第134話 すれ違いの果てに②
「なに……それ……」
「文字通りの意味だよ。櫻田家にとっての禍が咲良の中にある。まぁ……迷信だけど、あの男にとっては重大な意味を持つ」
「どういうことですか?護符に触っただけですよ?」
護符とは神様や仏様の加護を得て災禍から逃れるためのものだ。それが転じて、触れたら穢れるような物になるなんてあり得るのか?
「あれはそういう性質の物だってことだよ。本来であれば、跡取りを産んだ櫻田家の女が行う、櫻田家に訪れる禍を一身に引き受ける御役目。それを果たした後は、ここで隔離される風習なのさ」
柳也さんの言葉に部屋を見渡す。磨りガラスではっきりとは見えないが、奥に台所のようなものが見える。それにここに隔離されると言うことは、寝室もまた別室にあるはずだ。そして、屋根は繋がっているものの、おそらく扉はない。そのための玄関だ。
「そんなの初めて聞いたよ。それに、そしたらお母さんはどういうことなの?私たちと母屋で生活していたじゃない!」
「今、言っただろ?ここで隔離されるのは跡取りを産んで御役目を果たした後なんだ。……どういうことか分かるだろ?」
咲良は柳也さんが言わんとしていることを察して、驚きのあまり言葉が出ない。
惣一郎がいう跡取りとは、長男のことだ。つまり、それは柳也さんに他ならない。櫻田家に伝わる風習が本当に行われていたとすれば、咲良が産まれる頃にはここで生活をしていなければならない。それくらい、咲良たちには歳の差がある。
「僕は養子なんだよ。正確に言えば咲良の叔父に当たる」
「そ、それじゃ、咲良のお母さんと兄弟?」
「そういうこと。もっと言うと腹違いってやつだけどね」
俺たちは、勘違いをしていたのかもしれない。咲良が山に入って惣一郎の怒りを買ったんじゃない。跡取りを産まなければならない咲良のお母さんが山に入ったことが原因だったんだ。
柳也さんがいつ養子になったのかは分からないが、このことがきっかけの1つになっていることは間違いないだろう。あれだけ風習を大切にする惣一郎のことだ。穢れた体で跡取りは産めないと、そう判断したのだ。
「母さんはなかなか子どもができなくてね。だいぶ苦労したそうだよ。それで生まれたのが咲良だ。僕は元々予備。いざという時のための代用品のためにここで暮らしていた」
「そのことは皆さん知っていたんですか?」
「もちろん。みんな承知の上さ。それでも父さんも母さんも僕に良くしてくれたよ」
「だから、今度は自分がってやつですか?」
「そうだ」
柳也さんの言葉に迷いはない。今思えば瑠美夏さんの話も俺たちを焚き付けるためにしたのだろう。
咲良も柳也さんも自分が犠牲になることで、家族の幸せを守ろうとしている。そうしたって得られるのは自己満足だけで、勝手に守られた側は一生負い目を感じることになるというのに。
「君たちが山に入った後、僕たちとあの男で話し合いをしたんだ。こうして逃げ出した跡継ぎが戻ってきたんだ。その時点であの男は近藤側との話に興味を無くしてしまったからね」
肩をすくめて困ったような仕草をする。
近藤家の面々の姿が見えないから、彼らは既にこの屋敷の敷地内にはいないはずだ。もし、彼らがいれば、こんな暴挙を許すはずがない。曲がりなりにも話はまとまったのだろうが、その条件は簡単なものではないはずだ。近藤家にだってプライドがある。
「結果、共同出資の会社は計画通りに進めることになったんだ。僕が社長で、向こうの若様が副社長なのは予定通り。違うのは追加の出資がたんまりと決まったことかな。それはそれは上機嫌だったよ」
「それだったら、私だって良かったじゃない。なんで、どうして……」
「言っただろう。咲良が女で僕が男である以上、あの男の中の天秤は僕の方に大きく傾く。多少損をすることになったとしても、僕の顔を売っておきたいのさ」
あくまでも跡継ぎは男ということか。咲良の場合は跡継ぎを産むとしても時間がかかる。それよりかは、昔の構想の通り柳也さんを会社勤めの中で育成した方が良い。それが、惣一郎の理想であり、当たり前のことなのだから。
しかし、こうした場合、ネックになるのは咲良の存在だ。内々に咲良のことは根回しをしていたはずだ。そのために苦心した人だっているはず。不義理になれば、グループ内の不和につながる可能性だってある。
そこで利用したのが櫻田家の風習だ。惣一郎のことをよく知っている人ほど、大きな意味を持つことになる。咲良を担ぎ上げて反抗しようとする勢力への牽制にもなろう。
「僕はね。この町で暮らす人たちの生活を守るためにここに残るんだ。けっしてあの男のためじゃない。それは分かってもらえるね?」
その言葉は、咲良に対してのものだ。咲良は黙ったまま俯いている。そして、確認するように言葉を発した。
「あの山の護符って男の人が触るとどうなるの?」
「どうして、そんなことを聞きたがるのか分からないが……男にとっても禁忌だよ。女の人と違って穢れを受け入れる場所がないと言われているからね。だから、あの男は山に入ることすらしない」
あの荒れ具合は、咲良たちがここを去ってから手付かずだった証だろう。自らの将来図が狂ってしまったことで、あの場を管理することすらできなくなっていたのだ。
自分は山には入れない。しかし、他の人に頼むと櫻田家の弱みを見せることになる。その結果が、社の中のぼろぼろの護符だ。
惣一郎は、次世代で歪んだ風習をまた次の世代で正そうとしていた。世間の風習と櫻田家の風習の狭間で、惣一郎なりに正しい道を歩もうとしていたのかもしれない。世代が変われば正しさも変わるというのに。
「仮にだよ?触ったらどうなるの?」
「長い間社の中に置かれていた護符なら、ここにはいられないだろうね。まぁ、それはあの男の手にあるんだろ?そのうち神主さんが取りに来るだろうから心配する必要はないよ。そもそも、僕たちには何の意味も持たないものなんだし」
柳也さんは立ち上がると、玄関に続く扉を開けた。
「見たところ大丈夫そうだけど病院に送っていくよ。さぁ、行こうか」
そう言い残して、柳也さんは廊下に出て行った。待機したいのであろう麗子さんの「もうよろしいんですか?」と呼び止めるような声が聞こえたが、すぐに玄関を開ける音がした。
俺たちに残された時間は少ない。
次回更新は、5月1日(月)の予定です。




