第39話 1歩ずつ③
初対面の男が咲良さんとただならぬ関係と思わせるような言動を繰り返すだけでも面白くないのに、今度は「付き合いたいって本気で思っている?」ときたもんだ。
「ごめんごめん。怒らせるつもりはないんだよ」
「……なら、なんなんだよ!」
感情の昂りが抑えきれない。その勢いに身を委ねて、男と立ち向かうべく立ち上がった。しかし、硬く握りしめた拳を振り上げることはしない。どこまで行っても俺は臆病者だということだ。
「咲良が蜘蛛が、苦手なのは知っているかい?」
どこまでもマイペースな男だ。俺のことなどまるで気にしていないように涼しい顔で問いを投げかけてきた。その意図ははかりかねるが、ここで黙っているのも負けを認めるようで癪だ。
「……知ってますよ。俺の家に来た時に凄く怖がってましたから」
返答にさりげなく家に来たことあるアピールを織り交ぜる。ささやかな反撃。動揺を誘って、その仮面を剥いでやりたかったが、この程度では動じないらしい。いったいなんなんだこいつは。
「その理由は?」
俺の家で雨宿りした日に発覚した咲良さんの蜘蛛嫌い。あの怖がり方は、見た目が気持ち悪いという理由では説明できないものだった。もっと深いところ。心理的な負荷がかかったことによるもの。もっともらしい理屈は、あの時すでに思いついている。
「……小さい頃に山で迷ったことが原因」
完全に当てずっぽだ。外れていたとしても彼女の幼い頃の出来事を最近知り合った俺が知っていることが伝われば良い。そんな浅はかなことを考えていた。この男が知っていることは明らかなのに。
「正解。それを知っているなんて、随分と咲良に信頼されているんだね」
なぜか喜ぶ目の前の男。咲良さんが教えてくれた彼女の幼い頃の出来事は、誰にでも話せるようなものではないらしい。こんな状況でも咲良さんが少しでも心を開いてくれていることが分かって、嬉しいと感じる自分の未熟さよ。
「最後の質問だ。もし咲良の身に危険が迫ったとしたら、君はどうする?」
なんだその質問は。答えは決まっているじゃないか。
「この身に代えても、その危険から咲良さんを守りますよ」
確かな自信を持って男に言葉をぶつけた。誰になんと言われようが、それが俺の気持ちだ。自分でも驚くくらい淀みなく、はっきりと口が動いた。
「なるほどなるほど。そうもキッパリと言われると聞いているこっちが恥ずかしくなっちゃうな」
男は俺の回答を聞いて満足そうにそう言った。その瞳からは、先程までの品定めをするような視線は感じられない。それどころか慈しみさえ感じられるような雰囲気だった。
俺の答えが正解かどうかは分からない。だが、俺の口から出た言葉は嘘偽りがない真実。それだけは揺るがない。
「試すような真似をしてすまなかった。まぁ座ってくれよ。君に大事な話があるんだ」
雰囲気が柔らかなものに変わった男の隣に座り直す。言われたことに従った訳ではない。これから話されるであろう男の話は、咲良さんと今以上の関係になるには避けられない大事なこと。そんな予感がした。
「まずは自己紹介かな?僕は櫻田柳也。咲良の4つ上の兄だ」
咲良さんのお兄さん!?いや、お兄様!?咲良さんから兄がいるなんて聞いたこともなかった。そもそも地元のことについて話すことはあっても、家族について話すことはそんなになかったような気がする。
混乱している俺を横目に柳也さんは話を続ける。
「君が咲良から聞いていたような人で良かったよ。咲良に無理言って会いに来て良かった」
「……じゃあ、咲良さんのことが心配で俺に会いに?」
「その通り。シスコンだと思うだろ」
柳也さんは声を出して笑った。俺は引き笑いしかできないけどな。
要するに妹が知らない男の話をするもんだから心配になって会いに来たってところか。咲良さんからの着信がなかったところをみると、けむに巻こうとして失敗したってところだろう。
「咲良は僕がこっちに呼んだんだ。山での一件のせいで、地元ではそこそこ名の通っている祖父と両親の関係が悪くなってしまってね。賢い子だったから負い目を感じていたんだろうな。あっちにいた頃の咲良は、今みたいに笑う人ではなかったよ。君のおかげかもね」
「いや、そんな。笑えるような元気をもらっているのは、いつも俺の方で……」
咲良さんと出会ってから、世界が鮮やかに見えるようになった。同じ場所でも、同じお菓子でも、彼女がそばにいるだけで全てが特別なものになった。
「君が咲良のことを大切に思ってくれているのは、咲良の話を聞いていると分かるよ。ただ、あの子は長らく人と積極的に関わることを避けてきたから、なんというか感情表現が不器用なところがあってね」
「そう……なんですか」
「思いを伝えるということは勇気がいることだけど、君の方からもう少しだけ咲良に歩み寄ってくれないかな?少しずつでいいんだ」
「どうして俺にそこまで……」
「咲良が君のことを信じてるからかな。だから、僕も君のことを信じてみることにするよ」
2人の間に静寂が訪れる。公園には俺達以外に人はいない。この場を見守っているのは、自動販売機の光に魅入られた羽虫だけだった。
「さてと。僕も忙しいから、そろそろお暇するよ。また明日から出張なんだ」
「咲良さんのこと駅前のカフェで待たせているんですよね?送っていきますよ」
立ち上がった柳也さんに釣られるように俺も立ち上がる。送って行くとは言うものの咲良さんと会いたいだけだったりする。今日の彼女はいつも以上に素敵だったから。
「いや?待ち合わせはここだよ?もうそろそろ来るんじゃないかな?んじゃ咲良のことよろしくね〜」
「え!?あの!ちょっと!」
マイペースすぎない?本当に咲良さんと兄妹なのか怪しいくらいだ。呆気に取られた俺は、その背中を見送りながらそう思った。
「あ、あの……」
背中越しに聞こえる声。振り返らずとも分かる澄んだ声色だ。まるで見計らったようなタイミングなのも運命というやつなのかもしれない。
いつもよりも着飾った彼女を直視できるだろうか。必要以上に意識せず、いつものように爽やかにかっこよく応えてあげよう。
「お待たせしました……」
「ゼンゼンマッテナイデスヨ」
よし!いつもどおりだな!
次回更新は8月1日(月)の予定です




