《25》
晩餐会から数か月。
『機能回復法を国王夫妻が新しい治療法として認めた』という噂が駆け巡り、以前拒否していた者も意欲的に機能回復訓練に励んだ。現金なものだ。
機能回復法は今や首都だけでなく、各地方の領主貴族たちが、自身の領地へ普及させようと試みるほどになっていた。
エルヴィラに呼び出され、病院を訪れたヴァレンの目に映ったのは、リリアーナの流した黒い噂が完全に払拭され、かつての活気を取り戻した光景だった。
廊下を杖や手すり、歩行器や車椅子で移動する人々。
機能回復士や看護師、医師……病院職員や患者の生き生きとした表情。
病室からは時折、笑い声が聞こえてくる。
ヴァレンがそっと機能回復訓練室をのぞき込めば、ガレットが真剣な眼差しで患者の足に装具を装着していた。
セラフィーの姿は見当たらない。
ヴァレンが諦めて本来の目的である執務室に向かうと、エルヴィラが不敵な笑みを浮かべ待ち構えていた。
「待っていたわよ、ヴァレン!レイズから資料は受け取ってくれた?」
「ああ、いい提案じゃないか」
手元の資料に視線を落とす。資料の内容はこうだった。
この国で入院できるのは貴族や軍人、豪商などの特権階級が中心である。
平民は外来通院制度も整えられているとはいえ負担は大きい。
早期から機能回復訓練に取り組むためにも平民への入院制度を整える必要がある。
──資料にはそう記されていた。
懸念される入院費用については、特別室や個室を希望する者からそれ相応の費用を徴収し、大部屋は安価な料金設定にすることで相殺する、という画期的な内容だった。
「実はこれ、セラフィーちゃんの提案なの」
「セラフィーが?」
ヴァレンは、どこまでも患者を思い真摯に取り組むセラフィーの姿が思い浮かび、胸が熱くなる。
エルヴィラは資料を指でスッとなぞりながら微笑んだ。
「貴方も私もセラフィーちゃんに救われているのよね。お祖母様も病院も、この国の医療でさえ──本当にすごい子だわ」
ヴァレンは何も答えず、フッと口角を上げた。
自分がよく笑うようになったのも、愛するが故にかき乱される感情も悪くない。
セラフィーのおかげで自分の人生はより豊かに変わっていく。
ヴァレンは、胸が締め付けられるほど、彼女に会いたくてたまらなくなった。
「セラフィーはどこにいる?」
「今は確か休憩時間かしら?病院の園庭にいるかもしれないわ」
ヴァレンは、それを聞くと足早に執務室を後にした。
その姿にエルヴィラは「やれやれ」と、呆れたように、ふっと目元を優しく緩ませると弟の幸せを心から願うのだった。
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ヴァレンが園庭につき辺りを見渡すと、園庭の端に、見事な枝葉を広げた1本の大木がそびえ立っていた。
その優しい木陰は、入院患者たちの、絶好の憩いの場となっている。
その大木の元に置いてあるベンチにセラフィーの姿があった。
座りながらウトウトと舟をこいでいる。
最近、一段と動き回っているから疲れているのだろう。
ヴァレンはセラフィーを起こさぬよう、隣にゆっくり座った。
全く起きる気配のない無防備な彼女にヴァレンは少し心配になる。
風が吹き抜け、その心地よい感触が頬を撫でると、あの告白した日のことを思い出す。
ひらりひらりと落ちてきた葉が、セラフィーの柔らかな髪に止まった。
ヴァレンは、それを取り除こうと手でそっと葉を払った、その時だった。
セラフィーのエメラルドグリーンの瞳がゆっくりと開かれた。
「……ヴァレン様?」
寝ぼけているのか反応が鈍い。
ヴァレンはクスリと笑うと、彼女を慈愛に満ちた目で見つめた。
「すまない、起こしてしまったな。疲れていないか?」
セラフィーの艶やかな髪を優しく撫でてから、大きな手のひらを滑らせた。
そして、彼女の柔らかな頬を包み込むようにそっと手を当てる。
突然の温もりにセラフィーが小さくはにかむと、自身の小さな手を、彼の手の上にそっと重ね合わせた。
そして、ヴァレンの言葉に、セラフィーは可愛らしい笑顔を浮かべた。
「ヴァレン様の顔を見たら、元気いっぱいです」
ヴァレンの顔が、みるみるうちに赤く染まり熱くなった。
それと同時に、胸の中にどうしようもないほどの愛おしさが込みあがってくる。
もう一生、自分が彼女を手放すことはないだろう。
そう思った時、自然と言葉がこぼれた。
「セラフィー──俺と結婚してくれ」
突然の言葉にセラフィーは驚き、その瞳は大きく開かれた。
ヴァレンはセラフィーの両手を取ると、言葉を紡いだ。
「セラフィーに出会ってから俺の人生は変わった。もうお前のいない世界など考えられない……一生、俺とともに歩んでくれ」
指輪も、花束も、何も用意していない。
しかし、この胸の奥から沸き上がった衝動を抑えることはできなかった。
不安そうに自分を見つめるヴァレンに、セラフィーは思わずクスクスと笑みがこぼれた。
ヴァレンの眉間に皺が寄せられる。
なぜ彼はこんなにも不安そうな顔をしているのだろうか。
最初から、自分の答えは決まっている。
セラフィーは瞳に涙を浮かべながら満面の笑みで答えた。
「ヴァレン様──一生、お側にいさせてください」
その言葉にヴァレンは心底安堵した顔を見せると、強くセラフィーを抱きしめた。
「……愛している、セラフィー」
耳元で囁かれた言葉にセラフィーがパッと顔をあげると、ヴァレンが情熱を孕んだ眼差しで、彼女の潤んだ瞳をじっと見つめていた。
吸い寄せられるようにゆっくりと瞼を閉じたセラフィーの唇に、ヴァレンは静かに自身の唇を重ねた。
彼はどこまで自分の胸を高まらせるつもりなのだろうか。
唇が離された時、セラフィーの顔は赤く染まり、あの日と同じように両手で頬を覆った。
その姿にヴァレンは、からかうように笑みを浮かべた。
「……キュンキュンしたのか?」
「──キュン死にしそうです」
ヴァレンが眉をひそめ、「キュン死に?」と、呟き首を傾げている。
「……”ときめきすぎて死んでしまいそう”ということです!」
セラフィーが恥ずかしそうに声を上ずらせ言うと、ヴァレンは楽しげに笑い、ぎゅっと彼女を大事そうに抱きしめた。
「だったら俺は、もうお前にキュン死にしている」
そう言うとヴァレンは、これまでにないほど真っ赤に顔を染めているセラフィーの小さな額にそっと愛おしそうに唇を落とした。




