花は原価計算できない
最近、ジークハルト様の様子がおかしい。
最初に気づいたのは、書斎の机の上だった。財務府の書類に混ざって、場違いなものが載っていたのだ。――王都の花市場の、相場表。
次の日は、園芸図鑑。そのまた次の日は、花屋の商品目録が三冊。しかもどれにも、びっしりと書き込みがある。「薔薇:流通量多・価格変動大」「百合:輸送に難」「日持ち:平均四~七日」……。
(花卉産業に投資でもなさるのかしら。でも利益率の計算がどこにもない……何の調査なの、これ)
三日目、ついにクロードさんに聞いてみた。クロードさんの目が左右に泳ぐ。
「……奥様。どうか、もうしばらくお待ちいただけますか。閣下なりに、その、進めておられますので」
「進める? 何がですか?」
「私の口からは。……ただ、閣下は決済の速い方なのです。予算案なら即日でお戻しになる。それが三日悩んでおられるということは、その、よほどのことでして…」
「…そうなの?」
ますます分からない。でも、クロードさんの様子からして…ジークハルト様のプライベートなことかもしれない。そう思って、あまり詮索はしないようにした。
◇
四日目の夕方、ジークハルト様に呼ばれた。
「メリア。来てほしい場所がある」
連れて行かれたのは、南向きの角部屋だった。使われていない客間のはず――だったところ。
扉が開いて、私は息を呑んだ。
大きな窓から、夕方の光がいっぱいに入っていた。壁一面の書架。真新しい大きな机には、インク壺が三色と、羽根ペンが硬さ違いで五本。机の袖には算盤と、見たこともない精巧な計算尺。椅子には柔らかそうなひざ掛けまで掛かっている。
「……これは」
「君の書斎だ。道具は私が選んだ。今日から、ここを使ってほしい」
ジークハルト様は、窓の外を見ながら、ぼそぼそと続けた。
「本当は、花を贈ろうとした。世間では、その、そうするものらしいので」
(あの相場表と図鑑、それでですか……!)
「三日調べた。だが、駄目だった。どの花も数日で枯れる。四日で枯れるものを贈るのは、どうしても、その……君の働きに釣り合わないと思った。それに」
ジークハルト様は一度言葉を切って、それから、観念したように言った。
「……どの花を見ても、君のほうが良いと思ってしまって、選べなかったんだ。以上だ」
どくん、と、また心臓が鳴った。
この人は、多分、純粋に私が一番喜ぶものを考えて労ってくれたんだ。
自分がどんなに甘い台詞を言ったのか分かってない。氷色の目は大真面目で、口元は「報告終わり」みたいに引き結ばれている。それがかえって、彼らしく、嬉しい。
「は……」
「は?」
「破格の福利厚生ですね……! ありがとうございます、ジークハルト様。大切に使います……!」
花は好き。きっと彼からもらう花束も心から嬉しかったと思う。思えば定期的にヘンリー王子の名で毎月送られていた。あの夜会の日の朝も。原価だけで価値を決めるにはお粗末な考え、気持ちがあるかどうかで、付加価値が付くもの。
「……!」
ジークハルト様はこれ以上なんて言ったらいいのか分からない顔をしていた。
精一杯の声と笑顔で答えた私は、たぶん、耳まで赤かったと思う。
◇
「――というわけなのよ、ソフィ」
その夜、私は自分の部屋で、侍女に事の次第を報告していた。報告しないと、心臓がもたなかった。
「まだ動悸がするの。お医者様には至って健康と言われたのに。ジークハルト様の顔を見ると、その、心拍数が上がって、体温も上昇して、これはやっぱり何かの病気だと思うの。伝染病かもしれない。ジークハルト様が笑った日からだもの、感染源はジークハルト様よ」
「お嬢様」
「何かしら」
「それは、恋の病です」
ソフィは、お茶を注ぎながら、こともなげに言った。
「こ…KOI?」
「恋です」
「ち、違うわ。季節が違うもの。恋は春にするものと相場が決まってるわ。今は夏だもの」
「何情報ですか?犬猫じゃあるまいし、私の読む本の主人公はオールシーズン恋してますよ」
「でも、だってこれは契約結婚で、私は財務責任者で」
「では伺いますが。書斎を頂いて、昨夜は眠れましたか?」
「……三時間くらい」
「ジークハルト様が笑ったお顔、今、思い出せますか?」
「……鮮明に」
「思い出して、どうなりました?」
「…………動悸が」
「はい、恋ですね。診断終了です。お医者様がニコニコしてらしたの、そういうことですよ」
(そんな。まさか。だって私、前世を含めても、こんな)
恋。鯉。こい。……恋?
意味も字も知ってる。けど、教科書のどこにも載っていなかった。対処法が分からない。
「い、いいえ。仮に、仮にそうだとしても、よ」
私は立ち上がって、机の引き出しから、あの日の契約書を取り出した。
第一条。契約期間は本日より三年間とし、更新は合意の上で決定するものとする。
「これは三年間の契約なの。私は帳簿を直すために雇われた、いわば財務責任者。期間が満ちたら、帳簿を整えて、引き継ぎをして、この家を出る。……最初から、そういうお約束なのよ。恋して良いなんて規約のどこにもないもの…」
口に出したら、胸の真ん中が、ぎゅっと痛くなった。
あんなに好条件に見えた「三年間」が、今夜はどうしてか、ひどく短く見えた。
「お嬢様……」
「……仕事に私情をはさんではジークハルト様に迷惑がかかるわ……ねぇ、ソフィ。」
私は契約書を抱えたまま、侍女を見上げた。
「この痛みの対処法、教えてくれないかしら」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。よろしければ評価★&ブックマークをしていただけると、大変励みになります。
「婚約者に裏切られて、知らない花婿と結婚したら、なぜか幸せです」完結もよろしければご覧ください。




