第137話 すれ違いの果てに⑤
櫻田邸を離れた後、柳也さんは俺たちを病院に連れて行ってくれた。
幸い大した怪我ではなかったようで、打撲と軽い捻挫と診断された。それでも痛いものは痛いのである。櫻田邸にいる間はアドレナリンというか、痛みを忘れさせるような物質が頭の中に満ちていたようで、それを忘れさせてくれていた。
しかし、状況が落ち着いて、肩の荷が降りた今となっては、そうも言ってられない。痛みという現実と向き合わなければならないのだ。
唯一の救いは、咲良がすり傷程度で済んだことだろう。
そうそう、病院から出た後、すぐに望に連絡をした。画面に少しだけ亀裂が入ったスマホにゾッとするような件数の着信とメッセージが入っていることに気が付いたからだ。
最初の方は勢いがあった言葉も、徐々にトーンダウンしていた。面白がって見ていたが、段々と申し訳なさを感じて電話をしたのだが、開口一番に怒られてしまった。泣かれるよりは数倍マシなのだが、なかなか理不尽である。
連絡せずに放っておいた負い目はあるものの、こっちだってそれどころじゃなかった。そこは分かってもらいたいところではある。
だが、素直に心配してくれていたことに感謝することにした。今、こうしているのも望のおかげだし、素直に嬉しかったのだ。持つべきものは友である。
最後は、「ハロファクの新曲PVが動画投稿サイトにアップされたから、またな」と言い残して電話が切れた。相変わらずのやつである。そこが良いところでもある。
車の中で誰も惣一郎のことに触れなかった。これから彼がどうなるのか、櫻田家がどうなるのか、気にかけることはしても口には出さない。自分達の道を行くとそう決めたのだから。
柳也さんと咲良は、今日のうちに東京に戻ることにしたようだ。地元に残っていては、惣一郎のことが気になって落ち着かないのだろう。そこには俺も同意した。
咲良が心配だから、俺も一緒に帰ることを柳也さんに提案をしてみた。しかし、「両親が心配するだろ?」とやんわり断られてしまった。
結局、家の近くまで送ってくれることになり、俺だけ後日帰省することになった。怪我もしているし、仕方あるまい。単位が心配だから、帰らなければいけないところなのだが、車社会でほとんど歩かない田舎の暮らしと比べると、都会での暮らしは足が資本だ。タクシーなんて贅沢なものは使えないし、違和感なく歩けるようになるまで体を休めることも必要だろう。
柳也さんは家の目の前で車を止めてくれた。今日の朝、ここから出て行ったことが既に懐かしい。1ヶ月も離れていたような、そんな気分だ。
「柳也さん、いろいろありがとうございました」
車から降りた俺は、柳也さんにお礼を言った。彼がいなければ、俺は何もできなかった。咲良との仲もどうなっていたか分からないし、少なくとも咲良の婚姻話は無くならなかっただろう。
「お礼を言いたいのはこっちの方だよ。君がいたから僕たちはここにいるんだ」
柳也さんが右手を差し出す。俺はそれに応えて、しっかりと手を握り返した。柳也さんは戦友だ。それだけでなく、親友のような兄のような印象を持っていた。この固く握った手の感触を俺はいつまでも忘れることはないだろう。
「あの……清隆くん、本当にありがとうございました。私のためにここまできてもらって」
「いや、いいんだよ。ほら、実家にしばらく帰ってなかったしさ」
咲良に気を遣わせないようにおどけて見せる。気がつくと柳也さんは既に車に乗り込んだようで姿が見えなかった。どうやら、柳也さんの方に気を遣わせてしまったようだ。
「清隆くんはいつも私が困っていると助けてくれます。それも私自身ではどうしようもない人生が変わってしまいそうなタイミングで」
「それはたまたまだよ。偶然、咲良を助けられる所に俺がいただけ」
実際そうだ。試験の時は偶然でしかないし、今回のことだって地元が同じだからこそだ。実家という拠点があるからこそ、こうしてここにいるんだ。
昔はこんな田舎から早く出て行きたいって思った時期もあったけれど、ここに産まれたことで咲良のことを助けられたのなら、それだけで意味があったと思う。
「たまたまって言葉で片付けないでください。私は運命だと感じちゃったんですから」
運命。それは人智を超えた存在によって決められた確定事項。アカシックレコードにも記録され、人によっては白馬の王子様と呼ばれるものだ。
「向こうに戻ったらお礼をさせてください」
咲良は、優しく微笑んだ。その笑みだけで報われた気がする。報酬としては、それだけで十分だ。
「お礼なんていいよ。いつもどおり7188のコーヒーが飲めればそれで良い」
「遠慮しないでください。何でもいいんですよ?」
「……何でも?」
そうとなれば話が変わってくる。何でも?疲れているからか、あんなことやこんなことに想像力が発揮されてしまう。そんな邪な気持ちが顔に出ていたのか、咲良の顔が段々と赤くなっていった。
「い、いや!い、嫌じゃなくて、その、何でもとは言いましたけど、そういうことは順を追ってゆっくりと、じゃなくて!その……帰ります!」
「待て待て待て待て、落ち着こう!いったん落ち着こうぜ!」
パニックになる俺と咲良。近所迷惑になっているだろうが、そんなことを気にする余裕なんてあるはずもなく。柳也さんは、そんな俺たちのことを優しく見守っていた。
「すみません。取り乱しました……」
「あの、こっちこそごめんなさい」
落ち着きを取り戻してお互いに謝罪するものの、場の空気に耐えられずに2人共ふき出してしまった。緊張からの解放もあるし、こうして話が出ることが嬉しかった。
「では、また」
「うん。またね」
咲良は、軽く頭を下げて車に乗り込んだ。クラクションを短く1度鳴らして、スポーツカーは去っていった。名残惜しいが一時の別れだ。
東京に戻ったらまた会える。人間という生き物は現金なもので、安心した途端に腹の虫が鳴き始めた。俺も帰ろう。いつまでもここでこうしていると、ご近所の噂になってしまう。
「さて、今夜のおかずは何だろな。あ、その前にハロファクのPVチェックしなきゃ!」
実家の敷地内に入った俺をカーテンから漏れ出る明かりが包んでくれる。咲良とまた会う時までに怪我を治しておかないと心配させてしまうから、ご飯とハロファクで体と心を元気にしておかないと。
「ただいま!」
玄関の扉を開けて、明るく元気にそう言った。出迎えはもちろんない。その代わりにキッチンから魚の焼ける良い匂いがした。それだけで十分だ。
次回更新は、5月3日(木)の予定です。




