第136話 すれ違いの果てに④
「これは、おじいさまに渡した物と同じ場所にあったの」
護符を隠し持っていた咲良も俺たちと同じ並びに立つ。惣一郎は回収したはずの護符の登場に驚いたようだったが、小さな声で「やはりそこにあったか……」とつぶやいた。
「やはり?最後に札の交換をしたのはいつだ?」
「そんなこと答える必要はなかろう。まったく勝手なことばかりするやつよ」
「いつなんだ?」
「……お前たちの母親が生まれて数年後じゃ。医者から、もう子どもは望めないと言われたからの」
柳也さんの圧に負けて惣一郎が話を始めた。咲良たちの母親の時に納めた護符が惣一郎に渡した物ならば、今、柳也さんが持っている物はその後に誰かが納めた物ということになる。
「跡継ぎが生まれた時に交換するはずじゃったが、わしの代では叶わんかった。あの時の悔しやと申し訳なさは今でも覚えとるよ」
長年続いた風習を自分の代で途切れさせるわけにもいかず、娘を跡継ぎにする決断をしたのは断腸の思いだったのだろう。ご先祖様に対する想いが、顔に現れている。
きっと咲良の母親にも幼い頃から、強く言い聞かせていたはずだ。お前がやるんだと、何度も何度も。
「だからこそ、咲良の母親が男の子を産む前に社のある場所に行ったことで冷静ではいられなくなったんですね?」
俺の問いかけに惣一郎が頷く。
「当たり前じゃろう。2代続けて婿を迎える悔しさ、無念さ。若い貴様たちには分かるはずもない。じゃから、わしは柳也を咲良の兄とすることを周りに伏せて進めた。弱みを見せるわけにはいかなかったんじゃ」
「それでも札は取り寄せたんだろ?そうでなければ、僕が正式な子でないことがバレてしまう。神主のことをどれだけ信頼しているか知らないが、どこから漏れるか分からないからな」
「そうじゃ、わしが保管していた。娘を追い出す日まではな。まさか、そんなところから出てくるとは思わなかったよ。いや、思わないようにしていたんじゃな」
惣一郎が吐き捨てるように言う。風習に従って山の中に入らなかったし、周りにも同じように求めていたに違いない。あの荒れようじゃ誰かが立ち入ることもなかったはずだ。偶然あそこにたどり着くことも考えにくい。
そうとなれば、あの場所に札を持って行けるのは咲良の母親だけになる。それはひとえに子どもたちへの愛。風習に疑問を持ちつつも、それを実行せざるを得ない世代だからこその行動だ。
行方をくらました娘を探すために禁忌を犯した咲良の母親は、そのことを重く受け止めた。跡継ぎを産むことは惣一郎の悲願。それを叶えられなかった負い目と、自分が果たすべきだった新たな札の設置という役目を果たせなくなった罪悪感に責められて、惣一郎が隠し持っていた物を社に設置した。
惣一郎の考えとは異なるが、それが櫻田家の繁栄、ひいては柳也さんと咲良の安寧につながると信じた。古い風習でその効力に疑問を感じていたとしても、それはやらなければならないことだったのだ。
「あの社の場所には、役目を終えた母親しか入れん場所。知っている者も数えるくらいじゃ。じゃから、ご先祖様に顔向けができる時まで誰も近づかせない。そう心に決めてあったのに、そうかそうか……」
惣一郎は、そう言うと黙ってしまった。
咲良の母親は、正しい形ではなくても役目を果たそうとした。結果的に、彼女の愛する子どもたちのことを救うことにつながったが、それは父親を裏切ることになった。当時の彼女の惣一郎の思いが噛み合わなかったのだ。
「会社には、優秀な部下がいるはずだ。……きっと僕なんかよりずっとあなたのことを案じているし、これまでも支えてきたはず。そんなところに図々しく入り込む意味をもう1度考えて欲しい。……もう僕には何もできないけど」
柳也さんが惣一郎に近づいて諭そうとするが、惣一郎はそれを嫌って同じ分だけ後退した。柳也さんは、その様子を見て観念したようだ。これ以上、何を言っても無駄だと。
風習に縛られている彼にとって、跡継ぎであったはずの柳也さんが穢れてしまったことを見逃す訳にはいかない。
ここでそれをしてしまったなら、それは自己の否定になる。年老いた身でそれを許容できる柔軟性はとうに失われていた。
「この札は僕が持っていく。咲良を通じて両親の家に置かせてもらうことにするよ。櫻田家に対して害する物かもしれないけど、少なくとも僕たち家族のことは守ってくれそうだ」
「好きにせい。穢れた貴様らなぞもう知らん。勝手に生きて、勝手にくたばれ」
「あぁ、そうさせてもらう」
決着は着いた。これ以上は、俺と咲良が言うこともない。正門に向かって歩き出した柳也さんを追って、俺たちも歩き出す。
「さよなら、おじいさま……」
歩みを止めた咲良が、俺の後ろで惣一郎にお別れの挨拶をしたようだ。先に先にと達俺のところまで惣一郎の声は聞こえなかった。
小さな声で応えてあげたのか、手あるいは目で応えてあげたのか、それとも聞き流したのか。どんな形であれ、別れが済んだ。形のある終わりは後に引きずらない。それだけ分かれば十分だった。
すぐに咲良は俺の隣に戻ってきた。すっかりお馴染みになったスポーツカーに乗り込むまで、お互い何も喋らなかった。もうここに来ることもないだろう。そう思った咲良は、胸の奥から込み上げてくるものを抑えるのに必死で、俺はそれを隣で支えていたから。
あの札がある限り、2人に惣一郎の手が及ぶことはないはずだ。それぞれが自分の決めた道を進むことができるはず。
これはそのために必要な1歩だった。そう自分に言い聞かせて、背中が小さくなった惣一郎を残し、俺たちは桜田邸を後にした。
次回更新は、5月3日(水)の予定です。




