《20》
事件から3日。
セラフィーはヴァレンから自宅療養を命じられていた。
彼からは毎日見舞いの花束が届き、部屋は優しい香りに包まれている。
エルヴィラやジークたちからも手紙や彼女が好きな菓子が届けられ、みんなが自分を心配している様子がひしひしと伝わってくる。
(これ以上、ヴァレン様やみんなに迷惑をかけられない……エルヴィラ様に病院を辞めること、そしてエレオノーラ様の所へも、もう行かないことを伝えよう)
それはヴァレンに会う機会もそうそうなくなるということだ。
(今までの生活に戻るだけよ。機能回復法は……そうだ!領地で初めても良いんじゃない?ゆくゆくは、そうしたいと考えていたし)
なによりアルメリアから離れれば2人の寄り添う姿も見なくてすむ。
しかし、機能訓練法だけは諦めたくなかった。
セラフィーが自分の決意を伝えるため、病院へ行く身支度を整え外へ出ると、そこへドラヴェン公爵家の漆黒の馬車が滑り込んできた。
御者が馬車の扉を開けると、そこにはヴァレンが座っていた。
「ヴァレン様!?どうされたのですか?」
セラフィーが驚き声を上げると、ヴァレンは軽く眉間に皺を寄せた。
「療養中だろう……どこへ行くつもりだ?」
彼の問いかけに、セラフィーは視線を泳がせると、スッと彼女の目の前に大きな手が差し伸べられた。
「乗れ」
「え?」
セラフィーは首を傾けた。
ヴァレンは真剣な眼差しで彼女を見つめている。
「……どこに行くんですか」
「いいから乗れ」
有無を言わせない静かな声に、戸惑いながらも、セラフィーは差し出された彼の手を取った
大人しく向かいの席に座ると、馬車がゆっくりアルメリアの街を走り出した。
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馬車が止まったのは、アルメリアの街を一望できる丘の上だった。
風に吹かれた大樹がざわざわ揺れ、草花が色とりどりに咲き乱れている。
遠くには街の石造りの建物が小さく見え、その向こうに空が広がっていた。
「綺麗……」
セラフィーは思わず呟いた。吹く風が心地よく身体を撫でていく。
久しぶりに見るセラフィーの柔らかい表情に、ヴァレンの口元も自然と上がった。
「子どものころ、ジークと2人で馬を走らせて、よくここまで来た」
「そうなんですか?」
予想外の言葉に、セラフィーは澄んだ瞳を一瞬だけ丸くする。
それを目にしてヴァレンも懐かしそうに大樹を見上げた。
「護衛も付けなかったから、母や祖母に怒られた。後から慌ててやってくるレイズに嫌味を言われるのも定番だったな」
「ヴァレン様も、そういうことをされたんですね」
「子どもだったからな」
セラフィーはくすりと笑うと、ヴァレンが眉をひそめた。
「何がおかしい」
「いいえ──ヴァレン様にも子どもの頃があったんだなと思って」
「当たり前だ」
「当たり前ですけど、想像ができなくて」
クスクス笑うセラフィーをヴァレンはふっと優しく眉を下げ、穏やかな微笑みを浮かべた。
2人を優しい風が包み込む。
(きっと、私を元気付けるために連れてきてくれたんだ。また気を遣わせてしまったわ)
しばらく並んで座り景色を眺めながら他愛もない言葉を交わした後、セラフィーは小さく深呼吸をした。
(──今しかない)
彼女は緊張に喉をこわばらせながら、か細い声でヴァレンに告げた。
「……ヴァレン様」
「何だ」
「──私、病院とドラヴェン公爵家での機能回復訓練を控えさせていただこうと思っています」
びゅう、と強い風が吹き、木々たちが激しく揺れ大きな音を立てている。
その騒がしさも耳に入らないほど、彼女の言葉にヴァレンは氷青の瞳を大きく見開き、見つめたまま動きを止めた。
「私のせいで、噂が広まっています。ヴァレン様やエルヴィラ様、エレオノーラ様にまでご迷惑をおかけしてしまっています。だから……」
「──セラフィー」
ヴァレンがゆっくりと彼女に向き直ると低い声で遮った。
真っ直ぐにセラフィーを見つめる綺麗な瞳。
これからは、こんな近くで彼の瞳に自分が映ることはないだろう。
セラフィーは溢れそうになる涙を必死で堪えた。
「それに、リリアーナ様にも申しわけないです。……未来の公爵夫人が決まっている邸宅に未婚の令嬢が出入りするのも気をもむことでしょう」
セラフィーはヴァレンの顔をこれ以上見ることが耐え切れなくなり、そっと俯き、膝に置かれた手をぎゅっと強く握りしめた。
彼の目を見ていると、決心が鈍りそうだ。
「──俺がいつ、リリアーナ嬢と婚約すると言った?」
その言葉と同時に左手が暖かな大きな手に包まれた。
「俺がそばにいてほしいと願った女は、セラフィー……お前だけだ」
いつになく低く、熱を帯びた静かな声が響く。
セラフィーの心臓が大きく高鳴った。
こぼれそうになっていた涙は、驚きのあまり目の奥へと引っ込んでしまった。
「え……」
セラフィーがサッと顔を上げると、いつもは冷たそうに見える瞳が熱を帯び、彼女を見つめていた。
「セラフィー、好きだ──俺から離れるなんて許さない」
包まれていた左手をグイっと引っ張られ、気づけばセラフィーはヴァレンの胸の中に強く抱きしめられていた。
「迷惑なんて思ったことはない……お前は俺のそばで笑っていてほしい」
ヴァレンの、胸の奥の情熱をそのまま乗せたような、どこか切なく少し掠れた声が、彼女の胸の奥深くまで響いた。
セラフィーの目が、じんと滲む。
彼は、リリアーナが婚約者ではないと言ってくれたのだ。
もう自分の気持ちを素直に伝えても良いだろうか。
彼女はゆっくり彼の大きな背中に手を回した。
「私も……私もヴァレン様が大好きです」
ヴァレンがはっとした様子でセラフィーを見ると、彼女は泣き笑いのような顔で言った。
「本当は機能訓練もやめたくありません……これからもヴァレン様のそばにずっといたい……です」
涙に濡れた澄んだ目を瞬かせながら、ふわりと屈託のない笑顔を咲かせたセラフィーに、
彼の胸の底から狂おしいほどの情愛が溢れだし、ゆっくりと手を伸ばし彼女の頬に触れた。
ヴァレンの指先から、言葉にできないほどの慈しみがじわりと伝わってくる。
セラフィーが吸い寄せられるようにその氷青の瞳を見つめると、ゆっくりと彼の端正な顔が近づいてきた。
彼女も自然と目を閉じると、そっと、重なるだけの優しい口づけが交わされる。
触れるだけの甘い熱が唇から伝わり、ヴァレンが少しだけ顔を離すと、彼のいつもは冷静な瞳が、今は情熱を孕んで激しく揺れているのが至近距離で見える。
彼は愛おしさを堪えきれないように低く息を吐くと、今度は逃がさないように彼女の後頭部へ手を回し、深く、深く唇を重ねた。
世界から音が消えたような、長い長い抱擁と口づけが続き、ようやく唇が離された時、セラフィーの顔はこれ以上ないほど赤く染まっていた。
「──ヴァレン様」
「何だ」
彼の瞳に自分が映っている。
セラフィーは恥ずかしさのあまり、両手で頬を覆った。
「もう胸のキュンキュンが止まりません」
「……キュンキュンとはなんだ?」
ヴァレンが眉をひそめ、首を傾げている。
「……”ものすごーく、胸がときめいている”ということです」
ちらりと上目遣いで彼を窺うようにセラフィーが言うと、ヴァレンはクスリと笑い、ぎゅっと彼女を愛しそうに抱きしめた。
「だったら俺にずっと、キュンキュンしていろ」
(かっこよすぎて反則~~~!!!)
自分の心臓の高鳴りがうるさいほどに響いているが、肌を合わせる彼からも同じ速さの鼓動が伝わってくる。
2人を祝福するように、木々の間から差し込んだ光が彼らを温かく照らしていた。




