第78話 噂の美人④
「いらっしゃいませ」
階段を上って、店内に入った俺達を高齢の女性店主が出迎えてくれる。一瞬目を丸くされたが、気が付かなかったことにしよう。
いつものクリームソーダを2つ頼んで、通路側の席へ座った。観葉植物によって入口からは死角になっている。意図して選んだ訳ではない。咲良と一緒に座った窓際の席を選ぶのは、違う気がしただけだ。
「こんな素敵なお店がこんなところにあったんだ。きーくん良く知ってたね」
「こっちに来た時に偶然テレビでね。クリームソーダが絶品でさ」
「そうなんだ。楽しみだなぁ」
紅麗奈さんは、レトロなソファーが珍しいのか、仕切りにクッションを撫でて観察している。こういうものが趣味なのかもしれない。
「はい、お待たせしました。クリームソーダが2つね。どうぞ、ごゆっくり」
深みのある笑みを浮かべて店主は去っていった。俺の浅はかな考えが見透かされているような気分になる。そんな気持ちが顔に出ていたか不安になったが、紅麗奈さんがクリームソーダに目を奪われている様子を見て、妙に安堵してしまうのだった。
「それにしても、今日は突然どうしたの?なんかあった?」
「なんにもないよ?言ったでしょ。私はきーくんに会いたかっただけ」
「俺の実家の隣にまた入る予定なんだろ?隣同士なら、盆暮正月のどっかで会えるだろ」
「あれー?おかしいなぁ。先生が誰かさんが帰ってこないって嘆いてたんだけどなぁ」
「ぐぬぬ……」
大学生になってから実家に帰ったのは、1年生の正月までだったと思う。ここから宮城県に帰るまでの運賃を考えると、ハロファクのために使いたいというのが始まりだった。
不思議なもので、1度帰らないと帰りづらくなるのだ。親から言わせれば、「交通費くらい出すから顔を見せろ」となるのだろうが、バイトでそれなりのお金をいただいている身としては、それすら申し訳なく感じるのだ。
「俺は良いんだよ。実家に帰ってもやることないし、こっちにいれば、何かしらイベントあるしさ」
もちろんイベントとは、ハロファク絡みである。流通網が発達したおかげで、地方でもグッツや特典がついたCDはタイムラグなく手に入るようになった。しかしながら、リアルイベントとなると天と地の差があるのが現実だ。
「それは分かるかも。お母さんもそんなこと言ってたよ。美術館に行けなくなるとかって。私は興味ないから別に良いんだけど」
「そんなこと言ってると、お母さん泣いちゃうぞ?」
「だって、微塵も興味ないんだもの。私にとっては、大きい図書館が無い方が問題!本屋さんも小さい所しかないし」
「本屋はほんとないな。図書館はボロばっかだし」
「でしょー?この間帰った時、昔と何にも変わってなくて驚いちゃった」
実家から1番近い図書館は、親が小さい頃に建てられたものだという。蔵書も古い物が多く、埃を被ったお宝も多いとか何とか。
本屋も町場の個人商店が1店舗のみ。紅麗奈さんのおばあさんが住む隣町に行けば全国展開の本屋があるが、地方故にお世辞にも品揃えが良いとは言えない。
「あーあ。ここもそれなりだけど、大阪は便利だったなぁ」
「なんでまた、そっから宮城に戻ってきたんだよ?そっちの方が楽しかったろ?」
「だって、きーくんに会いたかったから」
俺の目を見据えて、淀みなく動く薄い唇。その瞳の奥には、何を隠しているのか。訓練を積んでいない男なら、今のひと言でノックアウトされていただろう。
俺?俺はハロファクのメンバーが声をかけてくれる動画を常日頃見ているから堪えられた。堪えられたが、タオルが投げ込まれる寸前だ。
「そ、そんなことより、紅麗奈さんはこの辺り良く来るの?隣町の大学に通っているんでしょ?」
「そーやって、困った時に話を変えようとするところ、昔から変わらないなぁ。まぁいいけど」
タジタジのジタジタだ。手の内が読まれているようで、非常にやりにくい。
「この辺りはちょこちょこ来てるよ。友達も住んでるしね。つい最近もすぐそこの猫カフェに行ったんだ」
「俺もそこ行ったよ。みんな可愛かったなぁ。紅麗奈さんが行った時には、黒猫いた?」
「黒猫?」
「そう黒猫。真っ黒で顔が大きくて可愛いってよりは、強そう!って感じの可愛い猫」
「それって結局どっち?でも、私が行った時には、黒猫ちゃんはいなかったかなぁ。黒い毛が混ざっている子はいたけど」
「そっか……。凄い懐いてくれて可愛かったんだけど、誰かが引き取ったのかなぁ。可愛いから仕方ないのは分かるけど、会えなくなるのは寂しいな」
あそこの猫カフェで働いている猫は保護猫だ。お客さんの中で、引き取り手が現れたら、次の居場所へ行ってしまう。出会いは一期一会なのだ。
「その子のこと飼いたかったんだ」
「どうだろう……。今住んでるところペット不可だし、実家だと父さんが猫ダメでさ。社会人になってたら違ったんだろうけど。タイミングだよね。こういうのってさ」
「タイミングかぁ」
紅麗奈さんはその言葉を反芻しつつ、クリームソーダに手伸ばした。そして、ストローで綺麗な緑色のそれを飲んで「美味しい」と独り言のように言った。
無言の時間。外を走る車の音が聞こえる。俺は水滴が浮かんだグラスに手を伸ばし、アイスクリームを口にした。冷たい物を食べるには少し寒い時期になってきた。
紅麗奈さんはグラスにささったストローを細い指でいじっている。折れ曲がった先端から、水滴がテーブルに落ちて広がった。それを合図にして紅麗奈さんが口を開いた。
「ねぇ、きーくん」
「ん?」
「デートしよっか」
グラスに入った液体がほとんどなくなった頃、切れ長な目をした美人がそう言った。
次回更新は、11月14日(月)の予定です。




