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幽霊さんは引っ越したい!  作者: 水上 タクト


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9/10

第8話:『幽霊のバイト事情? 画面越しに稼ぐ、お菊さんのポルターガイスト配信!』

四月。

 カレンダーがめくれ、世の中がピンク色の浮かれた空気に包まれる季節がやってきた。

 大学のキャンパスは、新入生を強引に勧誘するサークルの喧騒と、満開の桜をバックに自撮りに興じる華やかな学生たちで溢れかえっている。かつては僕も、そんな「春」を謳歌する側の一員になれると、淡い期待を抱いていた。

 だが、二年生になった僕、佐藤一馬を待ち受けていたのは、春の陽光とは程遠い、極寒の「通帳残高」だった。

 

「……残り、三千四百八十二円。これで五月の連休まで生き延びろというのは、もはや経済的な死刑宣告に近いな」

 アパートの畳の上に通帳を広げ、僕は深い溜息をついた。

 新学期特有の出費は、貧乏学生の財布を情け容赦なく蹂躙していく。新しい専門書の購入、高騰する公共料金、そして避けては通れない新歓という名の「付き合い」。まぁぼっちの僕には関係ないけどね。

 しかしながら何より僕の財政を死滅寸前まで追い込んでいる最大の要因は、目の前で優雅に宙を舞い、僕の古いスマホをいじり倒している「非実在の同居人」だった。

 

「一馬! 見て、これ! SNSで流れてきたんだけど、今日から『さくら舞い散る・ストロベリーベリーフラペチーノ』が発売なんですって! 期間限定、数量限定! これを飲まなきゃ、現代の女の子としての一日が始まらないわよ! ほら、さっさと準備なさい!」

 お菊さんは、僕が以前使っていた古いスマホを片手に、目をキラキラさせて訴えてきた。

 彼女は、僕が設定した格安SIMの通信制限すら、霊的な何らかのハッキング能力で突破している疑いがある。最近では「映え」という現代の概念を完璧に理解し、味もさることながら、そのビジュアルをお供えされることに異常な執着を見せ始めていた。

 

「お菊さん、よく聞いてくれ。……僕は今、本気で大学を中退して遠洋漁業の船に乗るか、毎日近所の公園のタンポポを茹でて生き延びるかの瀬戸際にいるんだ。一杯七百円もするピンク色の液体を、しかも『概念』として匂いだけ摂取する幽霊に捧げる余裕なんて、僕の財布には一円分も残ってないんだよ」

「失礼ね! 私はこうして部屋の治安を(たまに)守ってあげてるのよ! 家賃一万円で済んでるのは誰のおかげだと思ってるの? それに、女の子を喜ばせるのも男の修行でしょ!」

 お菊さんはぷいっと頬を膨らませ、僕の座る畳の上にストンと降り立った。

 その際、彼女の着物の裾が重力を無視してふわりと舞い、白粉の甘い香りと共に、透き通るような白いふくらはぎと、その奥の柔らかな太ももの境界線が露わになる。

 幽霊のくせに、その肌の質感はあまりにも生々しく、春の陽気に中てられた僕の視線は無意識にそこへ吸い寄せられてしまう。

 

「な、何よ。……どこ見てるのよ、このエロ一馬。フラペチーノを買えない腹いせに、私の体で視覚的栄養を補給しようっていうの? 変態! 物の怪!」

「ち、違うよ! 立ちくらみがしただけだ! 栄養失調なんだよ!」

 僕が頭を抱えていると、壁から「ガシャリ!」という不吉な音が響いた。もはや一〇一号室の名物だが、一〇二号室との境界壁から、血の滲んだ鉢巻を巻いた落ち武者・武田信康が、上半身だけをズブリと突き出して現れた。


「佐藤殿! 此度は『ぷろていんゴージャス』なる、筋 肉を金色の剛体へと変える秘薬を求め、ドラッグストアという名の出城へ夜襲を仕掛けて参ったが……。店主の女から『ぽいんとかあど、はお持ちですか?』と問われ、返答に窮して撤退仕った! あ奴、かなりの手練れと見た! 拙者の威圧感に一分も動じぬとは!」

「……ダメだ、こっちも絶望的に戦力外だ。ポイント カードに敗北する戦国武将なんて初めて見たよ」

僕は絶望した。生活費を稼ぐためにはバイトを増やすしかない。しかし、この「騒がしい事故物件」を長時間空けるのは、物理的にも霊的にもリスクが高すぎる。僕がいない間に大家のよし子さんが「点検」と称して踏み込んできたら、一〇一号室は一瞬で「怪異の巣窟」として有名になってしまうかもしれない。

在宅で、短時間で、かつこの居候たちの「特性」を活かせる方法はないか。

 僕はふと、パソコンの画面に表示された動画配信サイト『Z-Tube』のバナー広告を見つめた。

 

「……これだ。毒を食らわば皿まで、幽霊を使うなら配信までだ。お菊さん、これだよ。君には『ポルターガイスト』っていう、現代の科学では説明できない最強の特技がある。それを見せるだけで、世界中から『投げ銭』――つまり、フラペチーノ代が空から降ってくるんだ」

「ライブ配信? みんなで画面に向かって独り言を言ってる不気味なあれ? ……でも、それでフラペチーノが手に入るなら、私、本気出すわよ。原宿のトップスターになって、あんたを一生養ってあげるわ! 感謝しなさい!」


深夜二時。配信開始。

 タイトルは【深夜の事故物件。ガチで『出る』部屋から無加工生配信。異変があったら即終了】。

カメラをセットし、お菊さんは「見えない主役」としてスタンバイした。

 最初は視聴者数も一桁、二桁と緩やかだった。チャット欄には「どうせ釣りだろ」「テグスが見えたら通報」といった冷ややかなコメントが並ぶ。

 しかし、お菊さんが「本気」を出した瞬間、チャット欄が爆速で流れ始めた。

 何もない空間で、ハンガーに吊るされたお菊さんお気に入りのワンピースが、まるで透明な人間が着ているかのようにしなやかに、艶かしく踊り始めたのだ。さらには、僕の厚い医学系の教科書が次々と宙に浮き、幾何学的な模様を描いて高速回転を始める。

 

《え、待って。ワイヤーが見えないんだけど》

《今の窓の鳴り方、低周波の振動じゃないぞこれ。ガラスが波打ってる》

《主、これマジもんのやつか?》

 お菊さんはすっかり調子に乗り、空中で複雑なステップを踏み始めた。その動きに合わせて、僕のノートやペンが生き物のように飛び跳ね、さらには僕の座っている椅子までもが浮遊し始める。

 

「一馬、見てて! もっと凄いのを見せてあげるわ! 私のスター性を見せつけてやるんだから!」

 お菊さんの高揚した霊力が部屋に満ち、空気がキンと冷え切る。彼女はあろうことか、僕の着ているシャツのボタンを、目に見えない指先で器用に外し始めたのだ。

 

「お、おい! お菊さん、何をしてるんだ!? それは台本にないぞ!」

「いいじゃない、サービスよ! 視聴者はこういう『ハプニング』が好きなんでしょ? あんたの貧弱な体でも、鎖骨のラインくらいは需要があるはずよ! ほら、じっとしてなさい!」

 お菊さんの冷たい指が僕の胸元をかすめる。くすぐったいような、それでいて芯まで凍えるような感覚。

画面越しには、僕のシャツが「透明な何者か」によってゆっくりと、官能的に剥ぎ取られていくように見えているはずだ。

 

《ちょwww 幽霊に服脱がされてる学生www》

《これマジのポルターガイストだろ。シャツが勝手に開いてる》

《おい主、その幽霊代われ。俺も脱がされたい》

《スパチャ(投げ銭)投げるからもっと脱がせろ!!》

 画面には、キラキラしたエフェクトと共に、これまでに見たこともない額の「投げ銭」の通知が滝のように飛び交い始めた。一瞬でフラペチーノが百杯は買える額が積み上がっていく。

 お菊さんはさらに調子に乗り、僕の背後に回り込むと、目に見えない腕で僕の首に抱きついた。視聴者には僕が一人で空を抱いて悶えているようにしか見えないはずだが、僕の耳元には、彼女の冷たくて甘い吐息がはっきりと届いていた。

 

『一馬……。あんた、耳まで真っ赤になってるわよ。……可愛いわね。生きてる男の子って、こんなに簡単に熱くなるのね』

 お菊さんの囁きが脳内に直接響く。

 その瞬間、彼女の霊的な「質量」がいつもより激しく増し、背中に押し当てられた胸の感触が、氷のような冷たさを突き抜けて、確かな「柔らかさ」として、ずっしりと伝わってきた。

彼女の細い指が、僕の腹筋のあたりを這う。

 

「……っ、やめ、ろ……!」

《主、顔がガチすぎるwww》

《幽霊さん、もっと攻めて!》

《今の「やめろ」はご褒美だろ》

 僕はパニックになり、慌ててシャツを抑えたが、時すでに遅し。投げ銭の嵐は止まらない。

その時、机の上のスマホが激しく震えた。メッセージの送り主は、白鳥沙織さんだった。


【一馬くん、今配信してるのってもしかして君かな? 大学のグループチャットですごく話題になってるよ! ……でも、一馬くん。なんだか部屋の空気が、映像越しでもピリピリしてる。……その部屋、まだ『何か』が隠れてる気がする……】

 白鳥さんの、鋭すぎる直感。僕は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

「(おい、お菊さん! やりすぎだ! 大学のやつらにバレる! 配信を切るぞ!)」

「えー! これからもっといいところなのに! 私の知名度が世界を飲み込む寸前なのよ! 意気地なし!」

 僕は強引にマウスを操作し、配信を強制終了させた。

 「機材トラブルのため」という言い訳をチャットに残したが、一晩で上がった収益は、僕のバイト代一ヶ月分を軽く超え、奨学金の半年分に届く勢いだった。


「やったわね、一馬! これでフラペチーノ百杯、いや、原宿のパンケーキ屋をビルごと買い占められるかしら!? 私、伝説のインフルエンサーインフルエンサー・ゴーストになれるわ!」

 お菊さんは狂喜乱舞し、僕の周りを高速で周回している。

 武田も「これでおのれを鍛える黄金のプロテインが買える! 佐藤殿、あっぱれなる戦功なり! まさに夜襲の天才!」と、壁の向こうで素振りを始め、その衝撃で一〇一号室の電球がチカチカと不吉に点滅した。

 とりあえず、当面の生活費と「高価なスイーツ代」は確保できた。

 だが、僕は配信の録画データをチェックしていて、ある一点で指が止まった。

 配信の終了間際。お菊さんがはしゃぎすぎてカメラの前を横切った、その背後。

 画面の隅に映っていたのは、誰もいないはずの、そしてお菊さんも武田も「あそこはカビ臭いから」と近づかないようにしていた「押し入れの隙間」だった。

 そこから、青白い、子供のような小さな手が、ゆっくりと、音もなく引き戸を閉める様子が……確かに映り込んでいたのだ。

 

「……ねぇ、お菊さん。この部屋、他にも誰か……いる?」

 僕の問いに、お菊さんの動きがピタリと止まった。

 彼女はゆっくりと首を横に振り、それから僕の視線の先にある押し入れを凝視した。

 

「え? ……何言ってるのよ。この部屋の主は私よ。私が知らない住人なんて……」

 言いかけたお菊さんの顔が、みるみるうちに青白く(もともと青白いが、さらに透明度を増して)強張っていく。

「……そういえば……さっきから、押し入れの奥から、私や武田さんとは違う……すごく古くて、重たくて……『悲しい』匂いがするわね……」

 窓の外では、夜風に吹かれた桜の花びらが、誰かの死を悼むように乱舞し、ガラスを叩いている。

新学期が始まり、騒がしい仲間が増えたと思っていたが……。

 どうやらこの『ひまわり荘』一〇一号室には、綺麗なお菊さんでも、戦国時代の武士でもない――深い「闇」の中に、さらに別の住人が潜んでいるようだった。

 

「……とりあえず、明日はフラペチーノを買ってこよう。……四人分だ。ストローも四本、多めに貰ってくる」

 一馬の日常は、金銭的には潤ったものの、霊的にはさらに深刻な、そして「開けてはならない扉」の前まで引きずり出されていた。

 お菊さんは、怖がる僕の腕をぎゅっと掴んできた。その手はいつも以上に冷たく、けれど僕の体温を求めて離れようとしなかった。

 

「……四人分なんて言わないで。私と一馬の分だけでいいわよ。……ね? 他の誰にも、この部屋の空気は渡さないんだから……」

 彼女の言葉とは裏腹に、その華奢な肩は微かに震えていた。

 春の夜風は、どこまでも冷たく、新しく手に入れた大金の温もりさえも奪い去るように、僕たちの部屋を吹き抜けていった。

 押し入れの奥から、また「ガタリ」と、何かが動く音が聞こえた気がした。

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