第4章《15》
朝、鏡の前に立ったセラフィーは、自分の胸元に手をやった。
そこには、あのネックレスはない。
昨日、2度と開けなと誓った箱の奥にしまい込んだからだ。
今日からは、ただの『機能回復士』として彼に接する。
そう自分に言い聞かせて、静かに目を閉じた。
余計なことを考えないように、セラフィーはいつも以上に動き回り、誰にでも笑顔で接していた。
夕方になると無理やり上げていた頬の筋肉が痛んだ。
訓練室の片付けをしていたその時。
──廊下から聞き覚えのある足音が響く。
足音で分かってしまう自分は重症かもしれない。
いつもは嬉しいはずの音が、今は心に重く響く。
「セラフィー」
後ろから聞こえた彼の低く響く声。
セラフィーは息を詰めると冷たく強張った真顔で振り向いた。
「ヴァレン様、ご視察お疲れ様です。今日も問題なく業務を終えることができました」
「?……そうか」
いつもとは違う雰囲気の彼女にヴァレンは戸惑った。
眩い笑顔も、弾むような愛らしい声も、今日は完全に影を潜めている。
「──どうした?疲れているのか?業務が終わったなら邸宅まで送ろう」
「いえ。これから寄るところがあるので大丈夫です。失礼します」
セラフィーは深く一礼すると、顔も見せずに足早に立ち去った。
泣きそうな顔は見られたくない。
優しく気を遣ってくれる彼のことを思うと心苦しいが、これ以上一緒にいると心が壊れそうだ。
あまりの冷たい対応に、呆然と立ち尽くしたヴァレンは、遠ざかっていくセラフィーの後姿を見つめることしかできなかった。
「ねぇ、ヴァレン……貴方、セラフィーちゃんに何かしたの?」
その日、ヴァレンはまたセラフィーに冷たくあしらわれていた。
今日でもう何回目だろうか?
周囲の人々も流石に2人の様子がおかしいことに気づき、各々が深刻そうな顔で執務室に押し寄せていた。
「セラフィー嬢、ここんとこ空元気って感じだぜ」
ガレットの言葉にジークもうんうんと首を振っている。
「この前会った時はネックレスもしてなかったよな」
「……なぜお前がここにいる」
表情を落としたヴァレンからは負のオーラが噴出している。
ヴァレンは、自分が贈ったネックレスをセラフィーが業務中以外、毎日着けてくれていることを密かに楽しみにしていた。
最近はその胸元は寂しい。
「親友の一大事だぜ!駆けつけるに決まってるだろ!」
みなが頷くも、どこかニヤついている反応が解せなかった。
「で、何かあったの?」
「特に思い当たることはない……正直、戸惑っている」
これは思っている以上に事態は深刻らしい。
心底参っているように俯くヴァレンの滅多にない姿に、流石の3人も顔を見合わせ、慌てて目配せを交わす。
すると、エルヴィラがひらめいたとばかりにパンと大きく手を合わせた。
「しょうがないわね。私が一肌脱いであげるわ」
どのような案が浮かんだのか……その案が無理難題でないことをジークとガレット、そしてヴァレンの3人はただ祈るばかりであった。
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セラフィーの気持ちが落ち着き始めたある日。
アシュレイ侯爵家に1通の招待状が届いた。
それはエルヴィラを介して届けられた、ドラヴェン公爵家主催の舞踏会への招待状だった。
家紋が刻印された招待状から立ち上る有無を言わせぬオーラに、アシュレイ侯爵家の3人は『おおぉ……』と、息を飲む。
すごい、すごいと喜ぶ父と兄とは裏腹に、セラフィーの顔は晴れなかった。
公爵家の舞踏会ともなれば、当然リリアーナも招かれるだろう。
あの2人が並び立つ姿を想像するだけで、まだ胸がチクチク痛む。
(お仕事のこともあるし、断るわけにもいかないよね……)
そこで気になるのがドレスだ。
公爵家の舞踏会にふさわしい品格のドレスでなければ、アシュレイ侯爵家の家名にも関わってくるだろう。
今から、仕立て屋を呼んでも間に合わない。
(どのドレスを着ていけば良いんだろう……)
新たな悩みの種が増え、セラフィーが深い溜息をついた、その時。
侍女が大きな漆黒の箱を大事そうに抱えて現れた。
「今しがたドラヴェン公爵家の使者が参りました。ヴァレン様より、セラフィー様へお納めくださいとのことです」
テーブルに恭しく置かれた大きな漆黒の箱。
その蓋には、やはりあのドラヴェン公爵家の家紋が刻印されている。
招待状以上の圧倒的なオーラを放つその箱を前に、3人は本日2度目の『おおぉ……』という声を漏らし、揃って息を飲み込んだ。
セラフィーが意を決して恐る恐る箱の蓋をそっと持ち上げると、深い紺青のシルク生地が見えた。
その上に、小さな一筆箋が置かれていた。
そこには、こう記されていた。
『舞踏会当日、このドレスを纏ったお前に会えることを楽しみにしている』
そう美しく流れるように綴られた文字を見るだけで、セラフィーの胸は締め付けられた。
(諦めるって決めたのに……どうしてこんなに優しいの?)
固く閉ざしたはずの心の蓋が不意にこじ開けられそうになる。
セラフィーが箱からドレスを出すと、部屋中がパッと華やぐような、息を呑むほど美しいドレスが姿を現した。
深い紺青のシルク生地に細やかに施された銀糸の刺繍は光を受け、まるで星屑を散りばめたかのように煌めいている。
あの氷青のネックレスがこれ以上ないほど美しくとても映えるだろう。
セラフィーはドレスをそっと愛おしそうに抱きしめた。




