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第89話 黒猫③

「じゃあ、とりますよ。3、2、1……」


 これで、スマホに俺と紅麗奈さんが写し出された画像データが格納されたはずだ。紅麗奈さんが、満足そうにそのデータを確認しているから、お互いに変な顔はしないで撮れたようだ。


「ありがとうございました」

「いえいえ、では、私はこれで」


 見知らぬ来場者にお礼を言うと、一礼してすぐに去ってしまった。あの人は写真撮らなくて良かったのだろうか。一緒に撮影した錦君と小巻ちゃんの等身大フィギュアの完成度の高さはネット上でも注目されていると言うのに。


 ここは、原画展の外に展示されている誰でもみることができるブースだ。展示物を十分に堪能した俺達は、ここで最後の1滴まで搾り取ろうとしていたのだ。

 あの後も次々に出てくる名シーンの原画に俺達は興奮しっぱなし。作品を読んだことがなくても、分かるようなものがゴロゴロあって、俺のようなにわかファンでも楽しめた。もっとも、紅麗奈さんの解説がちょこちょこ入ったおかげかもしれないが。その情熱は咲良に負けず劣らずだった。


 そして、そんな会場内と打って変わって、現在の俺達の口数は減っている。別に喧嘩したわけではない。これには理由がある。


「原画展良かった……」


 等身大フィギュアを遠巻きに見ながら、誰に言われるでもなく、自然と口からこぼれた感想だ。


「うん……良かったとしか表現できないけど良かったね」


 どうやら、紅麗奈さんも同じ状態らしい。原画が持つ力にあてられたのか、語彙力が消失してしまった。ただただ良かったと繰り返すマシーンに慣れ果てたが悲観はしていない。周りにも同じような人達が沢山いるからだ。


「やっぱりサンオコのアレが良かった」

「アレね。あそこはアニメの演出も最高だったけど、漫画版には勝てなかったところだね。あのシーンに至るまでのカタルシスは同じだし、音楽の効果もあるんだろうけど、やっぱり絵の迫力なのかなぁ」

「なるほどな。原画の迫力ったら凄まじかったから、心に残る名シーンってやつ?アレは記憶に残るわ」


 今話に上がっているのは、サンオコの名シーンとして名高い小巻が錦を優しく抱き締める場面だ。

 農業の奥深さに実習が上手くいかず農機具倉庫で悩む錦を、小巻が泥だらけの作業着で汚れることをいとわず抱き締めるのだ。

 

 錦の葛藤、小巻の愛情、その空気感がひしひしと伝わってくる原画に今一度思いを馳せる。

 その後、どちらが促す訳でもなく、俺達は会場を後にしてエレベーターへ向かった。


 幸い、エレベーターはすぐにやって来て、紅麗奈さんと乗り込む。

 さて、これからどうしたものか。あわよくば、まだこの余韻に浸っていたい。きっと彼女も同じ気持ちだろう。

 そんなことをぼんやり考えて、エレベーターの中の広告を見ていると、気になる物が目に入った。


 コラボカフェ。ここから割と近い。歩いてもいけそうな距離だ。


「ねぇ、紅麗奈さん。この後って時間ある?」

「あら?もう帰ろうと思ってたの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど。あれあれ」

「コラボカフェ?」

「そう、コラボカフェ。せっかくだしさ、行ってみない?」

「うーん……素敵なんだけどね。うーん」


 即答されるかと思いきや歯切れの悪い回答。あれだけ満喫したような雰囲気だったのに、コラボカフェは好きではないのだろうか。やはり、お洒落なカフェや趣のある喫茶店をリサーチしておくべきだったか。


「あのね。カフェの後で良いから、ちょっとだけ付き合って欲しいんだ。見てもらいたいものがあるの」

「いいけど?見てもらいたいものって?話しぶりからすると、ここにはなさそうだけど」

「うん。少し……じゃないか。歩くことになるけど大丈夫?」

「おーけーおーけー。まだまだ中村先生のこと教えて欲しいし、どこまでも着いていくよ」

「あれれ?原画展に誘うくらいだから、きーくんもそれなりに詳しいものだと思ってた」

「今日の様子を見てたら分かるだろ?ってか、分かってて聞いてるだろ?これからファンになる男なんだよ。俺は。」

「そんなこと言って、調子良いんだから」


 エレベーターの扉が開き、最下階に到着したことを教えてくれる。

 そのまま建物の外へ出ると、まだ日が高い。濃い体験をしたから、かなり時間が経った気がしていたが、そうでもないようだ。


「ちょっと待ってもらって良い?場所の確認しないと」


 いったん立ち止まり、コラボカフェの位置を確認しようとスマホを取り出す。男子たるものエスコートしなければ、という思いからの行動だったが、そんな俺の様子を見て紅麗奈さんの口角が上がっていた。


「ねぇねぇ。私のこと頼っても良いんだよ?」

「あ、そうか。紅麗奈さんのホームグラウンドだったか」

「私だって、この街はそれなりに長くなったんだよ。そんなアプリに頼らなくたって、楽しいおしゃべりしている間に着いちゃうんだから」

「楽しいおしゃべりかは置いておいて、ここは頼らせてもらおうかな」

「ひと言多いよー。そんなこと言ったら案内したあげないんだからね!」


 そんなことを口で言いながらも、体はしっかりとコラボカフェがある方向に向かって歩き出している。

 迷いなく歩く姿を見れば、紅麗奈さんも俺同様に自分が暮らす街に根を下ろしていることが分かる。


 きっと彼女にもこの街で出会った人が大勢いて、この街の良さも沢山知っているのだろう。

 そう思うと無造作に乱立しているビル群も宝石のように輝いて見えてくるから不思議だ。


「コラボカフェ楽しみだなぁ。さっきの広告には、サンオコとステハネとプリサイのキャラが描いてたけど、これってグッズも期待出来るよね!」

「うん。そうだね。そこにしかないオリジナルなやつとか、フードとか頼まないと貰えないやつとかありそう」

「だよねだよね!」


 先ほどのやり取りを忘れたのか、楽しげな会話を始めた紅麗奈さんに親近感を感じ始めていた。

 次回更新は、12月21日(水)の予定です。

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