第38話 1歩ずつ②
道すがらシャドーボクシングを繰り返す。周りから見ればボクサー志望の若者にしか見えないだろうが、今の俺は来たるべき戦いに向けて牙を研ぐ1匹の狼なのだ。
その反面、もし、必要があれば一瞬でチワワになる準備もできている。要は気の持ちようなのだ。相手の正体が分からない以上、対策のしようがない。あるのは、このお腹の脂肪が気になり始めた体だけだ。
軽く息を切らして公園に到着した時には、満月に近しい形をしたお月様が見えていた。暑い日が続いているとはいえ、まだ夜は冷える。体が萎縮してしまうのは寒さのせいか、それともあの男に相対することに怯えているのか。それは、自分にも分からなかった。
周囲を警戒するように辺りを見渡すが、2人の姿が見えない。すべり台、砂場、ブランコ。どこにもいない。
まさかの帰宅か?ドタキャンは岡崎君だけで十分だ。苛立ちを隠しきれず握る手に力が入る。
「ごめん、待たせたね」
「うわぁお!」
背後から声をかけられた俺は、情けない声をあげてしまう。この声、確かめるまでもない。あの男だ。不意打ちとは卑怯なり。
「ごめんごめん。まだ来ないと思ってさ。これ飲む?美味しいよ?」
男は、スワンポート近くのライバル店のビニール袋を持っていた。そして、そこから取り出されたのはライバル店グループが開発した新商品の炭酸飲料。今をときめく超人気アイドルがCMに出ていて、大ヒットを記録している飲み物だ。ハロファクがCMが出ていれば世界的ヒット商品になったのに惜しいことをしたものだ。
「……どうも」
「立ち話もなんだし、こっちにおいでよ。待ってる間にベンチを見つけておいたんだ」
受け取ったペットボトルに水滴が浮かんでいる。少し先を歩く、未だ名も知らぬ男は歩きながら喉の渇きを潤していた。あまりにも美味しそうに飲むものだから、釣られて俺もひと口飲んでみた。美味しい。ライバル店もなかなかやるではないか。こんなに美味しいものをくれるこの人も悪い人ではないのかも知らない。
「あの……咲良さんは?」
「お!やっぱり気になっちゃう?」
急に振り返ったかと思うと、待ってましたと言わんばかりの爽やかな笑みだ。俺の出方が見透かされていたようで腹立たしい。
「咲良には無理言って少し離れたところで待ってもらっているんだ。駅の近くに夜でもやってるカフェがあったろ?」
「はい、俺もたまに使います」
「あそこのサンドイッチ意外と美味しいから食べてみてよ」
「は、はぁ……?」
ここからなら、以前、咲良さんを送っていこうとした駅のことだろう。たしかに駅の近くに全国展開をしているカフェがあったはずだ。
季節ごとに新商品は出るものの、客のほとんどは時間潰しが目的で飲み物だけの注文がほとんどだろう。近くに個人経営の良いカフェが多くあるのに、そこで軽食を取ることを勧めるなんて、この辺りに疎いのだろうか。
だが、あそこなら、この時間でも人が多いし、咲良さんが変な男に絡まれる心配はなさそうだ。
それにしても俺と咲良さんを引き離すとは。この男、いよいよ本気なのかもしれない。さっき初めてやってみたシャドーボクシングの成果を発揮できる時が間近に迫っている。
「それにさっきも言ったかもしれないけど、僕は君と2人で話してみたかったんだよ」
「失礼ですけど、どこかでお会いしたことありますか?」
「いや、初めてのはずだよ。君のことは咲良からよく聞いてるから、1度こうして会ってみたかったのさ」
歩きながら話は続く。やはり、この男は咲良さんと友達以上の関係なのは間違いない。まずはそこをはっきりさせないことには、今後の出方が固まらない。
「あの!あなたと咲良さんとの関係――」
「まぁまぁ。まず座ろうか」
公園の片隅にベンチはあった。近くに設置されている自動販売機の光に照らされて淡く光っているように見えた。
ここまで先導していた男は、「あーどっこいしょ」と年寄りくさい掛け声と共に勢いよくベンチに腰掛けると、隣に座るように俺に促した。出鼻をくじかれた俺は、渋々隣へ座った。
「清隆君って宮城県出身なんだろ?」
「まぁ、そうですけど」
「僕と同じだね」
「あー。そうなんですか。奇遇ですね」
何が楽しくてこんな時間に男同士で肩を並べないといけないんだ。緊張もあるが、どうしても敵対心が抑えられずにぶっきらぼうな言い方になってしまう。感じが悪いなと思うが、俺だってギリギリなのだ。
「咲良とはいつ知り合ったの?」
「少し前に友達に呼ばれた合コンで初めて会いました。そう言うあなたは?」
「僕?ふふふ、ずっと小さい頃からさ」
余裕の笑みを浮かべている男に無性に腹が立つ。まさか咲良さんを追って上京してきた幼馴染なのか。逆に咲良さんが追ってきた可能性に気付いて落ち込む。感情のジェットコースターだ。
「咲良が世話になっているみたいだから君に一言お礼を言っておきたかったんだ」
「は、はぁ……?」
保護者気取りの先制パンチ。なんであなたにそんなことを言われないといけないのか。咲良さんを世話しているつもりもない。お互いに歩み寄っている最中なのだ。たぶん。
「ふふ、あんまりからかってるのも悪いから単刀直入にいうけど――」
そんな俺の気持ちが伝わったのかもしれない。男は思い直したような顔をして真っ直ぐな目を見つめてきた。もはや真向勝負をするしかない。これは挑戦状なのだから。
「君、咲良と付き合いたいって本気で思っている?」
その瞳からは、ある種の威圧感のようなものも感じられる。しかし、不思議と敵意は感じられない。品定めされるようなそんな目だった。
次回更新は7月29日(金)の予定です




