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第22話 伊達青葉②

「はい、どうぞ。お待たせしました」

「おぉ……これはすごいな」


 テーブルに置かれたコーヒーカップの中の漆黒の液体。紛うことなきコーヒーだ。それもマスターのと比べても遜色がないレベルで良い香りがしている。これだけで、彼女が本格的にコーヒーのことを勉強していることが分かる。

 もしかすると、マスターとは恋愛関係ではなくて師弟関係なのかもしれない。ひと口飲んでみると、そう思わせられるような味だった。


「これ凄く美味しいよ。正直、驚いた」

「それ私のパパと同じセリフだし。同い年なのに、じじくさいこというね。でも、ありがと」


 恥ずかしがる彼女の顔は、少女のようだ。本当に嬉しいのだろう。赤くなった顔を手であおいで冷ましている仕種は、なんとも可愛らしい。こちらの視線に気づくと、照れ隠しだろうか、慌ててエプロンを外して近くの椅子の背もたれにかけた。


「この話は、ここでおしまい!」


 俺と同じテーブルに彼女が座る。自分用に用意していたコーヒーカップに口をつける。表情からすると自分でも満足できる出来だったようだ。店でもすぐ出せると思うのだが、そこはマスターが認めない何かがあるのかもしれない。俺には全く分からない何かが。


「それで、咲良とは上手くやっているんでしょうね」


 身を乗り出した彼女の顔が近づく。心臓に悪いからやめてくれ。たわわな胸がテーブルに乗っているのも相まって、目のやり場に困ってしまう。女性と2人きりの空間だということは意識しないようにしよう。そう努めよう。

 しどろもどろになりながらも、何とか言葉をひねり出す。


「上手くやってるってのが何を指すか分からないけど、楽しいよ」

「いいじゃないの。何をそんなにしょげてるのよ」


 彼女が、「どうせたいしたことないんでしょ」と言いたげな顔で、椅子に座り直した。実が収穫されたことで、ようやく目を合わせることができた。


 それにしても、傍から見ても、そういうふうに見えているのか。香澄さんを通して咲良さんに伝わらないといいけど。

 コーヒーを飲んで背筋を伸ばしてみるが、どうにも俺という男の自信という軸はブレブレのガクガクらしい。一瞬で元通りだ。


「う、上手くやっているつもりだったよ。最近も2人で公園に行ったりさ……してたんだけどなぁ」

「上手くいってたつもりなのに、今日はご飯断られてショック受けているんだ」

「そういうことになるのかな。自分でもここまで落ち込むなんて思ってもみなかった」


 他人に指摘されると胸に突き刺さるものがある。労りの心で接していただけるとありがたい。俺は俗に言う傷心中というやつなのだ。それも一方通行で身勝手な。


「今日みたいなことは、これまでもあったの?」

「いや、初めてかな。いつもはとんとん拍子で予定が決まっていたから」


 この空間の優しい照明がそうさせるのか、すらすらと自分の心情を口にしていることに驚く。人とこんな話をしたのは初めてかもしれない。望達に小馬鹿にされることはあったが、恋愛トークらしいものは初体験だ。


「なら、自信持ちなさいよ。少なくとも、嫌われているようには思えないけど」

「そうかなぁ。そう思わせないようにしているだけのようにも思えるけどなぁ」

「あらー。こりゃ重症だわ」


 テーブルに突っ伏した俺を見て、香澄さんがそう言った。そうか、俺は重症なのか。だが、それが分かったところで、治す薬なんてない。


「まぁ、コーヒーでも飲んでゆっくりしたら?おかわり欲しいなら淹れてあげるしさ」


 彼女に促され、体を起こすと再度コーヒーを口にする。

 店内にいつも流れているジャズの旋律はなく、カップとソーサーが触れる音だけが響いている。それが逆に心地良かった。


「気になってたんだけど、それなに?」


 彼女が指差したのは、和菓子が詰まった紙袋。袋からいくつか取り出して、テーブルの上に並べた。


「ちょっといろいろあってね。食べる?美味しいよ」

「え?いいの?やったー!」


 それを期待していたくせに。袋から飛び出した最中に視線がいっていたことはお見通しだ!そして、また胸が乗っているぞ!


 お菓子を選んでいる彼女は、なんともたのしそうだ。そんな様子をコーヒーを飲みながら見ていると、香澄さんが突然こちらをじっと見つめた。一瞬目を合わせるが、耐えられずにすぐに逸らす。こういうことに耐性はないのだ。


「……清隆さんって童貞でしょ」

「な、な、な、な、な、なにを言って……!?」


 急に飛び込んできたボディブローにコーヒーを吹き出しそうになる。すんでのところで、何とか飲み込むが、激しく咳き込んでしまった。

 確かに俺は童貞だ。生まれてこの方、女性と付き合ったことすらないのだから当たり前だ。それにしても、今ショックを受けていることと童貞であることがどうして結びつくというのだ。関係ないではないか。それにそういう行為は好きな人とすることに意義があると思うぞ!

 

「あー。今の質問は答えなくてもいいわ。その反応で分かっちゃったから。さっきも胸をチラチラ見てたの分かってるし」


 口をパクパクさせていたら、香澄さんが溜息をつく。なんでちょっと呆れ顔なんだ。別に童貞でもいいじゃないか。誰に迷惑をかけているわけでもないんだし。


「奥手でピュアなのは良いことだと思うよ。可愛いし」

「……それって褒めてるの?」

「時には狼になることも必要ってこと。今回の場合は、聞き分けの良い子どもかな?」

「なんだそりゃ」

「咲良にも咲良の生活があるんだから、予定が合わなかったくらいで、くよくよすんな少年ってこと」

「……同い年だろ。もう成人してるっての」


 頭ではそんなこと分かっているさ。咲良さんは人を傷つけるような人ではないし、今日も本当に予定があったんだろう。だが、心がそれを理解してくれないのだ。こんなことは初めてだ。単純にこうして誰かにそれを咎めてもらいたかっただけの、それこそ、不貞腐れた子どもだっただけかもしれない。


「あ!もうこんな時間か!んじゃ、そろそろ行くよ」


 香澄さんが腕時計を確認して立ち上がった。時間潰しは終わったらしい。


「行くってどこにさ」

「デートって言ったじゃない」

「そうじゃなくて、行先くらい教えてくれたって良いじゃないか」

「そんなの決まってるじゃない。咲良のところ」

「……なんで?」


 香澄さんは、手際良く帰り支度を整えると、饅頭を1つ口へ入れた。そして、そのまま俺の手を引いて共に店を出る。2人で商店街へ出たが、俺の問いに答えてくれることはなかった。

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