第21話 伊達青葉①
「香澄さんがどうしてここに?それになんで休みって知ってるんだ?」
「マスターと付き合っているからに決まってんじゃん」
彼女の顔に「周知の事実でしょ」と書いてある。初めて咲良さんと7188に来た時にマスターのことを気にしていることには気づいていたが、そこまでの関係とは思い至らなかった。あまりにも直球の情報に言葉が出ない。
「……冗談だって。本気にしないで」
俺が真剣な顔をしているものだから、あきれた顔をされてしまった。今の俺にその冗談を転がす余裕はないのだから諦めてほしい。
「それじゃなんでさ?」
若干、口を尖らせて言う。営業していないことを知っていて、わざわざ店の前まで来るなんて酔狂がすぎる。失礼だが、俺が階段を降りて行くのを見つけて、わざわざ追いかけてくるようなタイプにも思えない。
「ここで、たまーにバイトさせてもらってるの。ご覧のとおり今日は臨時休業なんだけど、マスターからcloseになってるか心配だから見てきてくれーってラブメールがあってさ。いやーまいったね」
そう言う彼女は、どこか上機嫌に見えた。ラブメールと言っているあたり、やはり枯れ専なのは間違いなさそうだ。その証拠に彼女の目は乙女のそれになっている。
「臨時休業って、マスターどっか悪いの?」
予告もなしに休業にするなんて、あのマスターらしからぬ行動だ。まさか病気や怪我で入院してしまったのだろうか。イケオジであっても老いには敵わない。時間とは残酷なものである。さらば俺のユートピア。
「ははっ!そんことないない。旅行に行ってるの。海外にいる妹さんに会いに行くらしいよ。なんでも急に再婚することになったとか。マスターすごく慌ててさー」
「なんだ。病気じゃないなら安心したよ。それにしても海外か……まだ行ったことないや」
マスターの無事が分かってひとまず安心だ。
彼と違い、俺は生まれてこの方、日本に引きこもり中。パスポートなんて持ったことがない。親が飛行機嫌いなのも関係しているのか、我が家の旅行は車で行ける範囲がほとんどだった。
「私も。ほんと、マスターが羨ましい……。どこに行くって言ってたかなぁ」
「ヨーロッパの方とか?」
「なんか初めて聞いたところだった。ちょい待って」
スマホを操作する。マスターからのメッセージを確認しているのだろう。チラリとホーム画面が見えたが、猫の写真が見えた。ペットだろうか。黒い綺麗な猫だった。
「あったあった。えーっとねぇ……スリジャヤワルダナプラコッテだって」
「なんて?」
「スリジャヤワルダナプラコッテだってば。今調べたらスリランカって国の都市らしいよ」
「スリランカって紅茶の?」
「んー。紅茶のことは分かんないや。ここコーヒー屋だし」
「そういうもんかなぁ」
スリランカの紅茶と言えば、静岡の日本茶くらいメジャーのような気がするが、普段からコーヒーひと筋なのだろうか。コーヒー愛が転じてマスター愛的な?それとも逆かもしれないな。
「さっきも聞いたけど、今日は1人?咲良と一緒じゃないの?」
「付き合ってるわけでもないし、今日は大学で少しだけ話しただけだよ」
「は?あんたらまだ付き合ってないの?そんで?咲良はどうしたのさ」
世の中では、年頃の男女が1度遊べばカップルになるという認識なのだろうか。いやいや、交際というものはそんなに軽いものではないはずだ。もっと段階を踏んで、告白をしてからカップルと呼ばれるものにレベルアップすると思うのだが、俺がズレているのか。
「ご飯に誘ったけど、時間を気にしてすぐに帰っちゃったんだ。誰かと約束でもしてたのかもね」
「咲良があんたの誘いを断る……?あー。今日はあの日か」
「あの日?」
「まぁ、それは追々。ねぇ、この後時間ある?」
「……なんで?」
「そんなに警戒しないでよ。どうなの?」
「……なにもないけど」
「よし!じゃあ私とデートしよう」
「また、そうやってからかって」
前にそうやってらからかわれたことで、ひと騒動あってから、そんなに日は経っていない。あのお陰で、咲良さんとの距離が半歩くらい近づいた気がしないでもないが。下手をすれば、俺の青春物語は、あそこで終了していた。甘い誘惑には乗ってはいけない。気をしっかり持て!
「1割くらいは本気なんだけどなぁ。まぁ、そんなことはしないけど。とにかくさ、暇なら私に付き合ってよ。悪いようにはしないしないし、北上さんのためにもなると思うけど。それに咲良のためにもね」
「本当かねぇ……」
いまいち信じられないな。また振り回されそうな疑念が振り払えない。だが、その問いに対する答えは決まっているようなものだ。彼女もそれを分かっているのか、考え込む俺の脇をすり抜けるようにして通り抜けると、7188の扉に鍵を差し込んだ。
彼女は自分の鞄から取り出されたそれは、可愛らしい古びた猫のキーホルダーがついていた。そして、扉を開けると、こちらに向かって手招きをしている。
「さぁ、どうぞどうぞ。どうせ、咲良がらみのことだからオッケーなんでしょ?」
「そのつもりだけど……それより、勝手に入っていいのか?」
「留守のことは、マスターから任されているもの。点検ってことで、これくらい許してくれるでしょ。それにまだ夕方でしょ?ちょっと時間早いから、ここで時間潰そうよ」
「それじゃあ。お邪魔します」
香澄さんの後について店内に入る。彼女は、カウンターの奥にある電気のスイッチを目指して、薄暗い店内をぐいぐい進んで行った。照明が付くといつもの7188が現れる。
「コーヒー淹れてあげるから、テキトーに座ってて。マスターほど美味しくできないから、お金はいらないけど、その代わり感想聞かせてね」
カウンター近くの椅子に座り、彼女の様子をうかがう。テキパキと器具の準備を整えると、コーヒーの良い香りが漂ってきた。時たまバイトしているのは、どうやら本当らしい。
彼女と話しているうちに、心が軽くなっていた。家に帰りたくなかったのは、話し相手を求めていたからだと、今更になって気がついた。できることなら、もう少しこのままで。この香りがそう思わせたのかもしれないが、心地良い空間だと思った。




