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第30話 雨宿りの夜②

 あまり待たせてしまっては、俺も彼女も風邪をひいてしまう。ここからはタイムアタックの始まりだ。

 かかとを使って靴を脱ぎ捨てると、部屋へ滑り込むように入る。食べ物がぎっしり詰まったビニール袋は、とりあえずコンロの上に置いた。

 部屋の扉を開けると、目に飛び込んでくるのは、ハンガーにかけられたパンツが3つ。雨の多いこの時期のために設置した、紙紐を張っただけの簡易物干し場だ。その重さに耐えられず紙紐が弛んでしまっているのが、いかにもその場凌ぎの様相を呈していて物悲しい。


 俺は素早くそれを掴むとまだ湿っていた。このまま回収してしまうと生乾きの臭いに苛まれることは分かっている。しかし、そんなことは些細なことだ。また洗えば良いではないか。

 自分にそう言い聞かせ、回収したパンツをハンガーごと半開きになっていたクローゼットへ投げ込む。その反動で何かが崩れる音が聞こえたが、そんなもの後で直せば良い。

 乱暴にクローゼットを閉めると、その勢いのまま玄関への通路を兼ねたキッチンへ向かう。


 上の扉!下の扉!どこだどこだ。記憶の片隅からサルベージしたイメージでは、ここに良い感じのタオルを入れていたはずなのに!ないないないない。フライパンやらキッチンボウルやらを取り出してみるが、どこにも見当たらない。


「あのー……大丈夫ですか?さっきからすごい音がしていて……」

「だ、大丈夫!寒いと思うけど、もうちょっとだけ待ってて!」

「は、はい」


 咲良さんが控えめに玄関を開けて、声をかけてくれた。俺に気をつかってくれているのだろう。極力中を見ないようにしてくれている。ありがたい。この有様は、誰にも見せられないからな。

 

 一息ついて頭がクリアになったのか、中の物をほとんど取り出したそこを見て、ハッとする。この間、望が雨宿りに来た時にタオルを切らしていて、これを開けたんだ。そう、戸を開けてすぐのここにタオルの箱を入れておいたはずなのだ。それを貸して、洗濯して、今はタオルボックスの中……。

 なんてこった。かくなる上は、プランHだ。苦渋の選択だが、咲良さんも野郎が使ったタオルなんて使いたくないだろう。出した物を片付けながら、そんなことを考えていた。覚悟を決めなければ。


 ぐちゃぐちゃになったクローゼットからタオルを取り出すと、包装のビニールを乱暴に引きちぎってゴミ箱へ捨てる。そして、玄関のドアノブに手をかけた。


「待たせちゃってごめん。さぁどうぞ」

「……すみません。お邪魔します」


 そうして、咲良さんを我が城へとエスコートする。前回は、俺の意識がはっきりしない中、親切な咲良さんが連れてきてくれた。その時のことは思い出せない。しかし、今回はそうではない。つまり、女の子が自分の部屋に来るという激レアイベントを初めて体験しているということになる。仮に俺という生き物に対する学会が開かれるならば、論文が発表されるほどのものなのだ。


「良かったら、これ使ってよ。濡れちゃったでしょ?」

「……これ使っても大丈夫なんですか?大切な物なんじゃ……?」


 俺が咲良さんに渡したのは、優しく微笑んでいるびっきーが描かれているタオルだ。ポスター代わりにも使える代物だ。俺が初めてライブに参戦した時に売られていた物で、今まで未開封のまましまっておいた思い出の品でもある。俺はこのタオルを2枚所有している。

 なぜならば、1枚はこれまでライブとは縁がない生活を送っていた俺のために、チケットの取り方からコールまでひと通り教えてくれた望がプレゼントしてくれたのだ。当日は、そちらを使用して、あらかじめ自分で買った物は記念に取っていたという訳だ。


「ほら、タオルって使うもんだしさ。同じやつもう1つ持ってるから遠慮しないで」

「ありがとうございます……」


 咲良さんが濡れてしまった腕などをハロファクタオルで拭き始める。俺に気をつかって濡れてしまったのだろう、左腕に服の生地が張り付いて地肌が透けて見えている。


「あの……そっち向いてていただいても良いですか?その、恥ずかしいです……」

「あ、そ、そ、そうだよね!ごめん!じゃあ俺そっちに行ってるから!使ったタオルはその辺に置いてもらってかまわないよ!」


 無意識のうちに凝視していたようだ。これはヤバいやつ。「何か面白い番組やってないかなぁ」なんて、とぼけたふりをして部屋へ逃げ込んだ。キッチンとの境にある引き戸を閉め、深呼吸をして平静を保とうと努めるが、俺の心臓は鼓動を早めたままだ。だって、めっちゃ良い匂いしたんだもん。あれは、明確に男とは違う生き物なのだと再認識した。


 口に出した手前、テレビの電源を入れると、そこには男性MCに曲の聞きどころを聞かれているハロファクが映っていた。答えているのは、リーダーの米谷美琴(まいやみこと)、通称マミーだ。その呼び名の通り、母性あふれる包容力でメンバーを見守っている。現メンバーの中ではハロファク歴も1番長く、チケットが売れなかった駆け出し時代を知る唯一のメンバーとして、仕事に対する情熱も並々ならぬ気迫のようなものを感じられる時がある。


 スマホには望からの着信とメッセージが届いていた。ハロファクが地上波に出る時には、番組の前後やCMの間などの隙間時間に感想を送り合うのが恒例になっているのだが、返信がないため寝落ちしているのだと思われたようだ。メッセージの最後には、録画しているから貸すということと、バイトお疲れ様と書かれていた。お前は俺の親かっての。でも、さんきゅー。今は落ち着いて見ることができない状況なんだ。


 ハロファクが曲のスタンバイに入ったところで、俺も着替えることにした。雨を含んだTシャツは、ずっしりと重い。クローゼットから、洗濯済みのタオルを取り出して体を拭く。そして、脱ぎっぱなしになっていた部屋着に手を伸ばしたところで、戸が開いた。


「あ、ち、違うんです。ご、ごめんなさい!」


 バッチリ目が合う俺と咲良さん。次の瞬間にはパシャリと戸が閉まり、再び分断される俺達。

 自分でも驚いたが、こういう状況になると逆に冷静になるようで、黙々と着替えを続ける。


「ばっちり見られちゃったな……」


 着替えを終えた俺がつぶやいた虚しい独り言は、ハロファクの新曲によってかき消された。

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