特定の患者さんの担当はせず、それぞれの機能回復士の指導やフォロー、啓発活動が主な業務だ。
午前は、あっという間に過ぎていった。みんな良いスタートをきっている。
今日の入院患者たちは、機能回復法への受け入れが良いため、今後の方針を話すと霧が晴れるように、瞳に生気がみなぎった。
それを見るとセラフィーの瞳も輝き、自然と笑顔がこぼれるのであった。




