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第94話 準備②

 講義が終わり、望達と別れた俺は商店街を目指して正門を出た。あの日ここで撮った写真は、今は見返すことが出来ない。全て終わった後にその行く末は決まるのだ。


 商店街へ向かう下り坂の街路樹は、まだ青い。地元の山々は色づき始めた頃だろうか。道すがらすれ違う人達から聞こえる恋愛話など気にも止めずに俺は1人歩いた。


 相変わらずこの時間の商店街は混んでいる。帰宅途中のサラリーマンに学校帰りの学生。買い物袋を下げた男女が早足で通り過ぎていく。

 いつもであれば人間観察に興じるのだが、今の俺にその余裕はなかった。ただひたすらに正面を向いて、目的地を目指す。そのはずだった。


 道の端を歩いている最中、いきなり肩を叩かれたのだ。しかし、それは殴打というにはあまりにも優しい。どこの誰だか知らないが、俺に触ると火傷するぜ。

 訝しんで振り返るとそこには中年の女性がいた。かんぱねらのおばちゃんである。


「なに怖い顔して歩ってるんだい?」

「いえ、特に何もないんですけど……」

「そうかいそうかい。あんまり般若さんみたいな顔してると幸せが逃げてくよ」

「ははは、そうですね……」


 絶賛逃げられている身からすれば、これ以上ないクリティカルヒット。女の感ってやつなんだろうか。


「ちょっと家に来てもらえないかい?渡したいものがあるんだ」

「い、いやぁ、これから行く所があって……」

「時間は取らせないよ。すぐ終わるから。ちょっとだけ、ちょっとだけ」


 この場面だけ切り取れば、怪しげな勧誘に引っかかった男子大学生の哀れな図である。


「あ、そうだ」

「な、なんですか?」

「ちょっとだけ、あの人機嫌悪いかもしれないけど気にしないでね」

「尚のこと行きたくないんですけど……」

「まぁまぁ、人助けだと思ってさ。ほら、行くよ」


 逃げ出そうにも既に両肩をロックされて、身動きが取れない。この状況で断ったとしても連行されることは確定事項だ。

 俺の一瞬の隙をついて背後に回ったおばちゃんが背中を押して歩き始めたところで、抵抗する気力は既に失われていた。



 この街において、自室、大学、バイト先の次に訪れた場所は間違いなくこの場所だろう。直に7188になる気もするが、それはもう少し先の話になるだろう。


 おばちゃんとは入口近くで別れて、お馴染みのかんぱねらへ入店した。おやっさんの機嫌が悪いという事前情報がなければ、気負いせずに入れたと思うが、耳に入ってしまった以上、覚悟を決めるしかない。


「おう、久しぶりだな」


 店に客はおらず、おやっさんがつまらなそうな顔をして立っていた。おばちゃんの言うとおり、今日のおやっさんはご機嫌斜め。顔にそう書いてある。


「お久しぶりです。え、えーっと、お元気そうですね」

「まだ耄碌(もうろく)するような歳じゃねぇよ。阿呆なこと言ってないで、大人しくそこにでも座ってろ」

「あ、はい」


 道すがらおばちゃんに聞いた話では、機嫌が悪いのは今日に限ったことじゃないらしい。どうやら、その原因は夏祭りのあの日にあるようだ。

 あの日、着付けを終えた俺は店を通ることなく会場へ向かった。浴衣姿をおやっさんに見せなかったことが、不義理だということらしい。

 そのことについては弁明の余地はない。ここは大人しく座らせてもらおう。男の浴衣姿なんて見ても楽しくないと思うんだかな。


「ほらよ」

「……ありがとうございます」


 ぶっきらぼうに置かれるお茶とお菓子。一応、歓迎してくれているという認識で良いのだろうか。


「あれ、これって」


 緑茶と共に出されたのはカラフルで可愛らしい何か。クッキーともマカロンとも似つかないそれは、お菓子だと思うのだが、和菓子と呼ぶには余りにもポップな色をしていた。


「それね、新商品の試作品なのよ。清隆に食べて欲しいんだって」


 奥から割烹着を着たおばちゃんが出てくると、そう説明してくれた。

 パステルカラーのお菓子は、猫やパンダといった動物を模したものの他にサッカーボールやバットの物や音符の形をした物もあった。改めて見ると色はサブカル好きが好みそうだが、形が古い。ひと世代前の型で繰り抜いたような印象を受ける。


「おやっさん、いただいても良いんですか?」


 嫌味のひとつでも言われると思っていたところに新商品の提供。これは感想を求められているという解釈で合っているのか。

 肝心のおやっさんは沈黙したまま窓の外を見ている。困り果てた俺は、おばちゃんにSOSのアイコンタクトを送った。


 おばちゃんは、やれやれと軽くため息を吐くとつかつかとおやっさんの背後に回って、その背中をバチーンと手のひらで叩きつけた。


「いてーな!何すんだ!」

「いつまで不貞腐れてるの?清隆が困ってるじゃないか」

「うるせー!お前は黙ってろ!」

「あはは……」

 

 いつも仲良し夫婦だが、今日ばかりはおやっさんの意地が勝っているようだ。おぼちゃんの話が本当であれば、この状況の原因は俺の行動にあるため、非常に肩身が狭い。


 現実から逃れるようにお菓子に手を伸ばし、口に放り込んだ。奥歯で噛み砕くと、優しい甘味が口の中に広がる。なるほど、見てくれは変わっているが落雁だ。これがまた渋いお茶に良く合う。


「おやっさん、これ美味しいよ……見た目はちょっと変わってるけど」

「ほら、清隆が誉めてくれているよ」

「……ありがとよ」


 これがジジデレか。おやっさんの作るお菓子は、どれも一級品で飽きを感じさせない。こうした変わり種で合っても味に妥協はないのだ。

 気付けば、あれだけあったお菓子もほとんど平らげてしまっていた。その様子を見て、かんぱねらの夫婦は満足そうな笑みを浮かべるのだ。


 こうした空間にいると心に余裕が生まれる。凝り固まったそれがほぐれていく。しばらく実家に帰っていないからなのか、その姿が両親に重なって故郷が恋しくなる。父さん母さん元気かなぁ。荷造りは帰ってからやるとして、何か忘れているような……。ぼんやりと浮かんでは、消える。

 お返しじゃなくて、贈答品じゃなくて、あ、アレだ。店内に貼られていたチラシを見て、頭の中にそのワードがはっきりと浮かび上がる。


「しまった。お土産買うの忘れてた」

「なんだぁ?どこかに旅行でも行ったのか?」

「いや、逆なんです。明日あたり久しぶりに実家に帰ることにしたんですけど、手土産でもあった方が良いかなって」

「あらー。親孝行だこと。双葉ちゃんも喜ぶわ」

「よっしゃ!そういうことなら俺に任せとけ。帰る時まで準備してやっから、茶のお代わりでも飲んで待ってろ」

 

 そう言っておやっさんが店の奥へ行くのを見て、おばちゃんは笑っていた。お盆の上にはお茶の入った急須と、菓子盆。そして、おそらく自分の分であろう湯呑み茶碗が置かれている。


「ふふ、不器用な人でごめんね」

「ありがたいですけどね」

「あ、そうそう、これね、清隆がこの間持ってきてくれた双葉ちゃんからのお菓子。2人じゃ食べ切れないから一緒に食べましょ」


 テーブルに向かい合わせになるようにおばちゃんが座る。これは長くなりそうだ。

 今日、用事済ませられるかなぁ……。



 次回更新は、1月3日(火)の予定です。

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