王子様の思惑
「対処法なんてものは、ありません」
あの夜のソフィの答えは、無情だった。
「私、恋愛小説を三百冊は読みましたけど、恋の病が『対処』で治った例は一冊もありませんでした。大抵変な対処した結果こじれます!」
「そんな……」
それでも私は、私なりの対処法を実行することにした。名付けて「業務外接触の削減」。
朝食は自分の書斎で取る。廊下では目を合わせない。夜の帳簿会は「進捗は文書にてご報告します」に切り替える。接触がなければ、動悸もない。少し胸の辺りがチクリとするけど…最善の対処法だ。
――そう、完璧な、はずだった。
「奥様。閣下が今朝、奥様のご報告の文書を、何度も読み返しておられました。それから廊下で三度、奥様の書斎の前で立ち止まって、三度とも、ノックせずに戻られました」
「…………そう」
「本日の夕食も、お一人で完食されました。完食は美味しいの意ですが、あの背中は美味しくなさそうでした」
クロードさんの報告が、いちいち胸に刺さる。ソフィはやれやれという顔。だって…
「奥様、その…閣下のことがお嫌いになったのでしょうか?何か理由を聞かせてくださいませんか?閣下は内密に致しますので…」
(違うの。嫌いになったんじゃないの。逆なの。……でも、私情で契約を汚すわけにはいかないのよ)
何も言えず黙っていると、クロードさんは一礼して、トボトボと執務に戻って行った。
◇
そんな気まずい日々に、来客があった。
「突然すまない、ジーク、メリア夫人。王家の調査の件で、財務卿の力と知恵を借りたい」
応接室に立っていたのは、淡い金の髪に碧眼が美しい――エドワード殿下だった。
例の「用途不明金」の調査が宰相府から王家に移管され、その担当が殿下になったのだという。テーブルには、王宮から持ち込まれた帳簿と受領書の写しが積まれた。
「兄の疑惑を、弟の私が調べる。外聞は悪いが、身内の膿は身内で出すよ。……夫人には、あの夜会の明細の件から、ぜひ協力を願いたかった」
「喜んで。実は、こちらからもご報告したいものがあります」
私は例の付箋の頁を開いた。三年前の献上金、公爵家の記録は二千枚、王宮の受領書は千六百枚。差額四百枚。
殿下は目を見開き、それから、感嘆のため息をついた。
「……こちらが半月かけて掴んだ糸口を、貴女は帳簿の転記中に見つけたのか」
「偶然です。複式で書き直していると、合わない数字は勝手に浮いてくるので」
「謙遜まで。実に聡明な方だ」
殿下は柔らかく笑って――それから、チラリとジークハルト様を見た後、ふっと真顔になった。
「メリア夫人。調査とは別に、一つだけ、いいかな?」
青緑色の瞳が、まっすぐに私を見た。
「あの夜会の日から、貴女のことが頭を離れない。……貴女の婚姻が、期限付きの契約結婚だと聞いている。貴女がその契約からご自由になる日――その時、私と婚姻を結んでいただけないだろうか」
(……!?)
「エドワード!」
ジークハルト様が驚いた顔で殿下を見る。つまり、私が、もう一度王家に…入る。ということ。
一切の照れも、誤魔化しもない、これは政略結婚という直球な誘いだった。
(3年後の転職先…)
「ジーク、まぁ、最後まで聞けよ」
2人の関係性は学園では友人同士。しかし、今は王家の人間とそれに仕える公爵家。ジークハルト様が言葉を飲んだ。
「聡明な貴女なら、今後、今の政権がどうなるか読めるだろう?」
もちろん。この不正とは氷山の一角に過ぎない。7年間のヘンリー殿下の動向からヘンリー殿下の行動だけでは説明がつかない余罪があることは知っていた。政権が…ひっくり返る。
「それに、僕たちに子供が生まれたら、賢くてかわいい子供になると思うんだ」
――ぱきん、と。
部屋の隅で、乾いた音がした。
見れば、旦那様の手の中で、羽根ペンが真っ二つになっていた。
「……失礼。ペンの、品質確認だ」
旦那様は折れたペンをそっとクロードさんに渡し新しい羽根ペンと交換。何事もなかったかのように帳簿へ目を戻した。けれど、その頁は、さっきから一度もめくられていなかった。
旦那様の様子は気になったけど、どんなことであれ王族からの申し出を邪険にすることはできない。
「冗談はさておき、結婚の件は大真面目だ。君は王妃教育も終え、完璧な淑女。その上、数字にも強い。混乱の中、民を導くためには貴女の力が必要なんだ」
「殿下。もったいないお言葉です。ですが…」
私は背筋を伸ばして、お断りの礼を取った。
「おっしゃられた通り、私は公爵家との期限付きの契約結婚です。……ですが。今はジークハルト様と婚姻中の身。私は、この婚姻に、誠実でありたいのです。婚姻中に王家の人間であれ、他の殿方と婚約するなんて考えられません。礼を欠くようなことはしたくないのです」
ホッとした様子でジークハルト様は私を見た。エドワード殿下はしばらく私を見つめ、それから、なぜか少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「……なるほど。『誠実』ね。ますます気に入ったよ。分かった、今回は引き下がることにしよう」
「恐縮です」
再度一礼をし、頭を上げた時、ジークハルト様が顔面蒼白となっていた。そうね、目の前で社員がヘッドハンティングされかけたんだもの。大丈夫です。契約はきっちり守りますから!
後でソフィに聞いたら、凍り付いた部屋で、満足げに微笑んでいたのは私とエドワード殿下だけだったらしい。
◇
その夜。湯上がりに廊下を歩いていたら、執務室から灯りが漏れていた。
扉が、少しだけ開いている。中から、クロードさんの声。
「だから申しましたのに…3年なんて期限いらなかったんですよ」
「いや、しかし…」
「――では閣下、率直に伺います。本日の殿下のお申し出を聞いた時、何を思われましたか」
「…………悪くない申し出だと…」
「ほう?」
「期限を決めたのは彼女のためだ」
「閣下、素直になってください。今日のような話は、これから増えますよ?契約を一度破棄してはいかがでしょうか?」
(――え)
契約を…破棄…。
「閣下。どっち付かずな態度はなりません」
(どっち付かず?)
「こんな気持ち、今更伝えられるわけないだろう?『恋をしたから一旦契約を破棄してくれ』なんて!」
心臓が、跳ねた。恋? 誰が? 誰に?
もっとよく聞こうと、一歩踏み出しかけて――はたと我に返った。
(立ち聞きなんて、いけない……!)
私は口を押さえて、足音を殺して、自分の部屋まで一目散に逃げ帰った。
肝心の続きを、聞かないまま。
「ソフィ、どうしよう。ジークハルト様が、誰かに恋をしているらしいの」
「……お嬢様。それ、本気で言ってます?」
侍女の呆れ顔の意味が分かるのは、もう少し先の話。
――ただ、一つだけ確かなことがある。エドワード殿下のお誘いを受けても、私の心拍数は一度も上がらなかった。
私の動悸は、どうやら、たった一人にしか反応しないらしい。
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「婚約者に裏切られて、知らない花婿と結婚したら、なぜか幸せです」完結もよろしければご覧ください。




