《19》
馬車が路地の入り口に差し掛かった瞬間、ヴァレンは息を呑んだ。
セラフィーが男たちに引きずられ、馬車に押し込まれそうになっている姿が視界に映ったからだ。
「っ止まれ!」
ヴァレンは、馬車が停止するのも待たずに扉を開け飛び降りると、すぐさま地を蹴り駆け出す。
彼は状況を瞬時に把握すると、その氷青の瞳が鋭く細めた。
恐怖に震える彼女の泣き顔が視界に飛び込んできた瞬間、脳裏が真っ白になるほどの激しい怒りが湧き上がる。
「──セラフィーから離れろ」
地の底から響くような、低く冷え切った声が夜の路地に響く。
男たちは動きを止め、驚愕の表情でヴァレンを見据えた。
「お、お前は……誰だ……っ!」
「次に動いたら、ただでは済まないと思え」
ヴァレンは男たちからの問いかけには答えず、刺すような鋭い視線を送り続けている。
男たちが顔を見合わせた次の瞬間、1人の男がヴァレンに向かって飛びかかってきた。
「ヴァレン様っ!」
セラフィーの悲痛な悲鳴が響く。
しかしその心配をよそに、ヴァレンは襲いかかってきた男の拳を鮮やかに受け流すと、そのまま腕を掴んで硬い石畳へと強く叩きつけた。
激しい衝撃の音が響き、男はピクリとも動かなくなる。
立ち上がったヴァレンが、セラフィーの腕を掴んでいた残りの男たちを冷徹に睨みつけると、それだけで男たちは恐怖に顔を引きつらせて後ずさりした。
さらにヴァレンの背後からは、レイズやジーク、そしてガレットが凄まじい勢いで走ってくる。
もはや勝ち目がないと悟った男たちは、セラフィーから乱暴に手を離すと、踵を返し夜の闇へと見苦しく走り去っていった。
緊張の糸が切れ、その場に崩れ落ちかけるセラフィー。
駆け寄ったヴァレンがその細い体を間一髪で抱きとめた。
その彼の横をレイズたちが怒号と共に駆け抜けて行く。
ヴァレンが慌てた様子で、セラフィーの両肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「セラフィー!怪我はないか?」
「あっ……あの──」
こんなに焦って冷静さを失っている彼の姿を見るのは初めてだ。
彼女はうまく言葉が出ず、ただ首を縦に振り頷くしかできなかった。
「そうか……良かった」
ヴァレンは安心したように一息つくと、力強くセラフィーを抱きしめた。
──彼の腕の中に収まった瞬間、セラフィーの冷たく固くなっていた身体が温もりを取り戻していく。
「おーい、捕まえたぜ!」
そこへ、男たちを捕らえたジークたちが戻ってきた。
男たちは観念したようで、すっかり大人しくなっている。
ヴァレンは、セラフィーから男たちの姿が見えないように隠すと、凍てつくような瞳で男たちを睨みつけた。
「お前たちの企てか?」
「ちっ違う!若い女に金をもらってやっただけだ!」
「……その女の特徴をすべて吐け」
レイズが男の腕をさらに強く捻り上げると、路地に鈍い悲鳴が響く。
ヴァレンの背中から立ち上る、かつてないほどの激怒のオーラを感じ取り、レイズの顔からも感情が消え失せていた。
「レイズ、尋問したのち憲兵に引き渡せ。俺はセラフィーを邸宅へ送り届ける」
「わかりました。お任せください」
ヴァレンは静かに頷くと、それ以上何も言わず、セラフィーを馬車へと促した。
馬車が遠ざかるのを見届けて、残された者たちはふう……と、安堵の溜息をつく。
「それにしてもヴァレン様、腕っぷしも相当強いんだな」
ガレットが気を失っている男を見ながら驚いたように言うと、レイズがにこりと微笑んだ。
「ヴァレン様は幼少期より鍛錬され、護身術を完璧に体得しております」
「俺の親父が指南役で、小さいころから俺ら2人で剣の打ち合いもしてたんだ。新兵なんかより断然強いぜ」
ガレットはヴァレンの新たな一面に納得すると同時に、怒らせまいと心に深く誓うのだった。
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馬車の中、向かい合って座る2人はずっと無言だった。
馬の蹄と車輪の回る音だけが静かに響く。
ヴァレンは腕を組み、移り変わる景色を窓からただ見つめていた。
セラフィーも膝の上で手を握りしめ、俯くだけで彼の方を見ようとはしない。
(……また迷惑をかけてしまった)
セラフィーは自責の念に胸を締め付けられながら、そっと窓の外を見た。
夜のアルメリアの街並みが流れていく。
もうすぐアシュレイ家邸宅に着くという時、セラフィーは意を決しヴァレンに声をかけた。
「ヴァレン様」
「……何だ」
いつもとは違う、硬く低い声に目頭がじんわり熱くなる。
それを見られたくなくて彼女は深く礼をした。
「助けてくださって、ありがとうございました」
彼女の言葉にヴァレンが「ああ」と、だけ呟く。
その声がひどく冷たく聞こえ、セラフィーの顔に落ちた暗い影が、より濃くなった。
セラフィーに向けた自身の視線がどれほど硬く、氷青の瞳が冷え切って見えているか、今のヴァレンは気づくはずもない
彼は、自分の手がかすかに震えていたため力強く手を握りしめた。
レイズから「姿がない」と、報告を受けた時の、あの恐ろしい胸騒ぎ。
男たちに捕らえられている彼女の泣き顔を見た瞬間、怒りで視界がカッと赤く染まった。
今まで、こんなにも感情を揺さぶられることなどなかった。
彼女が笑うだけで嬉しくなり、悲しそうにしていると自分の胸が締め付けられるように苦しくなる。
彼女の輝くような笑顔を見たいがために想いを巡らせる。
とっくに、引き返せないほど深く愛してしまっていることは分かっていた。
しかし、最高位貴族であるドラヴェン公爵家の嫡男である自分が彼女にこの想いを伝えれば、『機能回復士』として必死に邁進している彼女の足枷になってしまう。
公爵夫人の仕事は、想像以上に多忙を極めるものだからだ。
彼女が開こうとしている新しい医療の扉を、自分の勝手なエゴで閉ざしたくはない。
だからこそ、この溢れる想いを伝えることを、ずっと必死に躊躇していたのだ。
──けれど、もう気持ちを抑えつけることなど、できそうにない
もし、間に合わなかったら。
もし、この世から彼女が永遠に消えてしまっていたら。
自分は間違いなく正気ではいられないだろう。
(俺はもう、セラフィーがいない世界では生きられない)
脳裏をよぎる圧倒的な絶望の恐怖が、無事でいてくれた安堵と混ざり合い、どうしても上手く言葉が出てこない。
今も彼女の袖からのぞく細い腕に、男たちに掴まれ赤くなった痕を見るだけで目の前が赤く燃え上がりそうだ。
ヴァレンは静かに息を吐くと、震えを殺した硬い声で、ようやくそれだけを告げた。
「次は一人で帰るな」
「……はい」
「絶対にだ」
その声にセラフィーは小さく頷くと、自身の汚れたドレスをぎゅっと掴んだ。
(もうこれ以上迷惑はかけられない……近くで支えることもできないわ)
彼女の悲しい決断を乗せた馬車は、夜の静寂を切り裂くように、淡々と走り続けた。




