第49話 ノワール①
スマホが振動している。夏休みだというのにアラームの設定を解除していなかったなんて、不覚の至り。
明け方まで飲み明かしていたから、まだ寝ていたい。そんなささやかな願いすら許してもらえないなんて、やはり現実とは厳しいものなのか。
酒が残る重い体を引きずってスマホを手に取る。アラームの設定を変えようと画面を覗くと、そこに表示されていたのは久しぶりの母さんからの着信表示だった。
「もしもし……ふぁあ」
『もしかして今起きたの?夏休みだからって弛んでるんじゃない?もうお昼なんだけど』
寝起き1発目の発生には欠伸が付き物だ。いささかだらしないとは思うが、電話の相手が親なら気を使わなくても良いだろう。外を見ると既に日が高い。起きるには遅い時間だが、睡眠時間としてはそんなに長いものではないから許して欲しい。
「朝まで友達と飲んでたんだよ。休みだし別に良いべ」
『お友達ってまさか女の子!?紹介しなさい!』
「残念なことに男だよ。本当に残念なことにね」
テレビの前で大我は未だに寝息をたてている。これが咲良だとしたら、母さんからの問いに冷静に答えられるはずがない。なんなら電話に出なかったかも。
「それで何の用なのさ?」
『何のってことないでしょうが。今年の夏も帰ってこないつもりなの?』
「あー」
毎年、実家までの交通費が惜しくてバイト三昧。もちろん今年もその予定だ。この時期は休む人も多くてシフトに入りやすい。ハロファクも夏にイベントが多いから、その資金を貯めるには都合が良いのだ。
『その反応……今年も帰ってこないつもりなのね!?』
「別に良いじゃん。その感じだと母さんも元気そうだしさ。もうバイトの予定入れちゃったよ」
『はぁ……たまには電話よこしなさいよ。父さんも寂しがってるから』
「へいへい。そのうちね。あっそうだ。いつも送ってくれる鯖の缶詰。あれって高いやつだったんだな。ありがと。」
『あ、そうなんだ。同じ会社に勤めている人の旦那さんが、あれを作ってる会社に勤めているらしくていただくことが多いんだけど、ほら、父さんって青魚苦手じゃない?今度後藤さんにお礼言っておかなきゃねぇ』
「……そういうことなのね」
親の愛情かと思いきや。まさかの在庫処分。美味しかったから今後もありがたく受け取るけど、なんだか複雑な気持ち。
久しぶりの親との電話は照れ臭い。実家から離れたことで経験できることも多くあるが、間違いなく親子の接点は減った。それが良いか悪いかは見る視点によって変わるものなのだろう。
『とりあえず元気そうで安心したわ。久しぶりにくーちゃんも帰って来てるから気が変わったら連絡ちょうだい』
「へいへーい……ん?くーちゃんって誰?」
『誰ってあんた……加藤紅麗奈ちゃんでしょ。覚えてないの?ほら、昔、隣に住んでいた』
「あー。歌が下手なあの子か。そんな名前だったっけ?」
『そんなことばっかり覚えてて名前は分からないなんて薄情な子ねぇ……』
「母さんと違って、そんなに関わりなかったから仕方ないじゃん」
『えー。そうだっけ?お別れの日なんか楽しそうに話してたと思ったけど』
その女の子は、実家の隣に住んでいたものの親の都合で、母さんが勤めていた隣の学区の小学校に通っていたはずだ。そのため、俺との接点はほぼなし。代わりに母さんは数年間びっちり付き合いがあったはずだから、思い出の差が生じるのは仕方がないことなのだ。
「母さんに促されて、なんかプレゼントと手紙を渡したような気がする……あれっ?あの家って空家じゃなかった?あそこにいんの?」
『まっさかー。隣町のおばあちゃんの家よ。でも、また仕事の都合でこっちに来ることが増えそうだから、日中は片付けに来てるの。家にも挨拶に来てびっくりしちゃった。くーちゃんったら美人さんになってさー』
正直、くーちゃんとやらの顔も思い出せていないが、美人というワードには魅かれるものがある。しかし、こっちが思い出せないくらいの関係だ。向こうも俺のことなど隣に住んだいた子どもくらいの認識に違いない。わざわざ実家に帰るほどのことではないだろう。
『ま、そういうことだから。可愛い幼馴染もいることだし、気が変わったら連絡してちょうだい。駅くらいまでなら迎えに行くから』
「あんがと。でも、さっきも言ったとおり、もう予定があるからさ。年末年始には帰るよ」
『まったく……。じゃあ体には気をつけなさいよ』
「分かってるって。それじゃ切るよ」
幼馴染のくーちゃん。その言葉を胸に刻み込んで、いつか訪れるであろう再会に備えることにした。仮に向こうだけが覚えていたら気まずいったらありゃしない。それだけは避けたいところだ。
何はともあれ母さんが元気そうで良かった。気兼ねなくバイトに勤しむことができるな!
「んぁ……おはよ」
「あ、起こしちゃった?母親から電話来ちゃってさ」
「いや、ごめん。すっかり寝ちゃったよ」
遅いお目覚めの大我は欠伸した後に右手で後頭部をぼりぼりと掻いた。同じ体勢で寝ていたのかすっかり寝癖がついてしまっている。
「大我は実家に帰るのか?」
「ん?来週からしばらく帰ろうと思ってるよ。向こうに待ってる人もいるし。なんで?」
「いや、なんとなく」
「……?」
無意識の罪悪感から実家に帰らない仲間を見つけたかったのかもしれない。そのことに気付くと無性に実家に帰りたくなったが、母さんにああ言った手前、今更帰るとは言えない。今年の夏もスワンポートに捧げることとしよう。
自分の言動に少し後悔していると腹の虫が騒ぎ出した。昨夜もそれなりに食べたはずなのだが、俺の体はご飯の時間にはきっちり空腹になるらしい。
「ご飯どうする?外に食べに行くか?缶詰も飽きたし」
「んあ?せっかくだけど明日からゼミの合宿もあるし帰るよ。全然準備してないし」
「そっか。じゃあこれ持ってけ。鯖の味噌煮、好きだろ?」
「しばらくはいいかなぁ……でも、サンキュー」
昨日、望と大我が買い込んだ缶詰の余りをいくつか袋に入れて渡す。大我はそれを受け取ると帰っていった。
あれだけ賑やかだった部屋に1人残される俺。この状態が1番自然なのに、線香花火が消えた時のような気持ちになるのはなぜなのだろう。
そんな思いにふけているとまたスマホが振動し始めた。また電話らしい。母さんが諦めきれずに電話を寄越したのだろうか。そうであれば仕方がないから、帰省するのもやぶさかではない。
飛びついたスマホの画面は、咲良からの着信を告げていた。
次回更新は9月5日(月)の予定です。




