《22》
今夜はアルディア王国の特別な夜──1年に数回しか開催されない宮中晩餐会だ。
貴族たちは家格の高さを示そうと、こぞって煌びやかな宝飾品や礼装で身を飾っていた。
その華やかな喧騒の中、ヴァレンはただそこに立つだけで、公爵家としての圧倒的な威厳を示していた。
その端正な顔の眉間に深い皺を刻み、近寄りがたいほどの張りつめた空気を身に纏っている。
「ヴァレン様、顔が怖いですよ」
不機嫌な彼に話しかけるセラフィーの装いは、細やかな金糸が煌めくピンクゴールドの繊細なドレスだ。
宝飾品が映えるように胸や背中が大胆に開いており、白い絹のような肌が見る者の目を釘付けにしていた。
その華奢な鎖骨の上には、この晩餐会のためにヴァレンから贈られた、エメラルドのネックレスが眩い光を放ち輝いている。
もちろん、ドレスなどもヴァレンから贈られたものだ。
「……みながお前を見ている──」
ヴァレンが不躾な視線を送ってくる男たちに、身も凍るような冷たい目で睨み返すと男たちは慌てて目線を反らした。
「まさか!みんなヴァレン様を見ているんですよ」
セラフィーは、彼の凛々しい佇まいにうっとりと見つめる。
周囲の女性たちも頬を赤らめ、その姿に目を奪われていた。
ヴァレンが纏うのは、シルバーを基調とした礼装服。
その襟元や袖口には、重厚な金糸の刺繍が施され、シャンデリアの光を浴びて厳かに煌めいている。
その逞しい腕にエスコートされていたセラフィーは少し俯き加減にはにかみ、愛らしい笑顔で呟いた。
「ヴァレン様は、すごく格好いいから──」
その言葉にヴァレンはフッと口元を緩めると彼女の耳に口を寄せた。
「俺は、お前だけに見られていれば良い──」
セラフィーがパッと顔を上げると、目の前にヴァレンの顔があり、彼の眉間からはすっかり皺が消え、彼女を甘い顔で見つめている。
胸がどんどん高鳴る。
「だからお前は、ずっと俺を見ていろよ」
熱く囁かれ、耳まで赤くするセラフィーの振る舞いに周囲の男たちはまた目を奪われるのであった。
「また2人の世界を作っちゃってるわね」
「あのヴァレンがね~あんな甘ったるい顔をする日がくるなんて思わなかったよ」
楽しそうに扇で口元を隠すエルヴィラの隣で、レオナルドが義弟のあまりの変貌ぶりに深い感慨を込めて呟く。
その夫妻の背後で、鋭い視線で晩餐会の警護にあたっていた男──ジークが、職務の真面目な顔を少しだけ崩して笑った。
「俺もびっくりだぜ! あの堅物が、1人の女にベタ惚れする日がくるなんてな」
──その時、ホール全体に高らかなファンファーレが響き渡り、会場が水を打ったような静寂が広がる。
全員の視線が向かったのは、会場の正面。
吹き抜けになった2階の回廊へと続く、大理石の大階段の最上段だった。
豪奢な扉が左右へと厳かに開かれ、朗々とした声が天から降り注ぐように響き渡る。
「国王陛下、ならびに王妃陛下、ご入場──!」
ヴァレンはすぐさま鋭い表情に戻り、セラフィーの手を優しく引いて美しい一礼の姿勢を取る。
セラフィーもまた、ドレスの裾を優雅に広げ、完璧なカーテシーを捧げた。
貴族たちが一斉に頭上の王族へ向けて深く頭を下げ敬意を示して平伏する中、深くカーテシーをしたリリアーナだけが、伏せた顔の裏でアメジストの瞳をギラリと光らせていた。
(……さあ、これ以上ない最高の舞台が整ったわね、セラフィー)
国王陛下による威厳に満ちた口上が終わり、スッと手を挙げると、それを合図に宮廷楽団の華やかな演奏が再開された。
アルディア王国最高峰の晩餐会が優雅にその幕を開けた。
張り詰めていた静寂が解け、貴族たちは歓談やダンスに繰り出した。
ヴァレンとセラフィーがみなの注目を浴びる中、ファーストダンスを踊り終えてダンスホールを後にした、その時──王族の侍従がヴァレンの元に歩み寄り、深々と礼をすると、そっと耳打ちをした。
彼は鋭い表情で耳を傾けると、承知したように深く首を縦に振る。
「セラフィー、すまない。王妃陛下に呼び出された。ジークを置いていくから少し待っていてくれ」
「分かりました」
セラフィーは「王妃陛下!?」と、叫びたい気持ちを抑え、しっかりと頷いた。
自分にとって国王夫妻は肖像画の中の存在であった。
今日初めて、ご尊顔を拝見するにも緊張していたというのに、彼にはその様子もなく淡々と対応していた。
改めて筆頭貴族である公爵家嫡男であることを思い知らされる。
ヴァレンは少し離れた場所にいるジークに鋭い視線を向け、無言で頷き、ジークがこちらへ向かってくるのを確認すると、ヴァレンはセラフィーに向き直り、フッと口元を緩めた。
そして、セラフィーに「いずれ紹介する」と、その額にふわりと唇を落とすと従者と共に王妃陛下の元へ向かった。
セラフィーは、彼が残していった甘さに胸が締め付けられるのを感じながら、遠ざかっていくその後ろ姿を、ぽうっと熱を帯びた目で追った。
「甘い!甘すぎるぜ!!!」
「ジーク様……!」
頭をかきながら近づいてきたジークは、セラフィーの横に並ぶと、げんなりした顔でヴァレンの後ろ姿を見送った。
人はこうも変わるものかと驚くばかりだ。
深くため息をつくと、ふっと口元を緩め、にかっと笑った。
「けど、2人が出会ったきっかけも俺だろ?ヴァレンに感謝してもらいたいくらいだぜ」
「ふふっ、そうですね」
幸せそうに笑顔を浮かべるセラフィーの姿に、ジークは安堵した。。
親友と恩人の彼女の幸せそうな姿に心底安心する。
それからジークが面白おかしく話すヴァレンの昔話に、セラフィーが目を輝かせながら聞き入っていた、その時──
「──あら、ヴァレン様に置いていかれたの?お可哀想に」
鼓膜を震わせたねっとりとした冷たい声に、セラフィーはハッと振り返ると、そこには赤く塗られた唇で微笑むリリアーナの姿があった。
セラフィーは得体のしれない不気味さに自身の身が硬くなることを感じた。
「お久しぶりね、セラフィー様。お元気そうで何よりだわ」
「リリアーナ様……」
ただならぬ気配を感じ取ったジークは瞬時に表情を引き締めると、スッと背後にセラフィーを庇うようにリリアーナの前に立ちはだかる。
「──ローゼン公爵令嬢。アシュレイ侯爵令嬢に、何かご用でしょうか」
ジークの放つ騎士特有の鋭い威圧感。
それをものともせず、リリアーナは不快そうにアメジストの瞳を細めると、小馬鹿にしたようにふっと鼻で笑った。
「騎士風情がおだまりなさい。私は、公爵令嬢よ?──身をわきまえなさい」
ジークが眉をひそめ、さらに語気を強めて発言しようとした、その矢先。
リリアーナはニッと妖しく口角を上げると、突然手を2回大きく叩いた。
「──皆様!!!」
彼女の声が会場に大きく響き渡ると、音楽が静かに止まり、人々の視線が一斉に彼女の元に集まる。
するとリリアーナは眉をひそめ、涙を堪えるようにして、まるで悲劇に立ち向かう健気なヒロインのように振る舞い始めた。
「少しよろしいかしら。皆様にお伝えしなければならない、恐ろしい事実がありますの」
セラフィーはリリアーナの思惑が理解できず、湧き上がる不安から、胸の前でぎゅっと右手を握りしめた。
「アシュレイ侯爵家のセラフィー様の『機能回復法』とやらを、皆様はご存知かしら? ──異端の知識を使って患者に施す、危険な治療法ですわ。ドラヴェン公爵家の方々もすっかり騙されておられるようで、私は心配でたまりませんの」
静まり返っていた会場が、途端にざわめき出した。
貴族たちは口元を扇で隠しながら、セラフィーを下賤なものを見る視線で見つめている。
セラフィーの唇がぐっと引き結ばれる。
ジークが怒りに一歩前に出ようとしたが、それより先に、彼女はそっと彼の前に進み出た。
そして、悲しみに暮れる演技を続けるリリアーナの正面へと、真っ直ぐに対峙する。
「リリアーナ様……異端とは、どういう意味でしょうか」
セラフィーの毅然とした言葉に、リリアーナはわざとらしく驚愕したような表情を浮かべ、涙声で訴えた。
「絶対安静が必要な患者を無理に動かし、治療を妨げる!なんて可哀そうな患者……それを異端と言わずになんと言うのかしら!」
「私は、患者さんを無理に動かしたことなど一度もありません。医師の診断のもと、患者さんの了承を得て、機能回復訓練を施しています。現にお身体が良くなっている患者さんも多くいらっしゃいます」
「まあ、お口がお上手ですこと」
リリアーナが勝ち誇ったように扇を広げた。
「でも、それが恐ろしい異端のものとして、噂が広まっているのも事実ですわ。……さあ、こちらにいらして」
リリアーナが目線を送ると、周囲の壁を作っていた人混みから、1人の令嬢が歩み出てくる。再び会場が水を打ったように静まり返り、全員が彼女の一挙手一投足を窺っている。
その顔を見て、セラフィーはハッと目を見開いた。
リリアーナが主催した、あのお茶会に出席していた令嬢だった。
「私の祖父は、このアシュレイ侯爵令嬢に機能回復訓練とやらを無理やりやらされ、病気が悪化いたしました! 絶対安静が必要だったというのに……っ!!」
「そんなっ!私はその方を存じ上げません!」
令嬢の悲痛な叫びに、リリアーナは優しく寄り添うように背中を擦ってみせた。
周囲の貴族たちの突き刺すような鋭い非難の視線が、一斉にセラフィーへと向けられる。
(ハハっ!何もかもうまくいっているわ。ざまあないわね、セラフィー)
リリアーナの口元からは、今にも醜い笑いがこぼれそうになる。
それを、唇を噛み締め肩を震わせながら必死に耐える彼女の姿。
貴族たちからは、ただ『涙をこらえて悪を糾弾する健気な令嬢』にしか見えなかった。




