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第95話 準備③

 両手に大きな紙袋を抱えて、狭い通路を歩く。いかんせん視界が悪い。ここに来る間に階段を踏み外したし、足先が痛い。今も何かを蹴飛ばした気がする。


 さて、7188扉の前まで辿り着いたのは良いが、この状態では開けることができないぞ。体当たりをして気づいてもらう手もあるが、1歩間違えれば、サスペンスドラマの1シーンのようになってしまう。少なくとも、それなりの音にはなるだろうし、他にお客さんがいたら迷惑になるだろう。


 それでは、どうしようか。答えは簡単。他のお客さんの出入りのタイミングを見計らって、体を店内に滑り込ませるのだ。これが俺が導き出した最適解。

 しかし、1つ問題がある。7188が混雑する時間帯はとっくに過ぎているのだ。かんぱねらで美味しく楽しく時間を過ごしてしまったせいなのだが、今更後悔したところで時間は戻ってこない。あれはあれで必要な時間だったのだ。そう思うことにしよう。


 とは、言ったものの、やはりこの荷物を抱えたまま立っているのは辛い。正直なところ1分1秒でも早く座りたい。行儀が悪いのは重々承知で、足先で扉を2回ノックしてみる。耳をすませれば、

店内からジャズが聞こえる。人が近づく気配はない。


 長期戦を覚悟していたところ、誰かが階段を降りてくる音がした。

 これは僥倖。降りてくるのは、常連のママさんグループの誰かか、商店街の寄り合い帰りの誰かさんかもしれない。狭い通路だ。邪魔にならないように壁側に身を寄せておくことにした。

 

 こうして、顔が隠れるほどの荷物を抱えて立っていると、自分がまるで観葉植物になってしまった気がして、なんだか面白くなってきた。


「……扉、開けましょうか?」


 いつの間にやら足音の持ち主が俺の前まで来ていたようだ。観葉植物に話しかけるとは、奇特な人もいるものだ。きっとこの人は徳が高い。


「ありがとうござ……あ、香澄さん」

「あ、なんだ。知った顔だったか。こんなところで何してんの?」

「いや、この荷物でしょ?どうにかして入れないかなって考えてたところなんだけど。……これからバイト?」


 背後から現れるはずがないと思っていた人物の登場に驚くが、驚くほどスムーズに言葉が出てきた。かんぱねらで過ごしたことで、リラックスできたということであれば、2人に感謝しなければならない。


「いや、今日は練習に……どうしたの?」


 不審がるのも無理はない。足繁くここに通っているが、香澄さん目当てで来店する客は、下心のある中高年だけだ。若い男はマスターが追い払ってしまうから、必然的にそうなってしまう。


「……咲良のことで話を聞きたくて」

「咲良?それなら旅行中って話したでしょ?」


 その言葉が正しいものではないことを俺は知っている。そして、今日は誤魔化されない。彼女の視線と表情が、この話題から逃れたいことを物語っていたからだ。


「ふぅ……とりあえず中入ろっか」


 観念したように彼女がそう言って、7188の扉を開けた。

 俺と香澄さんの共通の話題と言えば1つだけ。このタイミングで尋ねたことで、ある程度察しはついているのだろう。



 入店した香澄さんと俺は、最近の指定席だったカウンターではなく、お店自慢のスピーカーから離れた人気のない席へ座った。ここであれば、周りの人に会話を聞かれることはない。彼女なりの配慮だ。


「はい、いつものコーヒー。時間になったらクローズの看板にしておくから、ゆっくりどうぞ。それでは、ごゆっくり〜」


 マスターにも気を遣わせてしまった。香澄さんがバツが悪い顔をしているのが気になったのだろう。

 俺も香澄さんがそんな顔をしなければ、コーヒーを飲みながら笑って出発報告をするだけで済んだのに。


「それにしても凄い荷物だね。バーゲンかなんかの帰り?」

「実家に帰るから、そのお土産ってところ。予想の5倍くらいになっちゃったけどね」

「あ、そうなんだ……。宮城に帰ることにしたんだ。どこまで知ってるの?その様子だと、旅行じゃないってことは分かっちゃったんだよね」


 その問いに対して、俺は言葉を発しない。香澄さんが確認的な意味合いで口にした言葉だと思ったからだ。それを証明するかのように、香澄さんは数秒間を置いて先ほど同様にため息をついた。


「咲良から聞いた……って顔じゃないね。そうだったら、私のところに来るはずもないか」

「どうして、旅行に行ったなんて嘘を?」

「だって、あの時の顔ったら酷いってもんじゃなかったよ?なんとかしてあげようって思ったんだけど、余計なお世話だったみたいね」

 

 香澄さんが咲良に頼まれて本当のことを話さなかったことは本当のことなのだろう。俺のためを思って、その言葉をかけてくれたのは彼女なりの優しさだということも理解はしているつもりだ。


「そのことを責めるつもりはないんだ。……助かった部分もあったのは確かだし。今日は、香澄さんに聞きたいことがあって来たんだ」

「……なに?」


 身構えられるのは百も承知だ。それでも、俺は彼女に聞かなければならない。


「香澄さんは、それで良いの?」


 香澄さんの目をまっすぐ見据えて問う。

 咲良と香澄さんの仲は俺よりも長い。俺には教えてくれなかったことを伝えていることからしても、信頼関係が築けていることが分かる。咲良にとって親友と呼べる人なのかもしれない。

 そんな香澄さんが、咲良が不条理な話に素直に頷くとは到底思えなかった。


「……良いわけないじゃない」


 しばし間を置いて、膝の上に固く握られた拳を見つめながら彼女はそう言った。絞り出すような声で、その先の言葉が続けられないほど辛そうに見えた。


「……分かった。それだけ聞ければ十分だよ。ありがとう」


 俺は荷物をまとめて席を立つ。

 紅麗奈さんが言っていたことが裏付けされてしまったのは、残念だが、俺のやることは変わらない。香澄さんに背中を押してもらったような気分だ。


「おや?もう帰るの?」

「実家に帰るための荷造りが途中でして。コーヒー残してしまってごめんなさい。こっちに戻ってきたら、また来ますね」

「それは構わないけど、気を付けてね。今度は、咲良ちゃんとおいで。待ってるから」

「はい、ありがとうございます」


 マスターが扉を開けてくれたため、今度はすんなりと薄暗い通路に足を踏み出す。

 マスターが俺と咲良の現状を香澄さんから聞いていたかは分からない。彼女の性格的に話すということは考え難いが、今の俺に発破をかける言葉として、これ以上のものはないだろう。

 

 階段の先から見える外は夜だ。しかし、暗闇の中でいくつもの光が輝いている。進めば見える景色が変わるのだ。


 階段の中頃まで進んだところで、シャツの裾を引っ張られ、足を止める。俺は振り返らない。鼻をすする音がしたから、そうすべきではないと思ったのだ。


「……さ、咲良を……お願い」

「良い知らせができるように頑張ってみるよ」


 そして、また歩み始める。


 道行く人たちには、俺の悩みなんて1ミリも伝わらないし、理解もされない。そのことで無性に腹がたっていたが、それはもう良い。

 俺の勘違いでも良い。咲良に会って話したい。今はそれだけだ。

 次回更新は、1月6日(金)の予定です。

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