第18話 かんぱねら②
大学の敷地を出た俺は、商店街を目指す。歩いて行っても間に合うだろう。そうでなければ、綺麗に洗濯したハンカチを再び汗まみれにするところだ。夏本番に向けて助走を始めた時期、気温は日に日に上昇している。
この周辺は、他の大学はもちろん高等学校以下の学校と教育機関が集まっていて、いわば学園都市と呼ばれる様相を呈していた。
学生が集まれば、それだけ若者向けの店舗の出店が多い。今流行りのスイーツから、ファッション、低価格な居酒屋まで多岐にわたる。
だが、この街が現在の方向に舵を切ったのは30年程前。それまでは、都会の外れにある田舎にもなりきれない中途半端な街だった。というのが、この街に昔から住んでいる人の評価だ。なぜ俺がそんなことを知っているかと言うと、何かと親切にしてくれる仏頂面な男が、ことある度に口にするからだ。名前は聞かないし、言わないから、おやっさんと呼んでいる。これから会うことになる男だ。
以前、咲良さんに教えてもらった喫茶店7188への階段の前を通り過ぎる。そこから、さらに西を目指して歩みを進め、商店街を出ると、市道沿いにお目当ての店が見えてきた。はやる気持ちを抑えつつ、横断歩道を渡って入店する。他にお客はいないようだ。
菓子舗かんぱねら。3代続く歴史のある和菓子屋である。名物は茶饅頭。これを求めて市街からの客も少なくなく、平日でもお昼前に完売してしまうこともある。
現在の店主は、店の名前に似つかわしくない頑固な職人気質の中年親父。初代店主が名付けた店名は、彼の娘、つまり現在の店主の母親が好きな曲名が由来しているそうだ。このことについては、店内に飾られている色褪せた雑誌の切り抜きに書いてある。かなりの頻度で聞かれることなのだろう。
「おう!よく来たな!」
「今日はおやっさんだけですか?」
店の奥から、店名が記載された作務衣を着たおやっさんが出てきて、ショーケース越しに話しかけてくる。いつもであれば、明るく元気なおばちゃんも店にいるはずだが、今日は不在のようだ。
「母さんはちょっとな」
「どこか悪いんですか!?」
「お友達と温泉旅行だよ。縁起でもないことを言うんじゃねぇ!」
そうだった。この人は、この辺りでは有名な愛妻家だった。仮におばちゃんが入院が必要な病気になろうものなら、仕事など投げ出していて、ここにいるはずがないと確信させるような男だ。
俺には妻はいないが、その心意気は見習いたいと常に思っている。
「おばちゃんが無事で安心したよ。おやっさん。茶饅頭5個お願いします。袋は2個と3個に分けてね」
「珍しいな。お客さん用かい?」
「いや、お礼用です。女の子にハンカチ貸してもらって」
「ほー。お前にもそんな浮いた話があるんだな。今度紹介しろよ」
「まだそんな関係じゃないです。お代置いておきますよ」
「まだねぇ」
おやっさんが慣れた手つきで茶饅頭を袋に詰めてくれる。会う度に親戚のおじさんが強くなっている気がする。学校はどうだ、バイトはどうだ、そんな話もよく振られる。
若い人が1人で来ることが珍しいというのもあるのだろうが、同年代という1人息子が遠方の大学に進学したため、寂しいのかもしれない。
そんなことを考えていると重そうな茶色い紙袋が2つ、机の上に置かれる。
「俺、こんなに買ってないですよ?」
茶饅頭数個とは思えないほど、2つの紙袋はパンパンに詰まっていた。値段にしたら今トレイの上に置かれている金額ではとても足りない。
「お前がお世話になったんなら、俺からもお礼をしないといけないだろ?」
さも当たり前のようにそう言って、袋を押し付けるように渡してきた。俺はそれぞれの手で1つずつ抱えるようにそれを受け取った。
落とさないようにバランスを取る。今の姿は、昔、親父がパチンコで大勝ちして帰ってきた時のようだろうなと思った。油断をすれば頭が見えている最中が飛び出しそうだ。
「気持ちは嬉しいですけど、流石に申し訳ないですって」
「いいからいいから。そう思うなら、また顔見せてくれよ」
「じゃあ、せめて自分の分だけは払います。それならお礼のことは関係ないですよね?」
「そっちは、個人的なもんだ。大人しく受け取れ。少し痩せたんじゃないか?しっかり飯食べろよ」
痩せたのは、咲良さんに少しでも良い印象を与えるためにダイエットしているからだ。昔からお腹にしか贅肉が付かないから、そう見られることは多くないが、腹部はぽよぽよ。そこだけ切り取れば、どこかのゆるキャラになれるポテンシャルは持っていると自負しているが、その反面コンプレックスでもある。
「今日はお菓子だが、本当に夕飯食べに来ていいんだぞ。母さんも喜ぶ。俺も昔ほど食べられなくなってきたしな」
「先月来た時には、丼で2杯平らげたって自慢していたじゃないですか」
「あれ?そうか?母さんの飯は世界一美味いからな!おかげで仕事も頑張れるってもんよ!」
そう言って豪快に笑う彼につられて、俺も笑う。この雰囲気は嫌いではなかった。彼らの息子もきっと良いやつなのだろう。
改めてお礼を言って店を出ようとすると、おやっさんに呼び止められた。
「空模様が怪しくなってきたからよ。ちょっと待ってろ」
そう言い残すと店の奥へ引っ込んでいった。振り返り、窓の外を見ると確かに薄暗い。まいったな。大学まで、そう遠くはないが、お礼の品を濡らすのはナンセンス。今から走れば、間に合いそうな気もする。
「ほれ、これ持ってけ」
戻ってきたおやっさんの手には、真っ黒い年代物の傘があった。それだけでなく、傘を受け取ろうと、机に置いた紙袋を濡れないように透明なビニールで包んでくれた。
「何から何まですみません」
「そこはありがとうだろ?」
「ありがとうございます」
荷物を持って店舗を出る。そして、あることに気付いた。せっかくの好意だが、この荷物の量では腕に傘の柄をかけるのが精一杯で、雨が降り出したとしても傘をさすことは難しそうだ。それが、なんだか可笑しくて、1人で静かに笑った。
また人に返すものが増えたが、胸の奥が暖かくなるような、そんな気分で大学への道を急いだ。




