《18》
その日、業務を終えたセラフィーが帰ろうと受付に向かうと、受付の女性が申し訳なさそうに駆けてきた。
「セラフィー様、大変申し訳ありません。今、御者から連絡がありまして……帰りの馬車に不具合があり、動かないようなのです」
エルヴィラのはからいで、帰宅の際には病院から専用の馬車を用意されていた。
「代わりの馬車も、今すぐには用意できず……かなりの時間、お待たせしてしまう状況です」
頭を深々と下げる女性に、セラフィーはにこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。歩いて帰れない距離でもないので。お散歩がてら歩いて帰ります」
「でもセラフィー様、もう夕暮れ時ですし……」
「本当に大丈夫です。少し、考え事もあるので、今日はのんびり、歩いて帰りますね」
もう一度頭を下げる女性に笑顔で別れの挨拶を告げると、セラフィーは病院の扉を押し開けた。
夕暮れのアルメリアは、橙色に染まっている。
石畳の上を、セラフィーはゆっくりと歩いた。
1人になると、最近は同じことばかり考えてしまう。
(患者さんのこと、リリアーナ様のこと──ヴァレン様のこと)
セラフィーが胸にそっと手を当てるが、そこに、あのネックレスはない。
彼女は小さく溜息をつくと、力なさげにその手を下ろした。
市場の騒めきが遠くなり、人通りが少なくなってきた。
考えながらゆっくり歩いたせいか、気づいた時には辺りがずいぶん暗くなってきている。
(急がないと、家のみんなに心配させてしまうわね)
セラフィーが足早に路地を曲がった瞬間だった。
体格の良い2人の男たちが行く手を塞いでいた。
彼女が男たちを避け、横を通り抜けようとした時、しゃがれた声で男から呼びかけられた。
「お嬢さん、ちょっと俺たちに付き合ってくれよ──アシュレイ侯爵家のご令嬢様よ」
なぜ男は自分の家名を知っているのだろうか。
彼女の全身を品定めするように、男たちが半笑いでジロジロと不躾に見つめてくる。
──嫌な予感がする
セラフィーは後ずさりしようとしたが、後方にも男が1人いた。
「な、何かご用ですか」
「大した用じゃねえよ。すぐに終わるからよ」
男がいやらしい笑みを浮かべ、一歩ずつ近づいてきた。
セラフィーが危険を感じ、叫ぼうとした瞬間、男の無骨な手で口を塞がれる。
残りの男たちにも腕を掴まれ、路地の奥に止めてある馬車に引きずられていく。
セラフィーは足をばたつかせたり、腕を振りほどこうとしたが、男たちの力は強く無理だった。
恐怖から涙が溢れてくる。
必死で首を振り、口が一瞬だけ自由になった。
誰か、誰か来て──
そう心で願った瞬間、彼の名前を叫んでいた。
「ヴァレン様……っ!」
─────────────────────────────────────
その頃、ヴァレンの馬車が病院の玄関に着いた。
正面に病院の馬車が横付けされており、御者とみられる壮年の男がそわそわしながら病院の入り口を覗いていた。
「どうした?」
「!?ドラヴェン公爵嫡男様!」
御者はヴァレンの存在に気づくと、深々と頭を下げた。
それから恐る恐る口を開いた。
「その……セラフィー様のお迎えに参りましたが、なかなかお姿を見せられないのです」
すぐさまヴァレンは目で合図をすると、レイズを病院の中に向かわせた。
「セラフィー様は、いつもお時間通りにおいでになる方で……」
御者は心配そうな表情を浮かべている。
「わたくしのような者にも丁寧に接してくださるお優しい方なのです。遅れる際は必ず知らせてくださるので、こんなことは初めてで……」
御者の話を聞いていると、胸騒ぎがする。
そこへ、レイズが慌てた様子で駆けてきた。
「ヴァレン様!セラフィー様はもういません!」
「何?」
「御者から馬車の手配ができないと受付の女性に連絡があり──歩いて帰宅されたようです」
「えっ!私はそのようなことは言っておりません!」
青ざめた表情の御者は、その慌てようから嘘をついているようには見えない。
(誰かが、馬車の不具合を装って……)
ヴァレンの胸の奥に、嫌な予感がどんどん広がっていく。
「行くぞ」
彼は身を翻して馬車に乗り込んだ。
「あれ?ヴァレンじゃん。急いでどうしたんだよ?」
レイズも乗り込もうとした時、のんびりと歩いてくるジークとガレットの姿が見えた。
「2人とも一大事です!その馬車に乗って追いかけてきてください!!」
御者の「セラフィー様を、どうかよろしくお願いします!」と、叫ぶ声が聞こえると同時に、馬車がけたたましい音で走り出した。
(──セラフィー!!!)




