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幽霊さんは引っ越したい!  作者: 水上 タクト


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第7話:よし子強襲!

 日曜日の午前中。昨日の神社デート(サバイバル)の疲れで、僕は畳の上で泥のように眠っていた。

……はずだったのだが。

 

「ちょっと一馬、起きなさい! 来たわよ、あの『天敵』が! 廊下から、鼻がひん曲がるほど濃厚な女の匂いが近づいてくるわ!」

 お菊さんの悲鳴に近い叫びと、枕元への急降下(物理的な冷気)で、僕の意識は強制的にシャットダウンから再起動へと追い込まれた。

 

「……お菊さん、まだ十時だよ。日曜くらい、お天道様と一緒に二度寝させてくれ……」

「寝てる場合じゃないわよ! ほら、もうドアの前に立ってるわ! 殺気……じゃないわね、これはもっと厄介な『女の業』みたいなものが溢れ出してるわ!」

 お菊さんがベレー帽をきゅっと握りしめ、僕の背後に隠れたその瞬間。

コンコン、と上品だが力強いノックの音が響いた。

 

「一馬くん、いるかしら? 管理人のよし子よ。ちょっとお部屋の『設備点検』をさせてもらいに来たわ」

 ドア越しに響く、低くて艶のある声。僕は慌てて寝癖を抑え、シャツのボタンを留めながら玄関へ向かった。

 

「あ、はい! 今開けます!」

 ガチャリ、とドアを開けた瞬間。そこには、昨日のファミレスでの姿以上に攻撃的な色気を放つよし子さんが立っていた。

 今日はタイトなノースリーブのニットに、スリットの深く入ったロングスカート。手にはなぜか、高級そうなワインボトルと、お手製の重箱を持っている。

 

「あら、おはよう。……ふふ、ひどい寝癖ね。可愛いわ」

 よし子さんは僕の返事も待たず、香水の残り香を振りまきながら、スルリと僕の脇をすり抜けて部屋へと上がり込んだ。

「ちょ、よし子さん!? 設備点検って……」

「ええ、そうよ。この部屋の『霊的な設備』が、ちゃんと一馬くんをいじめていないか、大家としてチェックしに来たの。……お菊ちゃん、そこにいるんでしょ? 姿を見せなさいな」

 よし子さんは、お菊さんが隠れている虚空に向かって、妖艶な笑みを投げかけた。


「……バレてるなら、隠れてる必要なんてないわよね! 趣味の悪いおば様!」

 お菊さんが、パチパチと火花を散らすような音と共に姿を現した。彼女はよし子さんの前に立ちふさがり、精一杯の威嚇を込めて頬を膨らませる。

 

「あら、お菊ちゃん。今日もそのハイカラな格好、似合ってるわね。でも、そんなに肩を怒らせると、せっかくの可愛い顔が台無しよ? もっと大人の余裕を持ちなさいな」

「大人の余裕!? あんたみたいに、男の子の部屋に酒とつまみ持って上がり込むのが『大人』なら、私は一生子供で結構よ! 一馬、追い出しなさい! この女、絶対に良からぬことを考えてるわ!」

「まあ、人聞きの悪い。私はただ、慣れない一人暮らしを頑張る一馬くんに、差し入れを持ってきただけよ」

 よし子さんはローテーブルに重箱を広げた。中には、プロが作ったような色鮮やかな煮物や、出し巻き卵、そして高級なローストビーフが詰まっている。

 

「さあ、一馬くん。食べなさい。育ち盛りの男の子が、昨日みたいにコンビニスイーツばかり食べてちゃダメよ。……お菊ちゃんも、匂いだけなら分けてあげるわ」

「なっ……! 匂いだけ!? バカにしてるの!?」

「ふふ、冗談よ。……ほら、一馬くん。あーん、してあげましょうか?」

 よし子さんがローストビーフを箸で持ち上げ、僕の口元に運んでくる。

 至近距離。よし子さんの豊かな胸元が、ニット越しに視界を塞ぐ。昨日、白鳥沙織さんにドキドキしたのとはまた違う、本能が警鐘を鳴らすような、圧倒的な「雌」の迫力。

「……っ!、よし子さん、近いです! 自分でお箸持てますから!」

『一馬、食べたら承知しないわよ! その肉には絶対に、あんたをメロメロにする怪しい薬が盛ってあるわ! 食べたら最後、あんたはこの女の「下僕」にされるのよ!』

 お菊さんが僕の右腕にしがみつき、必死に引き止める。

 左からはよし子さんの芳醇な香りと大人の誘惑、右からはお菊さんの氷のような冷気と必死の嫉妬。

僕の四畳半は、早くも酸素が薄くなっていた。

 その時だった。

 

「おおおお! よし子殿! 我が女神、よし子殿がこちらにおられるのかーー!!」

 ガシャリ!! という轟音と共に、一〇二号室との境界の壁から、武田の顔が(またしても)突き抜けてきた。

 今日の武田は、なぜか兜に「愛」の文字の前立てをつけている。

 

「よし子殿! 昨夜の掌底、まさに雷鳴の如き威力でござった! 拙者、あの衝撃を忘れられず、一晩中腹筋を三万回こなして参った! さあ、今一度、拙者の不甲斐なき頬に『活』を入れてくだされーー!!」

「……あら、武田さん。相変わらず暑苦しいわね。点検中だから、静かにしてて」

 よし子さんは、壁から生えている武田の額を、手に持っていた扇子で「パシッ」と軽く叩いた。

 

「グハッ……! おお……この軽やかな打撃……! 心地よい……心地よすぎるぞーー!! お菊殿、見なされ! これこそが、真の武士の『ご褒美』にござる!」

「……死ねばいいのに、この筋肉ダルマ。あ、もう死んでたわね」

 お菊さんが冷ややかに吐き捨てるが、武田は「ガハハ!」と笑い飛ばし、壁から全身を這い出してきた。

 

「一馬殿! 差し入れとは重畳ちょうじょう! 拙者も一献いっこん、相伴に預かりたい! よし子殿、この武田、酒には目がござらん! 濁酒どぶろくはござらんか!?」

「これはワインよ、武田さん。戦国時代にはなかったかしらね。……はい、一馬くん。武田さんは放っておいて、もっと食べなさい?」

 よし子さんは僕の隣にピタリと腰を下ろすと、僕の肩に手を置いた。その手の温もりが、薄いシャツを通して伝わってくる。


 「……一馬くん。あんた、いい体してるわね。もっと鍛えれば、いい男になるわよ。……私が個人的に、トレーニングの『個人指導』をしてあげてもいいわよ?」

『個人指導!? 何を教える気よ、この泥棒猫ーー!!』

 お菊さんの霊力が爆発し、部屋中の空気が一気にマイナス三十度まで低下した。

 窓ガラスがパキパキと凍りつき、武田の甲冑には霜が降り始める。

 

「ちょ、お菊さん! 冷静に! 凍死する!」

「うるさいわよ! 一馬がこの女に鼻の下伸ばしてるのが悪いのよ! ほら、武田! あんたもなんか言いなさいよ! 自分の『女神』が他の男を誘惑してるのよ!?」

「む。……左様。よし子殿、一馬殿に個人指導をされるのであれば、是非とも拙者も門下生に加えてくだされ! 拙者、よし子殿の指導なら、火の中、水の中、あるいは神社の鳥居の中までも突き進む覚悟でござる!」

「……誰もあんたの話なんてしてないわよ、このポンコツ武士!」

 お菊さんのツッコミも空しく、武田はよし子さんの足元で「ハハーッ!」と平伏している。

 

 よし子さんは、お菊さんの放つ殺人的な冷気を、まるで春のそよ風のように受け流しながら、僕の耳元で囁いた。

 

「ふふ、お菊ちゃん。そんなに怒らなくても、一馬くんは取らないわよ。……今は、ね」

よし子さんは僕の肩から手を離すと、すっくと立ち上がった。

 

「さて、設備点検はこれくらいにしましょうか。一馬くん、残りの料理は全部食べなさいね。……それと」

 彼女は玄関へ向かう途中、不意に振り返って、僕とお菊さんを真っ直ぐに見つめた。

 

「白鳥沙織ちゃん……あの可愛い『視える』女の子。あの子、なかなかいい生気を持ってるわ。……一馬くん、彼女を大切にしなさい。お菊ちゃんも、あの子なら『友達』として認めてあげてもいいんじゃないかしら?」

「……なんであんたが白鳥氏のこと知ってるのよ」

「管理人は何でも知っているのよ。この『ひまわり荘』の平和を守るのが、私の仕事だもの」

 よし子さんはそう言って、最後に僕の頬を指先でツン、と突っついた。

 

「じゃあね、一馬くん。また夜に、点検に来るかもしれないわよ? ……鍵、開けておいてね」

 よし子さんが扉を閉めた後、部屋には高級なワインと料理の匂い、そしてお菊さんの強烈な憤慨が残された。

 

「……何よあの女! 完全に私のこと馬鹿にしてるわ! 一馬、あんたもあんたよ! なんであんなにデレデレしてたのよ!」

「デレデレなんてしてないよ……。圧倒されてただけだって。……あ、武田さん。壁から出てきなよ。よし子さん、もう行ったから」

「……おお。よし子殿……。あの凛とした覇気……。拙者、やはりあの御方に仕えたい! 一馬殿、拙者、明日から管理室の門番を務めてもよろしいか!?」

「勝手にしてくれよ……」

 僕は溜息をつき、よし子さんが置いていったローストビーフを一口食べた。

 ……悔しいが、驚くほど美味しい。

 お菊さんはその様子を、恨めしそうに、けれど少しだけ寂しそうに見つめていた。

 

「……ねぇ、一馬」

「ん?」

「……私のこと、ちゃんと見ててよね。……あんな色気ムンムンの女に、簡単に絆されたりしないでよ。……分かった?」

 お菊さんは僕の膝の上に、透き通った自分の手を重ねた。

 冷たい。氷のような温度。けれど、よし子さんの熱い指先よりも、僕の胸に真っ直ぐ届いたのは、間違いなくこの不器用な幽霊の冷たさだった。

 

「……ああ。分かってるよ。……ほら、お菊さんも匂いだけ嗅ぎなよ。これ、結構旨いぞ」

「……ふん。……しょうがないわね。一口だけ、もらってあげるわ」

 四畳半の部屋に、再び穏やかな(?)時間が流れる。

 だが、一馬は気づいていなかった。

 よし子さんが去り際に残した「夜の点検」という言葉が、ただの冗談ではなかったことを。

 そして、鏡の中の世界で。

 お菊さんの記憶の断片が、よし子さんの放った「生気」に触れて、微かに揺らぎ始めていた。

 

「……一蔵……? ……ううん、違うわ。……一馬……」

 お菊さんの呟きは、武田の「筋肉万歳!」の叫び声にかき消され、秋の気配を帯び始めた風の中に消えていった。

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