第132話 護符⑥
「ほら、あそこ」
「どこのことですか?」
「頭を低くしてみて」
咲良は、俺の目線に合わせるためにおじぎをするように頭を下げる。そして、俺の指さす方を見て「あっ!」と驚きの声をあげた。
そのまま俺の隣にしゃがみ込んで、じっと景色を見つめている。
「私……ここに来たことがあるかもしれません」
近くの木に止まっていた鳥が鳴くのを止めるのを見計ったように、そうつぶやいた。
予感が確信に変わっていく。昔通った道が荒れている他に咲良も成長している。視点が高くなれば、昔通った道であっても、また違った景色に変わる。記憶の中の風景は、最初から当てにならなかったのだ。
「そうです……。ここです。どうして気が付かなかったんだろう」
「それだけ時間が経ったって、咲良も大きくなったってことだよ。行ってみよう」
「昔、あれだけ探したんだけどな……」
咲良のひとりごとが聞こえなかった訳ではない。その場所を見失わないようにじっと見つめていたのだ。
俺は、低い姿勢のままそこを目指した。咲良も後に続く。通った後には草が押しつぶされた跡が残った。
残された時間はまだあるが、帰りの時間を考えると、これから新たな候補地を探し出す時間はなさそうだ。短時間で確認してしまいたい。そう思っていたが、間近に迫った穴は、俺が見立てたサイズよりも小さいものだった。これ、小学生でもやっとなんじゃないか?
「ここは私が行きます。体も小さいし、これくらいならいけそうです」
咲良が穴を覗き込んで、自分の体の大きさなら通れそうなことを確認すると、中に入ろうとした。俺としてはありがたい提案なのだけれど、穴に頭を突っ込んだ咲良を見て慌ててしまう。
「や、や、や、待って待って。俺が行くから。ほら、俺が引っかかったら助けて欲しいからさ。途中で駄目そうなら、足を引っ張ってよ」
「そのことが心配なら、やっぱり私が先に向こうの様子を見てきます。当たりならお声がけしますから、ここで待っててください」
「……はい」
俺は負けてしまった。咲良を説得することにではない。自分の欲望に負けたのだ。
そうとも知らず、咲良は小さな穴の中に頭から体を押し込んでいく。俺はそれをできる限り直視しないように努めるが、気がつくと視線は元の場所に戻ってしまう。
「くっ……ふぅ……はぁ……」
俺の目の前で、咲良が吐息を漏らしながら穴の中に体をねじ込んでいる。駄目だ駄目だ。こんな時に内に眠る新しい世界の扉を開けてしまっては駄目なんだ。そんなことを考えている場合じゃない。駄目だ駄目だ。
「清隆くん!大丈夫そうです!こっちに来てみてください!……おーい!」
「……はっ!お、おっけー!」
近くの木に頭を打ちつけて雑念を払っていたところを咲良の声で現実に引き戻された。
いつの間にか咲良は無事に木の向こうに行けたようだ。惜しいことをした。じゃなくて、安心した。少なくとも向こうには、こちらから確認できない空間があるようだ。
ごくりと唾を飲み込む。何度見ても穴は小さい。途中で抜け出せなくなったらどうしよう。すぐに救急隊は来てくれないぞ。覗き込んでみても、1度は体の大半を穴の中に入れなければならないことは確実。一言で言えば怖い。
そんな俺の様子を咲良は知らない。またしても、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
ええい!俺も男だ。覚悟を決めろ!
俺と咲良を隔てている空間の唯一の出入口である小さな穴に、俺も体を押し込む。やはり狭い。骨が肉で圧迫されているような嫌な感覚だ。
悪戦苦闘しながらも、最後は咲良に引っ張り出される形で、俺も穴の向こう側にたどり着くことができた。蛇に食べられた動物ってこんな気持ちなのだろうか。
穴から這い出た場所に広がっていたのは、崖とそこから見える沼の景色だった。周囲は木々に囲まれている。上部も伸びでた枝葉で覆われていて、これでは空から探しても見つかる場所ではなかったろう。まるで木に抱かれているような場所だった。
「やっぱりここです。私がいたのは」
咲良が周りを見渡した後、はっきりそう告げた。ここも草木が繁茂しているとはいえ、日当たりの問題なのか、向こう側の荒れた広場ほど酷い状況ではなかった。咲良の記憶の中の光景と一致する部分が多くあっても不思議ではない。
目に付くのは、この空間の中心部にある朽ちかけた小屋だ。おそらく咲良が発見されたという場所だろう。
簡単な骨組みに屋根だけ乗せられているお世辞にも立派とは言えない趣だ。かなりの年季が入っているから、あの穴を通る材料もしくは現地で調達した物で作られたのかもしれない。
俺たちは、その小屋に引き寄せられるように足が進んだ。
屋根のかかったある場所には、咲良の話のとおりお地蔵様が並んでいて、石でできた台座のようなものの上に綺麗に並んでいた。そこが段差になっていて、罰当たりだが腰掛けるのには丁度良さそうだ。
「あの時、ここに座って待っていたんです。周りが暗くなって心細い思いをしていたら、私を見つけてくれたお母さんが隣に座ってくれて」
お地蔵様も困っている子どもにとやかく言うことはないと思う。この場所があったからこそ幼い咲良が無事に見つかったのだ。誰に促されるわけでもなく、心の中でお礼を伝えておいた。咲良を助けてくれてありがとう。
そして、そのお地蔵様に囲まれるように木製の小さな社があった。百葉箱くらいの大きさで、抱え込めば待つこともできそうだった。
これも年代物だ。だが、素人目に見ても木彫りの装飾ひとつひとつが非常に丁寧に造られていることが分かった。
ようやくたどり着いた。ここが目的地で間違いない。咲良が櫻田家のしがらみに囚われた場所で、そのしがらみから解放されるの時が来た。ここが終着駅だ。
咲良と目で合図を送り合い、観音開きの小さな扉に手をかける。ここまで来た道のりだけでなく、咲良との思い出が頭をよぎる。それらを噛み締めるようにゆっくり恭しく開くと、古ぼけた護符が俺たちを出迎えてくれた。
それは俺が持っている護符とは字の癖が異なっている。それだけ前のものなのかは、俺に知る由はないし、知らなくても差し支えはない。少なくとも、この山が荒れ果てるくらい前から放置されていたことが分かれば十分だ。
咲良が護符を取り出そうと手を伸ばす。その間に俺はポケットにねじ込んでいた新しい護符を取り出す。大事に仕舞い込んでいたせいで、所々に皺が寄ってしまった。
それを手でしっかりと伸ばしてから、咲良と共に社の中の護符と取り換えた。そして、軽く息を吐いてから、そっと扉を閉めた。
これで惣一郎とのゲームもおしまい。俺は、咲良と手を取り合い喜びを分かち合った。
「早く戻ろう。柳也さんが待っている」
「はい。兄さんにとっては、気が許せない人ばかりでしょうし。待ちくたびれていないと良いんですけど」
「柳也さんなら上手くやってそうだけどなぁ。それにどんな状況でも、この古い護符があれば大丈夫だ」
ひらひらと交換した護符を振って見せる。これがあれば惣一郎も文句は言うまい。
「ふふ、そうですね。おじいさまは、自分が口にしたことには、責任を持ちますから、そこは安心できます」
咲良と共に社を後にする。たぶん、もうここに来ることはないだろう。立ち去る前に再度お地蔵様たちにお礼を言った。咲良を助けてくれてありがとう。
俺は、目的を果たして気持ちが楽になっていた。だからこそ、すっかり忘れていたのだ。ここから帰るためには、あの気持ちの悪い感覚をもう1度味わう必要があることを。
次回更新は、4月27日(木)の予定です。




