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幽霊さんは引っ越したい!  作者: 水上 タクト


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第5話:『隣の部屋は戦国時代? 落ち武者・武田、推して参る!』

 お菊さんとの冷戦状態がようやく解け、四畳半の部屋に平穏が戻ったのも束の間。

 深夜二時。ようやくレポートを書き終え、微かな眠りに落ちようとしていた僕の意識を、到底現代のアパートからは聞こえてくるはずのない異音が引き裂いた。


――ガシャリ、ガシャリ。

 重厚な金属同士が擦れ合い、古い畳を力強く踏みしめるような、鈍く重い地響き。

 

「……ねぇ、一馬。起きてる?」

 押し入れの上に浮かんでいたお菊さんが、かつてないほど不穏な顔で僕の枕元に降りてくる。鮮やかな幾何学模様の着物を翻し、頭に乗せた小さなベレー帽をきゅっと掴む彼女の指先は、幽霊特有の青白い光を放ちながら微かに震えていた。

 

「……さすがにこの音じゃ目が覚めるよ。なんだ、隣の一〇二号室に誰か引っ越してきたのか? こんな時間に荷解きなんて、非常識にも程があるだろ」

「違うわ。生きてる人間の出す音じゃない。この鼻を突くような鉄錆と泥、それから血の匂い……。間違いないわ、新入りよ。それも、相当に『古臭くて暑苦しい』、時代錯誤なやつ!」

 お菊さんがそう断言した、その瞬間だった。

ドンッ!! という、部屋全体が揺れるほどの衝撃。

僕とお菊さんの間の壁から、巨大な「何か」が、物理法則を無視した力任せの勢いで突き抜けてきた。

 

「……無念……。この武田、無念なり……! 本陣まで、あと一歩であったものを……!」

 壁をすり抜け、僕の部屋に巨大な顔を突っ込んできたのは、血の滲んだ鉢巻を巻き、背中や肩に三本ほどの矢が深々と突き刺さった具足ぐそく姿の男――いわゆる「落ち武者」だった。

 

「う、うわあああああああああ!! 出たあああああ!!」

「うるさいわね! 一馬! いちいちお化けに驚かないでくれる?! 私の立場がないじゃない!」

お菊さんが一喝するが、お菊さんは「原宿系の美少女」で、今日のは「血みどろの武士」だ。パニックのレベルが数千倍跳ね上がっている。

 

「……む。おなごの声か。しかも、妙な帽子を被った異国の姫君の……」

 落ち武者は、ゆっくりとその巨体を壁から引き抜き、四畳半の部屋の中央にどっしりと立った。身長は一八〇センチを優に超えている。彼が動くたびに、部屋の中に古い戦場の泥と、生々しい鉄の匂いが立ち込める。

 

「拙者、武田信康たけだ のぶやすと申す。……隣の間に居を構えたばかりゆえ、近隣への挨拶に参った。なにぶん壁の通り抜けと申す術に不慣れでな、少々入り口を間違え、粗相を仕った。この『ひまわり荘』一〇二号室は、今後この武田が差配いたす!」

「……あ、どうも。佐藤一馬です。……って、幽霊の挨拶回りは壁を突き抜けるのが普通なのかよ! そもそも戦国時代から今まで何してたんだよ!」

 武田と名乗った男は、僕の真っ当なツッコミなど気にする風もなく、じっとお菊さんを見つめた。お菊さんは、レースの襟元をきゅっと合わせ、ベレー帽の下からゴミを見るような冷ややかな視線を送る。

 

「……お菊さん。君、こいつと知り合い?」

「失礼なこと言わないで! こんな泥臭い時代遅れ、私のいた頃の原宿にだっていなかったわよ! そもそも私の時代でも『侍』なんて歴史の教科書の中だけだわ!」

 すると、武田はおもむろにその場に膝をつき、重厚な甲冑を「ガシャン!」と激しく鳴らして深々と頭を下げた。畳がその重みでミシリと悲鳴を上げた気がした。

 

「……おお、なんという美しき姫君。この武田、数百年もの暗き彷徨の末、ついに我が魂の女神に出会えたようでござる……! そのハイカラにしてモダンな装い、拙者の朽ち果てたはずの心臓を射抜いた!」

「……はぁ? 何言ってるのよこの槍持った不審者。不潔よ、近寄らないで!」

 お菊さんは露骨に嫌そうな顔をして、僕の背後に隠れた。どうやら、お菊さんの可愛さは時代を数百年のスパンで飛び越えて、戦国武者の心をも撃ち抜いてしまったらしい。

 

『一馬、なんとかして! 私、ああいうガチムチした暑苦しいのはタイプじゃないの! そもそも矢が刺さったままプロポーズしてくるなんて、デリカシーの欠片もないわよ! 私はもっと、珈琲の香りが似合うシュッとした……あ、いや、なんでもないわよ!』

「(最後、何言おうとしたんだよ!)」

 武田はガハハと豪快に笑い、肩に突き刺さった矢を一本、景気良く引き抜いた。抜いた後の穴からは何も出てこなかったが、刺さっていた場所からは微かな煙が立ち上っている。

 

「案ずるな! 拙者、隣の部屋で日々修行に励むゆえ! お菊殿、拙者が極めた『ぷろていん』を共に嗜みませぬか! 筋肉は死してなお、裏切らぬものでござる! さあ、共にスクワットを!」

「だから、プロテインって何よ! 筋肉が裏切らなかったら、なんでそんなに身体中から矢が生えてるのよ! この筋肉お化け!!」

「グハッ……! お菊殿の毒舌……これもまた、心地よき一撃なり!」

 こうして、僕の慎ましい「一人暮らし」は、一人の美少女霊と、一人のストーカー気質な落ち武者に挟まれた、世にも奇妙な「三人(?)暮らし」へと変貌を遂げた。


 翌朝。凄まじい寝不足で隈を作り、フラフラになりながら大学へ向かう道中。案の定、お菊さんはリュックの中の鏡から不満を爆発させていた。

 

『もう、最悪! 武田さんってば、私が鏡に入って寝ようとしてる間もずっと、壁の外から「お菊殿! 拙者の華麗なるすくわっとを見てくだされ!」って叫んでるのよ! 幽霊が筋トレして何になるのよ! 物理干渉の修行だかなんだか知らないけど、厚かましいにも程があるわ!』

「(お前も昨日の白鳥さんのこと言えないだろ……。ていうか、幽霊同士でもそんな会話するのか)」

『一緒にしないでよ! 私は「美」を追求してるの! あんな泥まみれの「筋肉」とは次元が違うわよ!』

「(はいはい……)」

その時。

 

「あ、佐藤くん! おはよう!」

 大学の校門の前。僕を待っていたのは、白鳥さんだった。

 昨日のアイスティー爆破事件で嫌われたかと思っていたが、彼女はむしろ心配そうな顔で、僕に駆け寄ってきた。


 「佐藤くん、昨日、大丈夫だった? 急に帰っちゃったから……。あ、これ。昨日の埋め合わせ、っていうわけじゃないんだけど、お弁当作ってきたんだ。もしよかったら、お昼に一緒に食べない?」

 白鳥さんが恥ずかしそうに差し出したのは、上品な薄ピンクの布に包まれた二段重ねの弁当箱。その瞬間、僕のリュックの中の温度がマイナス二十度まで急降下した。


 『一馬、断りなさい。今すぐ断りなさい。さもないと、今度はこの大学の重厚な正門を粉砕するわよ。……いい? 私を怒らせたら、どうなるか分かってるわよね?』

「(ひ、ひぃ!? お菊さん、霊力を抑えて! 校門が霜で真っ白になり始めてるぞ!)し、白鳥さん。……ありがとう。でも、今日はちょっと先約というか、用事があって……」

「えっ、そうなの? 残念……。あ、もしかして、彼女さんとか?」

 白鳥さんが悪戯っぽく微笑みながら、僕の顔を覗き込んでくる。その目線は何となく後ろを見ている様な……

 次の瞬間、僕の背後――正確には、リュックのすぐ横の空間が、グニャリと歪んだ。

 

「佐藤殿ーー! 弁当とはこれか! この武田、現代の兵糧に興味がござる! いざ、検分仕る!」

「(!?)」

 突然、僕の背後の空気から武田の顔が半分だけ、壁を抜ける時と同じ要領で飛び出した。もちろん白鳥さんには見えないが、彼女は僕の背後から漂う「異常なまでの威圧感」と「戦場の生臭い泥の臭い」に、思わず身を震わせた。


 「……っ、あれ。なんだか、急にすごく寒くなったし、変な匂いが……。鉄の匂いかな? 佐藤くん、後ろに何かいるの?」

「わ、わかった! 食べるよ、食べるから! 白鳥さん、学食のテラスで食べよう! さあ早く、ここから離れよう!」

僕は武田の巨大な顔をリュックで強引に押し込み、白鳥さんの手を取って走り出した。

背後からは、お菊さんの『一馬のバカーー!! 軟弱者ーー!!』という絶叫と、武田の『拙者も参るぞーー! いざ、出陣ーー! 兵糧攻めだーー!』という雄叫びが、同時に脳内に響き渡っていた。


昼休みのテラス。

 白鳥さんの手作り弁当は、驚くほど豪華で美味しかった。彩り豊かな卵焼き、醤油の香ばしい照り焼きチキン、そしてハート型に抜かれたニンジンの乗ったハンバーグ。

 だが、僕の食事環境は文字通り「地獄」だった。

右肩には、嫉妬で氷のような殺気を放つお菊さんが乗り、白鳥さんに向かって「べーっ!」と渾身の変顔を繰り返している。そのたびに僕の右半身が冷え切り、箸を持つ手が震える。

 一方、左肩には、弁当の中身を物珍しそうに覗き込む血まみれの武士・武田が控えている。


 「おお……! これが現代の兵糧か! 俵おにぎりではないのか! 具材がなんとも色鮮やか……。一馬殿、拙者にも一口、一口食わせるのだ! この『はんばあぐ』と申す茶褐色の塊、是非とも賞味したい!」

「(……無理だ。君たちは食べられないだろ。大人しく見てろ)」

白鳥さんは、少し不思議そうな顔で、落ち着かない僕を見た。

「佐藤くん。なんだか……佐藤くんの左右から、青い炎と赤い炎が見える気がするんだけど、気のせいだよね? あと、たまに「ガシャン」って金属音が聞こえるような……」

「……気のせい、だと思う。最近、ちょっと体温が不安定なんだ。自律神経が乱れてるのかも。……(あ、武田さん! 唐揚げに手を突っ込むな! 幽霊成分が混ざるだろ!)」

「むう、無念……! この唐揚げと申す黄金のつぶて、是非とも我が所領に持ち帰りたかった! これがあれば、我が軍の士気も爆上がりであったものを!」

 白鳥さんは、僕が困ったように笑いながら宙に向かって必死に抵抗しているのを「何かと戦っているミステリアスな姿」と呟いている。

 

「ふふ、佐藤くんってやっぱり面白い。……ねぇ、今度の土曜日、空いてるかな? 私、前から行ってみたい『いわく付きの神社』があるんだけど……一緒に行かない? パワースポットで、悪いものをお祓いしてくれるって評判なんだって」

『神社!? 除霊されるわよ! 私を消す気!? 一馬、却下、絶対却下よ!! もし行ったら、あんたの布団の中に毎晩天井から足を垂らしてやるんだから!』

「拙者も神社は苦手でござる! 以前、神主に塩を大量に撒かれ、霊体が塩分過多で三日ほど動けなくなった苦い記憶が……! 拙者の筋肉が、塩に屈するとは屈辱なり!」

 お菊さんの悲鳴と、武田の筋肉理論に基づいた動揺が共鳴し、テーブルの上の割り箸が「バチンッ!」と、凄まじい音を立てて真っ二つに折れた。

 

「ひゃっ!?」

「あ、ごめん、白鳥さん。手が滑ったというか……急に握力が三倍くらいに跳ね上がったというか……」

「……佐藤くん、やっぱりお祓い行った方がいいよ。今、お箸が爆発したよね?」

 一馬の大学生活は、一人の生きたマドンナと、二人の死んだ住人に挟まれ、さらに混沌とした「霊的四角関係(?)」へと突入しようとしていた。

 一〇一号室にお菊さん、一〇二号室に武田。

 僕の安らぎの場であったはずのアパートは、いまや「昭和モダンな女の子」と「戦国のガチムチ武士」が火花を散らす、異界の最前線と化していた。

 

「(……帰りたい。帰って二人を追い出して、静かにフレンチトースト焼きたい……)」

 一馬の心の叫びは、リュックの中から響くお菊さんの罵声と、背後から轟く武田の「いざ出陣!」の雄叫びにかき消されていった。

 夜、アパートに帰宅した僕を待っていたのは、武田が「修行」のために一〇二号室から一〇一号室の壁に貫通させた、巨大な頭部のシルエットだった。

 

「一馬殿、お帰りなさいませ! さあ、共にお菊殿を誘って、深夜のランニング(浮遊)へ参ろうぞ!」

「いい加減にしなさいよ、この矢傷男!!」

 お菊さんのスリッパ(一馬が買ってあげたもの)が武田の顔面にクリーンヒットした。

 ……どうやら、この四畳半の夜は、まだまだ明けそうにない。

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