第20話 かんぱねら④
空いた片手で黒い傘をさして当てもなく歩く。今は家に帰りたい気分ではなかった。我ながら身勝手だとは思うが、思った以上に空振りのダメージがあったらしい。これまでの人生で1番気落ちしたのは、初めてゲームのセーブデータが消えた時だったが、それ以上だ。
おやっさんの気持ちが詰まった紙袋が両手に抱えていた時よりも重く感じる。
咲良さんにとっても重すぎたかなと思う。もちろん2つの意味で。そんな自分の考えも嫌になる。おやっさんに対してあまりにも失礼だ。そんなことは分かっている。分かっているのにやめられない。それが俺という男だ。
雨は未だやむ気配がないが、おやっさんに傘だけ返して帰ろうと、店の前まで行ってみることにした。慰めの言葉でも期待していたのかもしれない。叱責でもいい。
ガラス越しにこっそり店内を覗いてみる。どうやら、接客中のようだ。夫婦2人で切り盛りしている小さな店だ。それに人気店だけあって、それなりに忙しいのだろう。いや、忙しいというより、話に花が咲いていると言った方が正しい表現か。
おやっさんと同年代の夫婦と話し込んでいる。昔馴染みのようにもみえる。いずれにせよ、俺が割って入る余地はないようだ。ここで入ったら、気まずくなるのは目に見えていた。
この傘は、もうしばらく借りることにしよう。そう思い直し、今来た道とは反対方向へ歩みを進めることにした。相変わらずの雨脚に少しうんざりする。
同じ道路沿いにあったゲームセンターへ雨宿りがてら入る。2階建ての少し古い建物は、薄暗い外とは異なり、設置された機器から光と音が溢れていて、にぎやかだった。
リアル志向の筐体を用いたレースゲームに熱中する高校生グループもいれば、黙々とメダルを投入する老夫婦もいる。プリクラコーナーからは華やかな声が響いていて、思い思いにその空間を楽しんでいた。
店内を散策していると、クレーンゲームコーナーの片隅にハロファクメンバーのデフォルメぬいぐるみが鎮座していた。ちょうど今抱えている紙袋サイズで、ファンの間で争奪戦が起こっている代物だ。既にネット上では、プレミア価格で取引が行われているが、俺のポリシーとしてそれらには決して手は出さない。
試しにワンクレジットの挑戦を試みる。アームはぬいぐるみをしっかりと掴んだように見えたが、筐体の天井近くまで上がった時点で、するりと落ちてしまった。財布に残っていた最後のコインで再チャレンジするが、結果は同じだった。
いつもであれば、ここで「鬼の連コイン!」とか言って、財布が空になるまではしゃげるのだが、今日はそんな気分にはなれなかった。
おとなしく帰れ。ゲームセンターそのものに、そう言われている気がして店内をひと回りしたところで、その場を後にした。ふと、
あそこで1人なのは俺だけだったことに気づくと、不思議と笑いが込み上げてきた。
あてもなく歩く、ズボンの裾は跳ね返った雨で濡れていた。帰りたくないと思いつつ、見知った街をぐるぐるとしているところに俺という人間が表れている。結局、いつもの商店街へ戻ってきていた。
「……ここって」
無意識のうちに喫茶店7188へ続く階段の前にたどり着いていた。咲良さんに教えてもらってから、1人でも何度か訪れていが、大学からそう遠くはなく、時間を潰すのにぴったりだった。それに平日の夕方は客が少なく、考え事をするのにはうってつけの場所だ。
考え事をすることと、この場所を自然と結びつけていたのかもしれない。いつしかそんか場所として認定していた自分に驚く。咲良さんとの思い出があるからというのもあるか。そっちの方が割合を占めている気がする。
傘をたたみ、階段を降りる。薄暗く、若干埃っぽい通路は、今の俺の心情のようで、いつもの秘密基地へ潜入するようなトキメキは感じられなかった。脳内テーマ曲も流れていない。無音である。
いつも客が入っているか謎の骨董品屋は今日も変わらず開店休業中だ。その光景に少しだけ安心感を覚える。分厚い眼鏡をした店主と目が合ったので、軽く会釈をして7188を目指した。
店内に入って、マスターに「いつもの」と言えば注文完了。俺の理解者。7188こそが心のユートピアだ。
そうして、長い廊下の最奥で見つけたのは、扉にかけられているcloseの表示。今日は何曜日だ?ここの定休日は水曜日のはずだが。ガラス越しに店内をのぞき見るが、明かりもついておらず、いつも薫っているコーヒーの匂いもしなかった。
今日は何をしても上手くいかない日だ。こんな日は決まって雨が降っている気がする。太陽エネルギーが俺の力の源だったのかと、見当違いな方向に思考が働くくらいには、まいっているようだ。そもそも地下にいるのだから、太陽もなにもない。
しばし落ち込んだ後、ようやく諦めがついて、踵を返そうとした。その矢先、誰かが廊下を歩いてくる音がしていることに気がつく。こちらに向かっているということは、他の客だろうか。がっかりするだろうが、休みであることを伝えた方が親切だろう。そんなに広くない通路だ。嫌でも鉢合わせする形になる。照明の関係で、はっきりとは見えないが女性のようだ。
「あれ?あのー。すみません。今日は臨時休業でー。」
意外なことに、先に話しかけてきたのは向こうだった。近づくにつれて、その人物が明らかになる。どうしてそんなことを彼女が知っているんだろう。いや、彼女だからこそ知っていると言うべきなのだろうか。
「誰かと思ったら、北上さんじゃん。今日は、咲良と一緒じゃないの?」
声をかけてくれたのは、香澄さんだった。




