《23》
「──何の騒ぎだ」
地を這うような冷徹な一声が、会場のざわめきを容赦なく切り裂く。
群衆が慌てて道を開くと、ヴァレンがセラフィーの元へ速足で歩み寄り、彼女に怪我がないことを確認し安堵する。
しかし、不安に揺れる彼女の瞳を目にし、彼は眉間の皺を深くした。
「すまない、ヴァレン……実は──」
そして、ジークから事の経緯を耳打ちされたヴァレンは、ひどく冷えた眼差しで、ゆっくりとリリアーナに向き直った。
「どういうつもりだ、ローゼン公爵令嬢」
「ヴァレン様!目を覚まして下さい!アシュレイ侯爵令嬢に騙されているのですわ!」
リリアーナは目に涙を浮かべ、懇願するように胸の前で手を合わせる。
そんな彼女にヴァレンは氷青の瞳を一層冷たくなる。
「お前は俺を愚弄するのか?陛下主催の晩餐会でのこの騒ぎ……不敬罪にあたるぞ」
「覚悟の上ですわ!私は、国民のことを思い憂いているのです」
リリアーナの涙の訴えに、感嘆の声を漏らし深く頷く紳士やハンカチで涙を拭う婦人も見られる。
今のヴァレンは、傍から見れば恋に溺れ傾倒した愚かな者に映っているだろう。
(これで良いのよ。セラフィーが公爵家に相応しくないと、皆が分かれば、私の勝ちよ)
高位貴族ともなれば国王陛下の許しが出なければ婚約もできない。
それは単なる男女の恋愛ではなく、国内外の権力闘争や勢力争いを左右する重大な政治的意味を持つからだ。
ヴァレンとセラフィーが結ばれなければ、公爵令嬢であるリリアーナが候補にあがるに違いない。
彼とは恋仲にはなれないだろうが、親の力で政略結婚に持ち込めば、誰もが羨む彼の正妻となり、次期公爵夫人として確固たる地位を手に入れることができる。
ヴァレンの怒りが最高潮に達し、言葉を発しようとした瞬間だった──
「──リリアーナ様」
凛とした透き通った声が、会場に響き渡った。
「私は、患者さんが自分らしく、より良い生活ができるよう支援してきました。病院ではシュタイナー医師を始めとする医師の方々、機能回復士のみんな、支援用具を製作してくれる職人の方々……みんなが力を合わせ取り組んでいます──疑念を持たれる方は確かにいらっしゃいます。けれど、これから理解していただけるよう実績を積んでいきます」
セラフィーの誠実な振る舞いに、貴族たちには動揺が走る。
口元を隠しひそひそと囁きあい、リリアーナに疑念の目を差し向ける者も現れ始めた。
ヴァレンは、セラフィーの肩に手を回し、彼女の光がさす瞳を見つめながら、大きくゆっくり頷いた。
「そうよ──セラフィー嬢は医療に貢献し、病院に尽力してくれているわ。根も葉もない噂のせいで、これ以上業務に支障が出るのは困るのよね」
軽やかな足取りで群衆の中から歩み出るエルヴィラが、祖父が治療を受けたという令嬢を一瞥すると、令嬢は一気に顔が青ざめ、逃げるようにその場から立ち去っていく。
エルヴィラは、ふっと目元を緩ませ、余裕の笑みをセラフィーへと向けた。
その優しさに触れ、セラフィーの胸には温かい風が吹きぬけていく。
「エルヴィラ様っ!気高い貴女様まで傀儡になっているなんて……嘆かわしい」
リリアーナの涙の嘆きにエルヴィラは呆れたように深い溜息をつくと、凍てつくような表情で彼女を見返した。
「あなたはドラヴェン公爵家だけでなくシュタイナー公爵家まで愚弄するの?愚かね」
リリアーナが激しい怒りから顔を赤く染め、次の手を企てようと、瞳に涙を溜めたその時だった。
「──あのっ!」
1人の若い令嬢の振り絞った声がみなの耳に届いた。
「あの……私の祖母は足を悪くし、長い間屋敷に閉じこもっていました」
令嬢はセラフィーを見つめると、にこりと微笑む。
セラフィーは彼女の思惑が分からず、息を飲んで静観した。
「セラフィー様が考案されたという車椅子で外出し、お気に入りの庭園へ行くことができました。祖母の嬉しそうな笑顔を久しぶりに見て、家族みなで喜んでおります。心よりお礼申し上げます」
令嬢はセラフィーにドレスの裾をふわりと横に広げ、深く美しいカーテシーを捧げる。
セラフィーの瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
「私の父も!」
令嬢に続くように壮年の男性が声を上げる。
「絶対安静の期間中に歩行が不安定になりました。しかし機能回復訓練を受け、セラフィー嬢が考案された歩行器を使い、再び歩くことができております。ここに感謝申し上げます」
男性が胸に手を当て、深く頭を下げると、セラフィーの瞳からスッと涙がこぼれた。
すると、今までとは打って変わり、周りの貴族たちの冷たい視線がリリアーナに容赦なく突き刺さっていく。
リリアーナはぐっと唇を噛み締めると、セラフィーを勢いよく指さし、美しい顔を醜く歪ませながら叫んだ。
「この女は夜道で男たちに襲われた汚らわしい身よ!!公爵家に相応しくない存在なのよ!!!」
「……なぜ私が“男たちに襲われた”ことを知っているのですか?」
「えっ?」
リリアーナがハッと息を呑んだ瞬間、ヴァレンが鋭い視線を向け、地を這うような声で言い放つ。
「嘘も大概にしろ。セラフィーの誘拐事件は未遂に終わり、事件については公爵家の名において緘口令を敷いている──なぜお前がそれを知っている?」
彼の壮絶な殺気に迫られながらも、彼女は優雅に微笑み不敵な冷笑を浮かべてみせる。
人々は常軌を逸したリリアーナの狂気に恐れおののいた。
「──我が家の従者から聞きましたの……うちの従者はとても優秀ね。後で褒美を出さなくては」
リリアーナの目がキッと吊り上がり群衆を見渡すと、両手を広げ大げさに振舞った。
「まさか私を疑っているのですか?証拠もなく人を疑うとは、随分と──」
その時だった。
会場の入り口の大扉が、音もなく静かに開いた。




