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第55話 夢の続き③

「ほんといろいろやってきたなぁ。高校卒業して、まずやったのは郵便局員だったっけ。雨の日も風の日も郵便物を届けてさ。暑い日には冷たいお茶をくれる人もいて、なかなか楽しかった」

「おー!それで今みたいな接客の仕事に興味を持ったんですね!」

「いんや。それはない。クソみたいなクレーマーもいて、それが嫌になって辞めた」


 きっぱりと言い切るマスター。その姿勢は見習いたい。腕組みをして天井を見ながら唸っている。


「その次は何だったかなぁ。最初はよく覚えているけど、そっから先の順番がちょっとあやふや」

「おいおい、履歴書に書く機会は山ほどあったろうが」

「最後に書いたのはいつになるのかなぁ……」


 7188の店主はマスターだから、履歴書を書く機会はなかったらしい。少なくとも数年間は過去の経歴を整理していないことになる。そうであれば、記憶がはっきりしないことにも頷ける。俺も昨日の晩御飯が思い出せないことが多々ある。


「土木作業員もやったし、寿司屋、証券マン、プログラマー、美容師見習いにアイスクリーム屋もやったぞ」

「随分と節操ないやっちゃなぁ」


 おやっさんが呆れ顔でコーヒーを音を立てて啜った。カップも鷲掴みだ。彼に取っては湯呑みもコーヒーカップも同じものらしい。

 確かにマスターの経歴に統一感はない。おやっさんの言うとおり、目に付いた職業を手当たり次第にやってみたような感じだ。うーん。謎の職業人。


「いろいろやった俺でも、最後にはこうして自分の店を構えて4年目。人生って分からないもんだ」

「喫茶店をやろうと思ったきっかけは何だったんですか?別にラーメンでも焼鳥でもブティックでも良かったと思うんですけど」

「まぁ……死んだ女友達の影響なんだろうな。その子の夢だったものを俺が代わりに叶えてやったってだけ」

「好きだったんですか?」

「好きだったよ。ただ、LOVEじゃなくてLIKEの方だけどな。そっからいろいろあって彼女がやるはずだった店を俺がやってるってわけ……ちょっと話しすぎたな」


 昔を懐かしむようにグラスを拭くマスター。その瞳の奥には、何が写っているのか。グラスを棚に置くとわざとらしい咳払いを1つ。


「この話しはここでおしまい!ガキンチョどもにはまだ早い」

「俺はガキじゃねーぞ」

「立花さんにも刺激が強すぎるかもしれません」

「んなわけあるかい!ったく……先代のひげもじゃはもうちょっと可愛げがあったぞ」

「今はもう髭はないですよ。ちなみに頭の方も」

「え!?あんなにフサフサだったのに……俺も気をつけるべきか」


 誰にだって深入りされたくない過去はあるものだ。もしかするとコーヒーの味は、その女性の好みなのだろうか。マスターがこの店を守る理由にもなっているのだろう。

 

 様々な職を経験したマスターが腰を据えることになった背景は、おいそれと他人に話せるものではなかったようだ。それが語られる日は来るのか。おそらく、それを聞けるのは俺たちではないのだろう。マスターのことを傍で支える誰かだ。


 おやっさんがしきりに自分の頭を触って溜息をついていたが、マスターにウエハースをあてがわれるとすぐに機嫌が戻った。なんとも単純である。なんでも髪の栄養補給になるからだそうだ。本当か?


「でも、マスターも立花さんも夢を実現させたんですね。それって素敵なことだと思います」


 咲良の言うとおりだ。おやっさんは家の事情があったにせよ、和菓子職人になるための修行は生半可なものではなかったはずだ。あの造形と味は、一朝一夕では身に付かないものだと断言できる。

 マスターにしてもそうだ。この店を見れば、1つ1つをこだわり抜いて7188という空間を作っていることが分かる。家具類は年数が経ち丸みを帯びている物が多い。食器類も今ではあまりお目にかかれないような形で、人によっては懐かしさを感じるだろう。そして、それらはしっかりと手入れが行き届いている。始まりは人の夢だったのかもしれないが、情熱がなければここまでの店を維持することも難しいはずだ。


 2人は悪い気はしていないようで、照れ臭さそうに笑っている。俺は、そんな様子を見て羨ましと感じた。2人は長年付き合える仕事を見つけた。では、俺はどうだ。何がしたいのか、それすらも分からない。口数が多くなっていく大人組と違い、俺は1人で内なる心と向き合うのだった。

 

「いけね!もうこんな時間か。母ちゃんに怒られちまう。マスターここに代金置いておくぞ!」


 おやっさんがお代わりしたコーヒーがなくなる頃、左手に付けられた高そうな腕時計を見て、慌てて残りを飲み干した。おしゃべりに夢中で温くなったコーヒーは、すんなりと彼のお腹へ納まった。


「はい、丁度お預かりします。廊下濡れてると思うので、お気をつけて」

「また来るよ。それじゃ清隆達もまた店に来るんだぞ。サービスしてやっからな!」

「あ、ありがと――」


 おやっさんはそう言い残すと、俺達の言葉を聞く前にビニール袋を抱えて走って出て行ってしまった。あの反応だけで、おばちゃんとの力関係が分かる。意外と尻に敷かれているのか。

 遠くで靴底が擦れる音が聞こえたが、おそらく気のせいだろう。そういうことにしておこう。

 次回更新は9月23日(金)更新の予定です。

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