《17》
舞踏会から数日後、セラフィーは病院に向かう馬車の中で妙な視線を感じた。
すれ違う貴族や国民が、こちらを見てひそひそと話している。
(気のせいかな?)
いつもと違う不穏な空気を感じながらも、セラフィーが乗る馬車は軽快な速度で病院へ向かった。
病院に着くと、受付の女性が困った顔でセラフィーを迎えた。
「セラフィー様、少しよろしいですか」
「どうしました?」
「昨日から……患者様の複数名が、機能回復訓練を続けることを躊躇っておられまして」
「どうしたんですか?何かあったんですか?」
今まで頑張って機能回復訓練をしていた患者たちを思い、心配して尋ねるセラフィーに女性は言いにくそうに答えた。
「それが……まがいものの知識を使う異端の令嬢がいると、患者様たちやご家族の間で噂が広まっているようで──」
その言葉を聞き、セラフィーは大きく目を見開いた。
病室を回ると、変化はすぐに分かった。
多くの患者たちが不安な顔で、疑惑の目を向けている。
その光景に、現場の機能回復士たちも困惑していた。
入院している貴族の男性が、腕を組んで低い声で言った。
「機能回復訓練は本当に大丈夫なのか?絶対安静が必要なのに、むしろすれば悪くするんじゃないのか……まがいものだという噂を聞いた」
通院で来ていた商人の妻が、小声で言う。
「うちの主人は続けたいと言っています。でもうちも商売をしているから周りが何を言うか……」
セラフィーは患者や家族からの訴えに耳を傾け、安心させるように穏やかに微笑んで見せた。
「ご不安はよくわかります。でもみなさんが回復されているのが、何よりの証拠ではないでしょうか?……続けるかどうか、またご検討ください。またお声かけしますね」
しかし、誰もいなくなった病院の廊下でひとりになると、セラフィーは深く、重いため息を吐いた。
(急にどうしたんだろう……)
笑顔を保つのが、少しだけ辛かった。
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噂が出始めてから数日後、エルヴィラがヴァレンを呼びつけた。
いつもの騒がしい様子とは違う姉の姿に、良い知らせではないことが分かる。
「ヴァレン、病院業務について報告があるの」
「何だ?」
「最近、『機能回復法がまがいものだ』という根拠のない噂が流れていて、業務に支障をきたしているの」
ヴァレンの目が途端に険しくなる。
しかし同時にセラフィーのことが心配になった。
彼女は辛い思いをしていないだろうか。
「誰が流した」
「分からないわ。先日の舞踏会が過ぎた辺りかしら?突然、みんなが拒否するようになったのよ」
エルヴィラは溜息をつき、彼女らしくない暗い表情を浮かべている。
ヴァレンは感情を押し殺した表情のまま顎に手をやり、気になることを彼女に尋ねた。
「……セラフィーから、リリアーナ・ローゼン公爵令嬢のことについて聞かれたことはあるか?」
「リリアーナ嬢?……そういえば、前にお茶会に誘われたって言っていたわ。ほら、貴方が冷たくされていた、あの時期よ!」
その言葉がグサッと心臓に刺さりながらも、ヴァレンは努めて冷静に続けた。
「セラフィーは舞踏会の時、リリアーナ嬢のことをひどく気にしていた──今、レイズに探らせている」
ヴァレンは勢いよく立ち上がると、迷いのない足取りで歩き始めた。
その瞳には、なにか決意を秘めたような光を宿している。
何も言わず廊下に出て行く彼の後ろを、エルヴィラも追った。
患者たちが入院している病棟エリアまで来ると、ヴァレンは立ち止まった。
何事かと、患者や職員、病室の中の患者も身を乗り出し様子を窺っている。
貴族たちはヴァレンの姿を見て表情が変わった。
「セラフィー・アシュレイの治療を続けろ」
静かな、しかし有無を言わせぬ声が響き渡った。
「彼女の機能回復法は本物だ。俺が保証する」
まわりが静まり返った。
最高位貴族であるドラヴェン公爵家の嫡男が、直々に目の前で保証する──
それがどれほどの絶対的な重みを持つか、集まった貴族や患者たちには痛いほど理解できた。
噂を鵜吞みにし顔を背けていた者も、躊躇していた者も、一様に「続けます」と宣言した。
この出来事もまた、すぐに社交界を駆け巡るだろう。
ヴァレンが病棟エリアを出ると、廊下でエルヴィラが腕を組んで待っていた。
「セラフィーちゃんには言わないの?」
「必要ない」
「そう──でも、すぐにバレると思うわよ」
エルヴィラはにやりとした。
彼女が弟の行動を黙っていられるわけない。
ヴァレンは何も答えず、そのまま病院を後にした。
馬車に乗り、窓の外を見つめる彼の横顔は、まだ険しかった。
その日の夕方。
セラフィーはエルヴィラに呼び止められた。
エルヴィラの顔は、どこか晴れ晴れとしている。
「今日ね、ヴァレンが来たわよ。患者さんたちに噂は信じるなと直接話してくれたわ」
セラフィーは驚き、信じられないものを見るかのように目を見開いた。
「ヴァレン様が……」
「きっと、あなたのためね」
セラフィーの胸の奥がじんわりと温かくなる。
しかし、それ以上に重苦しい思いが一気ににじみ出て、彼女の胸をきつく締め付けた。
それからもセラフィーは、屈託のない笑顔で患者たちに向き合い、病院に通い続けた。
機能回復訓練を再開する者も増えたが、向き合う姿勢は惰性的なものであった。
明るく振る舞う彼女だが、1人になると心が鉛のように重くなる。
(支えるって決めたのに……ヴァレン様やエルヴィラ様に、病院のみんな。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないわ。私さえいなければ──)
そのいたたまれない思いが、少しずつ、けれど確実に大きくなっていった。
空を見上げると、美しい夕暮れが広がっていた。
セラフィーの澄んだ目が、じんと熱く滲んだ。




