《16》
舞踏会当日。
アシュレイ侯爵家一家は馬車に揺られていた。
社交界デビューの日と同様に、セラフィーは朝から磨き上げられ着飾られ、もう疲労困憊だ。
ドラヴェン公爵家の門をくぐると、アシュレイ侯爵とアルノルトの緊張は高まったが、彼女にとってはとても安心する場所であった。
舞踏会の会場は、ドラヴェン公爵邸の大広間だ。
シャンデリアが煌めき、華やかなドレスと軍服が行き交う。
香水と花の香りが混じり合って、どこか夢の中のような空気が漂っていた。
セラフィーは父とアルノルトの隣を歩きながら、そっと周囲を見渡した。
(……いた)
あの日と同じように、ヴァレンが令嬢たちに囲まれている。
その横には優雅に微笑む、リリアーナの姿もある。
(──美男美女でとてもお似合いよね)
2人の姿を見ているのはまだ辛くて、セラフィーはそっと目を背けた。
「セラフィーちゃーん!!!」
賑やかな声に驚きながら振り返ると、エルヴィラに抱き着かれた。
その横でレオナルドは静かに微笑み佇んでいる。
「まあ! そのドレス、やっぱり最高に似合っているわ!ヴァレンたら頭を抱えながら必死で選んだのよ」
「──ヴァレン様が」
自分でもじんわりと頬が赤くなるのが分かった。
レオナルドも「あんなヴァレン、初めて見たよね」と、深く頷いている。
「これ、エルヴィラ。はしたない」
娘の令嬢らしからぬ振舞いに呆れ気味の壮年の男性と、品格ある女性が近づいてきた。
威厳のある立ち姿の男性は、銀がかったグレーの髪に、ヴァレンより濃い青の瞳をしている。女性の髪の色はエルヴィラによく似ている。
(ヴァレン様のお父様とお母様だ)
アシュレイ侯爵とアルノルトが胸にそっと右手を当て、深く上体を折り最高礼の挨拶を交わした。
セラフィーもドレスの裾を優雅につまみ、深く膝を折り、敬意を込めたカーテシーを捧げる。
ドラヴェン公爵がセラフィーに視線を向けた。
「セラフィー嬢だね。母から話は聞いている」
「お見知りおきいただき光栄です。セラフィー・アシュレイと申します」
ドラヴェン公爵は、ゆっくり頷きながら柔らかく微笑んだ。
その瞳は、威厳に満ちながらもどこか温かみがある。
「母が随分と元気になった。礼を言いたかった」
「エレオノーラ様は毎日頑張っておられます。私は少しお手伝いをしているだけです」
「謙虚だね」
ドラヴェン公爵が目を細めると、隣に寄り添っていたドラヴェン公爵夫人がセラフィーを見てにこりと笑った。
「エルヴィラからもよく話を聞いているわ。私もセラフィーちゃんとお呼びしてかまわないかしら?今度、お茶会にもいらしてね。あの堅物の話でもしましょう」
そう言って慈愛に満ちた公爵夫人の微笑みの前に、セラフィーは信じられないものを見るかのように息をのんで目を丸くした。
堅物……ヴァレンの顔が浮かぶ。
「あ、ありがとうございます。とても光栄です」
あわあわと慌てふためき、深くお辞儀をする可愛らしいセラフィーの仕草に、公爵夫人がくすりと笑った。
「え!お母様、ずるいわ。当然、私もご一緒させていただきますから。ヴァレンの暴露話なら、私の方がたくさん持っているんですからね!」
3人は顔を見合わせるとクスクスと楽しそうに笑い合った。
「俺だって参加したい!お前たちだけずるいぞ」
「「「えっ」」」
ドラヴェン公爵の言葉に「あなたはだめです」と、公爵夫人に問答無用に断られるのであった。
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ドラヴェン公爵夫妻たちと別れて会場を歩いていた時、セラフィーが「あっ」と、声を上げた。
「父様、少し失礼してもいいかしら?友人があちらにいて」
「ああ、行っておいで」
「すぐ戻るわね」
セラフィーが友人との歓談を楽しみ、家族の元へ帰ろうとした時。
「こんばんは。とても愛らしい方がいたので思わず声をかけてしまいました」
「お名前を伺ってもよろしいですか?僕は──」
貴族だと名乗る2人の男性が声をかけてきた。
爽やかな振る舞いを見せているが、その全身をねっとりと這うような不躾な眼差しが、セラフィーにはとても不快だった。
「もっと貴女のことが知りたいな」
「あちらでゆっくり話しましょう」
「いえ……あの、すみません。人を待たせているので──」
こういった誘いに慣れていない彼女は、困惑しながら頬を赤く染め、胸の前で両手を振って断った。
しかし、その初々しい様子は、男性たちをさらに高揚させる。
「少しだけなら良いではないですか。さぁ」
(どうしよう……全然取り合ってくれないわ)
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一方、ヴァレンは落ち着きのない様子で来客をもてなしていた。
(──セラフィーは来てくれるだろうか)
次々と笑顔を張り付けてやってくる貴族、とりわけ娘を連れてくる者は特に面倒だ。
ひと通り挨拶が終わると、今度は令嬢たちに囲まれげんなりする。
彼の横はリリアーナが陣取り、優越を誇った笑顔で扇をゆったりと揺らし、まるで婚約者のように振る舞っている。
「ヴァレン様、あちらで2人きりでお話ししませんか?今宵はずっとお側にいたいわ」
ヴァレンの耳元で甘えるような艶やかな声で言うリリアーナを、彼が冷ややかな目でちらりと見た。
その時、会場の向こうで2人の男性に絡まれているセラフィーの姿が目に入った。
彼女は手を振り必死で断っているように見える。
「失礼」
それだけ言って、ヴァレンはリリアーナに背を向けた。
不満げな様子で彼の背を目で追ったリリアーナの笑顔が一瞬だけ崩れた。
セラフィーの姿を捉えたからだ。
彼がこの後起こす行動など、容易に想像がついた。
リリアーナが扇を握る指先に、白くなるほど強く力がこもる。
その口元を隠すように広げられた扇の下で、唇が酷く歪められていた。
ヴァレンは迷いのない足取りで人垣をかき分け、まっすぐに目的の場所へと突き進んでいた。
男たちの不躾な手がセラフィーに向かって伸び、彼女が恐怖で身を硬くした、まさにその瞬間。
「なにをしている」
セラフィーがハッとしたように勢いよく振り返ると、そこには、周囲の空気を凍りつかせるほどの漆黒のオーラを纏ったヴァレンが立っていた。
「俺の客人に何か用か?」
「「ドラヴェン公爵嫡男様っ!?」」
男たちは顔面蒼白になりながら後ずさりすると、慌てたように一礼し、足早に人垣の中へまぎれていった。
「ヴァレン様」
しばらくの間、男たちが立ち去った方を睨みつけていた彼が、名前を呼ばれセラフィーに目を移すと、ほっと安心している彼女の姿があった。
「ありがとうございました。あの方たちに誘われて、困っていたんです。助かりました」
ヴァレンの氷青の瞳が、じっとセラフィーの姿をとらえた。
自分が選んだドレスを着た彼女は、この会場で特別美しく、誰より輝いて見える。
ヴァレンが口元を隠しながらフイと顔を背けると、セラフィーは不思議そうに首を傾げた。
彼の耳が少し赤い。
その時、歓談の終わりとダンスタイムの幕開けを告げる、華やかな第1曲目の前奏が広間に鳴り響いた。
セラフィーが音楽の奏でられた方へ視線を向けると、不意にヴァレンから問いかけられる。
「ダンスの相手はもう決まっているか?」
「えっ?」
セラフィーはエメラルドグリーンの目を大きく瞬かせた。
彼にもう1度に同じように問いかけられ、彼女は「いいえ」と、首を横に振った。
「では、俺と踊れ」
彼はファーストダンスの意味を本当に知っているのだろうか?
ファーストダンスの相手は、特別な存在だと認識される。
「でも……リリアーナ様がいらっしゃるのに──」
「リリアーナ嬢?なぜ彼女の名前が出てくるんだ?──行くぞ」
ヴァレンはそっとセラフィーの白く細い手をとると、力強くダンスフロアの方へ進んでいく。
繋がれた手のひらから伝わる熱。
セラフィーの胸の高鳴りは、どんどん大きくなっていった。
ヴァレンに手を引かれ、会場中の視線を浴びながらダンスフロアの中央へと足を踏み入れると、演奏が始まった。
そして、差し出された大きな手に戸惑いながらセラフィーは自分の手を重ねた。
(近い……っ)
心臓がうるさい。
ヴァレンの氷青の瞳に、自分だけの姿が映っているのが見える。
その時、ヴァレンが静かに微笑んだ。
それだけで、彼女の心は弾けるように高鳴った。
「ドレス、良く似合っている」
その言葉にセラフィーの顔が赤く染まっていく。
「ヴァ、ヴァレン様が選んでくれたんですよね。ありがとうございます」
彼は、余裕のある微笑みを浮かべると、セラフィーの腰を優しく引き寄せた。
周りから、わぁと感嘆の声が聞こえる。
「意外とダンスが上手いな」
「──意外ってどういうことですか?褒めてますか?」
「褒めている」
セラフィーは思わず笑った。
ヴァレンも彼女を見つめる口元がふっと優しく緩む。
彼女の笑顔を見るのは一体いつぶりであっただろうか。
もう胸の高まりは治まらない
セラフィーの固く閉めたはずの心の蓋が一気に開き、溢れ出した。
(私、やっぱりヴァレン様が好き。でも彼にはリリアーナ様がいる。この気持ちは一生伝えない。でも今日だけは。このドレスを纏っている今この瞬間だけは、この大好きな気持ちのままで、彼の隣にいることを許してほしい)
明日からは──これからはずっと、彼を支えていく、ただの機能回復士に戻るから。
今夜のことは一生忘れない。
この溢れ出た恋心を宝物のように大切に抱きしめ生きていこうと、セラフィーは胸の奥で静かに誓った。
「ヴァレン様」
「何だ?」
「今夜は楽しいです」
いつもの屈託のないセラフィーの笑顔にヴァレンは安堵した。
それから低く、静かに言った。
「──俺もだ」
会場のざわめきが、遠くに聞こえる。
シャンデリアの光が温かく2人を包んでいた。
その光景を、会場の端からリリアーナが扇で口元を隠しながら見ていた。
アメジストの瞳が赤く燃え上がっている。
(ヴァレン様が、あの令嬢と踊っている……許せない)
リリアーナは目を細めると醜く唇を歪めた。
自分はヴァレンにダンスの相手を申し込んでも、承諾してもらったことなどない。
(あなたには消えてもらうしかないわね──セラフィー。と、その前に……)
「皆様、ご存じかしら?最近、妙な噂を耳にして……ドラヴェン公爵家の病院のことだから私にも関係あるでしょ?心配でならなくて、心を痛めておりますの」
リリアーナは悪びれた様子もなく、あたかも自分が哀れな弱者かのように同情を誘う涙を浮かべてみせた。




