《24》
人々が一斉に振り返ると白髪交じりの美しい灰色の髪を夜会巻きにまとめた女性が、背筋を凛と伸ばし、杖を持ちながら確かな足取りで歩みを進める。
「エレオノーラ様……!」
「エレオノーラ様よ!」
「身体と言葉が不自由になったと聞き及んでいるわ」
誰かが呟くと、それは瞬く間に広がり、数か月姿を見せていなかった彼女の元気そうな姿に驚きを隠せない。
エレオノーラは真っ直ぐに歩みを進めながら、リリアーナを冷ややかな目で一瞥した。
そして、そのまま驚きに目を見開くセラフィーの隣へと歩み寄る。
エレオノーラは彼女に向けて優しく微笑むと、今度は会場の群衆に向けて凛とした視線を向けた。
「セ、セラ……」
水を打ったように会場が静まり返る。
誰もが息を呑み、紡がれる言葉に耳を傾けている。
エレオノーラはコホンと軽く咳をすると、もう一度、今度ははっきりとした声で告げた。
「セラフィーは、わたしの、恩人よ──ありがとう」
その瞬間、セラフィーの瞳から大粒の涙が溢れ出す。
初めて出会ったあの日、黒く淀んでいた彼女の瞳が、今は優しく明るい光に満ちている。
「エレオノーラ様……っ」
セラフィーが震える声を振り絞ると、エレオノーラは愛おしそうに、そっと彼女の身体を胸に抱きしめた。
瞳を閉じ、その心地よい腕の温もりに包まれていると、とめどなく溢れてくる涙。
それはエレオノーラも同じだった。
セラフィーがそっと目を開くと、そこにはキャーッと歓喜するエルヴィラ夫妻、ウィンクをして親指を立てるジーク、涙ぐんでいる大好きな父と兄、そして優しく見守るドラヴェン公爵夫妻。
みな一様ににこやかな微笑みを浮かべている。
ふいに肩へ、大きな手の優しい重みを感じて見上げれば、そこにはヴァレンが穏やかな表情で佇んでいた。
この世界に前世の記憶が蘇ったあの日、底知れぬ不安が胸を襲った。
けれど──今の自分には、こんなにもたくさんの、優しく心強い味方がいるのだ。
「エレオノーラ!──エレオノーラ!!!」
突如響き渡った騒がしい足音と声に、その場の全員が振り返る。
そこには、王妃が血相を変えて大階段を駆け降りてくる姿があった。
まさかの事態に群衆は慌てふためき頭を下げ、道を開いた。
「エレオノーラっ、あなた大丈夫なの?」
「王妃、陛下……私は、健やかに、ございます」
「本当に……本当に良かった……!」
涙ぐみながらエレオノーラをきつく抱きしめる王妃。
セラフィーが目の前で繰り広げられる光景に呆気に取られていると、ふいに耳元へヴァレンの低い声が響いた。
「──あの2人は旧知の仲だ。俺も幼い頃より可愛がってもらっている」
実はエレオノーラはかつて王妃候補に上がったことがあったが、幼いころより友人であった王妃が、当時王太子であった国王と結ばれることを誰よりも願っていた。
2人してどうしたものかと考えあぐねていたところ、前ドラヴェン公爵がエレオノーラに一目惚れ。猛アプローチの末に彼女を射止めたというのは、この世代の社交界では有名な話だ。
結果として、お互いに愛する人と結ばれることができた2人は、今も変わらぬ深い友情を育んでいる。
先ほどヴァレンが王妃陛下に呼び出されたのも、療養中だったエレオノーラの近況を直接尋ねるためだったのだろう。
すべてが一本の線で繋がり、彼女は深く納得するとともに、王室と深い親交関係であるドラヴェン公爵家の格式の高さと、それを簡単に言いのけるヴァレンに驚くばかりだ。
セラフィーたちが光り輝くその裏で、リリアーナの顔からは完全に血の気が引いていた。
(──何が起こっているの……?)
目の前で繰り広げられる現実が、受け入れられない。
王家までがセラフィーの味方をすれば、自分は本当にただの滑稽な道化師になってしまう。
恐怖に震えながらゆっくりと首を回し、助けを求めるように実父であるローゼン公爵の姿を探す。
──しかし、視線の先にいた父親は、顔を真っ赤に染めて怒りで全身を小刻みに震わせていた。父親の横にはヴァレンの側近のレイズが不敵な笑みを浮かべ立っている。
彼からすでに、事の成り行きを聞き、リリアーナの拉致未遂の証拠を突きつけられたのかもしれない。そもそも王家主催の晩餐会でのこの醜態──公爵家としてあるまじき失態だ。
(大丈夫よ……まだ大丈夫。お父様は私には甘いわ)
リリアーナが必死で口角をあげ、すがるような目を向けるが、父はこれまでにない激高を宿した瞳で娘を睨みつけていた。
そして、他人でも見るかのように、遠目からでもはっきりと分かるほどの拒絶を込め手の甲で冷酷に娘の存在を払いのけるのであった。
リリアーナは歯を強く食いしばり、醜い顔でセラフィーを、憎悪に満ちた眼差しで刺した。
(あの女……あの女さえいなければっ!)
地位も名誉もヴァレンの隣も全てセラフィーに奪われた。
エレオノーラに紹介され、王妃陛下に深くカーテシーをする彼女の美しい姿が憎くてたまらない。
リリアーナは自身の髪を飾っていた、煌びやかな宝石が散りばめられた金の簪をスッと引き抜いた。
その簪の先端は鋭利に尖っている。
髪を乱しながら、セラフィーへ向かって一歩踏み出そうとした、瞬間だった。
「やめろ」
リリアーナの背後から身も心も凍るような冷徹な声が響いた。
聞き覚えのある声にリリアーナが恐る恐る振り返ると、そこには冷酷に彼女を見下ろすヴァレンの姿があった。
初めから彼女の不穏な動きを察知し、音もなく背後に回り込んでいたのだろう。
「ヴァ、ヴァレン様っ!」
周囲の歓声に紛れて、血の通っていない無機質な低い声がリリアーナの鼓膜に突き刺さる。
「これ以上、セラフィーを傷つけることは容赦しない。2度と俺たちの前に姿を現すな──即刻失せろ」
「っ!!!」
その気迫に圧され、リリアーナの指先から金の簪がカランと音を立てて床に落ちた。
(私は……私は!……なにを間違ったの?)
彼女はセラフィーの方を恨めしそうに見つめると、力なく両手を下ろし項垂れた。
そして、そのまま、会場の扉に向かい身体を引きずるように歩きだす。
華やかな光を浴びるセラフィーとは対照的に、影に溶けるように会場を去るリリアーナの姿を見る者はもう誰もいなかった。
その後リリアーナは、早急に事態を収めたいローゼン公爵により、遠い小国の男爵の後妻として嫁がされた。
今まで大国の公爵令嬢として煌びやかな世界にいた彼女にとってそれは生き地獄に等しいだろう。
彼女がこの先どう生きるのか、この国の者はもう誰も知る由もなかった。




